たねだひとし【種田仁】
(『PanDra'sBox』(森直彦さん主宰)より)
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年度 | 番号 | 監督(順位) | 試合 | 本塁 | 打点 | 打率 | 年俸 |
1990 | 0 | 星野仙一(4) | 8 | 0 | 0 | .000 | 480万 |
1991 | 0 | 星野仙一(2) | 107 | 5 | 15 | .272 | 500万 |
1992 | 1 | 高木守道(6) | 102 | 3 | 27 | .246 | 1600万 |
1993 | 1 | 高木守道(2) | 132 | 10 | 40 | .254 | 2000万 |
1994 | 1 | 高木守道(2) | 41 | 3 | 10 | .158 | 3500万 |
1995 | 1 | 高木守道(5) | 89 | 8 | 22 | .225 | 3000万 |
1996 | 1 | 星野仙一(2) | 40 | 1 | 6 | .178 | 2700万 |
1997 | 1 | 星野仙一(6) | 8 | 0 | 0 | .077 | 2400万 |
1998 | 49 | 星野仙一(2) | 43 | 3 | 8 | .280 | 2000万 |
1999 | 49 | 星野仙一(1) | 43 | 0 | 2 | .196 | 2000万 |
2000 | 49 | 星野仙一(?) | -- | -- | -- | -- | 2000万 |
1983 信じられない話かも知れないが、 種田にも少年時代はあった。八尾北リトルでは岩本(日)と共にプレー。 3番打者として活躍した。(写真は八尾リトル時代、小学校6年の種田)
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1990 入団発表(前列左・与田剛、右・井上一樹、後列右から二番目が種田仁) 【選手名鑑より】 88年夏、89年春夏と三期連続甲子園出場。 2年生のときは二塁手、3年生では三塁手だったが、いずれもトップバッター。 昨春は準優勝に輝いた。 甲子園では通算54打数18安打、.333。フィールディングもよく、肩も素晴らしい。
ちなみに種田はこのとき大学進学を表明していましたが、中日が強行指名して入団。 この頃からヨゴレの資質はあったようです。
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1991 同期生対談(右・種田仁、左は山田喜久夫) 【選手名鑑より】 高校時代は元木(読)と組んで甲子園出場の常連。それだけに基礎は出来ている。 昨季は1軍公式戦8試合出場で3打数ノーヒット、 他に犠牲バント2本、四球1個だった。
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1992 【選手名鑑より】 昨年もっとも成長したのが種田だろう。打ってよし、守ってよし。その上、13盗塁と三拍子揃った。 規定には35打席足りなかったが今年は大丈夫。遊撃にコンバートされる。
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1993 【選手名鑑より】 昨年は前半頑張ったが、後半ややバテた。 規定打席に達するかと思われたが、結局357打席止まり。 しかし低迷したチームにあってはよくやった方だ。 終盤戦の9月には9試合連続安打もマークした。 スタミナをつけて今季はフル出場を目指してもらいたい。
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1994 【選手名鑑より】 昨年は全試合出場と頑張った。チームでは一人だけだ。 オールスターにも選ばれたし、いうことなしのシーズンだった。 立浪との1・2番コンビは両リーグを通じてトップクラスで、 今季も優勝目指して大暴れしそう。 10盗塁もチームNO.1だった。
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1995 【選手名鑑より】 昨年は6月25日の試合を最後にリタイア。 ケガさえしなかったらと悔やまれる。酒井・鳥越・神野とライバルが多くなって緊張感を一層引き締める。
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1996 【選手名鑑より】 93年に132試合出場し、完全にレギュラーを獲ったかに思われたが、 最近2年間どうも冴えない。昨年も89試合に出場しただけで、ヒット数も55本。 ガッツもあるし、いいものを持っているはず。 今季こそ満開と行きたい。
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1997 【選手名鑑より】 故障があって40試合しか出場出来なかったのは残念だった。 今季はレギュラー復帰を目指す。 93年には130安打、10ホームランした実績がある。
そして激動のオフ。国税局はプロ野球選手とJリーグ選手の集団脱税を摘発。 当初、関与した選手の名前は明かされなかったが、 『東スポ』が爆弾スクープとして
国税局は名前の上がった19名のうち、脱税額の多い小久保ら10選手を起訴、 他の脱税額の比較的少ないとされる選手は不起訴となったが、 起訴選手には4週間〜8週間、不起訴選手には3週間の出場停止処分が両リーグから課せられ、 東スポから大物内野手呼ばわりされた種田も 開幕から3週間の出場停止処分を受けた。
【起訴】小久保・渡辺(ダ)、北川・宮本(ヤ)、波留・万永・川崎(横)、三輪(オ)、
鳥越・山田洋(中)
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1998 【選手名鑑より】 昨年は6月に8試合出場しただけ。6月6日の読売戦でのヒットが唯一。 93年に130安打した事もある。今季は開幕1軍入りを目指す。
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1999 【選手名鑑より】 昨年は6月から戦列に参加。6月27日の広島戦では早くも3安打の猛打賞。 かつてはシーズンを通じてベンチ入りした事もあった。
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1999日本シリーズ
日本シリーズでは種田は、緒戦に代打で登場し工藤(ダ)からヒットを放ち、 第5戦では 1勝3敗と後がなくなりヤケクソになったセンイチの投げやり起用 で「2番サード」でスタメン出場、第1打席で送りバントと相手のエラーで出塁したものの、 最終的にシリーズ5打席4打数1安打(1犠打)で終了、 勝利に貢献する事は出来なかった。
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2000 【選手名鑑より】 かつてのレギュラー選手も、控えに回って4年間、やや不振にあえいでいる。 昨年も代打では23打数5安打、.217と低率だった。
それでも、そのダーティーなイメージから「いつ戦力外通告を受けてもおかしくない」不安と戦う毎日は変わってない。
種田は生き残るためにバットを振る。結果を出すことで、野球を続けさせてくれた球団やファンに恩返しをしようとしている。
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