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13.落合はプロで通用しない

私、あの、ロッテオリオンズに入りましてね。一年目の自主トレです。 ちょうど…一月の十五日ぐらいです。
当時の金田さん、それから山内さんね。当時監督でしたから。 川崎球場の小っちゃい室内練習場。室内練習場っていえば皆さん、 こういう練習場を想像するでしょうけども、 二人入るのがやっとの掘っ立て小屋です。それでも順番来ないと、打たしてもらえない。
で、そこで打ってるときに、二人の会話が聞えるんです。

あの名球会に入ってる二人ですからね。かたや四百勝。 今じゃ考えられません。で山内さんは、シュート打ちの名人と言われてた。
こちらはプロ野球入って一所懸命、二十五過ぎてから指名してもらった、 よしこれからというときにね、二人でボソボソって、 「こいつプロ野球界では通用しねえよな」 って。

通用しないって選手をなんでドラフトであげるんだよ!?(落合、裏声。温和な表情の中にも悔し気に興奮気味)(場内、笑い)

ここにロッテオリオンズのチーム事情ってのがありました。
毎っ年、一位指名二位指名ってのが「入らない」んです。 「ロッテだけは入りたくない」って言って。 ちょうど江川のボイコット事件のドラフトの年でしてね。十一球団でドラフトやったんです。

で、各球団四人までしか取れない。で、四十四人。 プロ野球に入って来れんのが。で、
よその球団ってのはね、おそらく、ドラフトで上がって、 いやこの球団入りたくありませんってボイコットした人はいないと思います。 でもその四十四人の中に、ロッテ四人の中に二人ボイコットしましたからね。 「ロッテには行きたくない」って言って。

でそういうのが何年か続いてたんで、絶対プロに入って来るだろう、 と思ったやつを指名したんです。
で私ドラフト会議の年、ちょうど二十五ですから。 でドラフト一位つって松下電器から福間っていう左ピッチャーね。 あとで阪神行って年間七十何試合っていうゲーム投げましたけども。 まあ二人ともそういう声がかかるのは最後だろう、ということで、私ら飛び込みました。
で飛び込んで、その矢先ですからね。「こいつはプロで通用しない」って言われたの。

泣けてくるっていうよりもね、 どうしたらいいんだろうか 、って。
まあいいや。ダメならダメで、二年三年やって、別の仕事探しゃあいいや。 っていう感じで、自分の思い通〜〜〜りの野球を始めたんです。
そこがきっかけなんです私。あんまり人のいうことを聞かないのは。

んでちょっと打ち始めると、あの山内さんが、すぐ教えたがる。(場内笑い)
昔流行ったかっぱえびせんみたいにね、 言ったら止まらない、食べたら止まらない、そういう仇名がついてましたから。
そうすると この指導を受けるとボールが飛ばなくなる んです。(場内笑い)

いや、こりゃ困ったなって。で何だかんだ一年間、 三十六〜八試合くらいのうちに終わったんです。
そのときから、私、トレード要員だったんです。一年目でトレード要員ですからね。
で欲しがったのが、長嶋さんが欲しがった。巨人の。
で私まさかね一年目からトレード要員なるなんて思ってないもんですから、 ここで二年目に、ファームで二十四試合かな、二十二試合かな。 えー、六月までにホームラン十一本打ったんです。 率にして四割何分。それでも、一軍に来いってお呼びがかからないんです。

それは何でか。

山内さんが私のこと嫌ってるから。嫌いなんです。

1979年

山内

「こいつ、プロじゃ通用しねえよな」


1987年

山内

「落合君は一目見た時からいい打者になれそうな予感があった!」

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