徳島城を築城したのは蜂須賀家政、 尾張藩 の家臣である。 それまでは海と山に囲まれのんびりしていた徳島(安房の国)だったが、 豊臣秀吉の四国遠征 により支配下に置かれたことで、民衆の生活は一変した。 質素倹約を推し進める秀吉の方針に人々のストレスは蓄積し、 たまらなくなった民衆たちが 「年に一回でいいから、ストレス発散の場を作ってくれフサ!」 と城主に訴え、そこで生まれたのが 「阿波踊り」 だと言われている。 こういった経緯から見られるように、 徳島県民はメリハリを付けることに長けている。というか、メリハリが無いと生けていけない。 本当はパーッと適当に遊んで暮らしたいのに、普段は質素倹約、真面目に地道な暮らしを我慢して過ごして、 たまったストレスを年に一度の阿波踊りで発散させるのだ。 徳島出身の川上憲伸が 「マウンドではいつもおしっこの漏れそうな子供のような気持ちでいたフサ」 とオフになって告白、 契約更改交渉で球団への不満を爆発させてストレスを発散させるのも、 こんな徳島の県民性がそうさせるのだろう。 オンとオフがはっきりした二面性のある徳島県民だが、 それはあくまで尾張(=ナゴヤ)の配下に置かれたことによる影響、 もともとは陽気で明るい、何も考えてないのんびりしたお人好しの性格であることは、 これも川上憲伸を見ればよく分かる。 |
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▽ご当地グルメ
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