携帯日記
2009/12/24(木) 『こんなサンタを見た!』


クリスマスの季節になると、 あちこちの交差点で 「キxxトを信じた者だけが永遠の命を手に入れることが出来るのです」と 拡声器を使って大音量でウソをたれ流し、キxxト教のイメージダウン活動 をしている人たちがいるわけだが、 信者を増やしたいor人を救いたいともしも思ってるのだとしたら、 ああいう ウソ はつかない方がいいと思う。

☆  ☆  ☆

信じる、というのはどういう事を示すのだろう、と私はいつも考える。

「キxxトを信じる」と「サンタを信じる」の「信じる」は同じ使い方をしているが、 同じ意味だろうか?

信じる、という言葉をうまく使った好例をあげれば、 『走れメロス』の中のセリヌンティウスのセリフ、「私はメロスを信じる」が分かりやすいだろう。

「信じる」という行為は、 たとえそれが理屈に合わなくても、 「相手の人格を信用する」、そして 「相手を信じた自分を信用する」 ことである。

その根幹にあるものは 「相互の信頼関係」であり、信じるという行為は一人では生まれない。 お互いが信じあう、相互関係によって生まれるのである。

なので、キxxトとの間に「信じる」という感情は生まれない。 会ったことのない人とは信頼関係は築かれないからだ。

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この季節によくあるクエスチョン、即ち質問に、 「お前、何歳までサンタを信じていた?」などという愚問、 すなわち愚かな質問がある。

「信じる」も「信じない」も、俺とそのサンタというやつとは知り合いじゃないから、 「両者間の信頼関係」を築きようがない。そんな質問は、

「お前、何歳まで北海道在住の吉田さんを信じていた?」

と聞かれるのと同意である。

すなわち、「吉田さんとは会ったことがないから、 『信じる』かどうかは、 長年お付き合いして人間性をお互いに確かめ合ったあとの話です」 ということである。

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しかし、もしこれが「何歳までサンタを信じていた?」ではなく、 「何歳まで両親がつくウソを信じていた?」 というクエスチョンなら話は別である。

サンタなんて見ず知らずの人は「信じる」「信じない」の対象外であるが、 お父さんやお母さんが 「夜中に空飛ぶソリで徘徊する怪老人がいて、 ヨウゾウがいい子にしてたら靴下にプレゼントを入れてくれるのよ」 ともし仮に子供に言ってたとしたら、 それはウソである。

そんなウソを平気でつくお父さんお母さんを「信じる」かどうかは、 それまで親子の間でどれくらいの信頼関係が築かれていたかによるだろう。

固い親子の絆で結ばれていれば、 「僕はお母さんを信じる。お母さんがサンタがいるというのなら、サンタはいるんだ」 となるだろうし、 全く信頼関係のない親子であれば、 「うちのお母さんには虚言癖があるから、 僕は全く信じてない」となるのである。

☆  ☆  ☆

ちなみに私の場合は、 「クリスマスの夜に怪老人が空を飛ぶ」 という話の絵本があることは知っているが、両親から 「この話はノンフィクションで、空飛ぶ怪老は現実にいるのよ」 なんて話はされたことがないので、 信じるも信じないも「そんな話は聞いてない」だし、 サンタがいるかいないかについては、 「サンタ=クリスマスにプレゼントをくれる存在」と私は定義しているので、 答えは 「サンタはいる」 である。

それが両親であっても赤の他人であっても、 「クリスマスにプレゼントをくれる存在」であればそれはサンタであり、 人種・国籍・戸籍上の名前は一切無関係である。

つまり、「何歳までサンタを信じていた?」という質問には 二つの愚かしい視点間違いがあり、 一つは「信じる対象はサンタではなく、サンタがいるとその人に教えた人間」であり、 もう一つは「信じる信じないも何も、サンタはいる」 という点だ。

明石家サンタ


【朝食】 750kcal
・小倉パン(750kcal)
【昼食】 1000kcal
・ご飯(350kcal)
・シチュー(300kcal)
・おかず(200kcal)
・カップラーメンミニ(150kcal)
今日のお弁当
【夕食】 1000kcal
・モスチキン(1000kcal)
【合計カロリ】1650kcal

【運動】
・ウォーキング(朝40分)
・ウォーキング(夜40分)
・犬の散歩

【重量】 99.4ヨウゾウキロ未計測

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