僕は「残り福評論家」である。
子供の頃、母に「残りものには福があるって言うでしょう?」と言われたけれど、
僕はその言葉を母から初めて聞いたのであり、
「言うでしょう?」といわれても、
それはあなたが言ったんでありそれが本当かどうかなんて僕は知りませんよ、
とどうにも釈然としないものがあった。 (2010.1.22)
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「残り物には福がある」という諺があるが、
この言葉に騙され、僕らは何度苦い思いをしてきたことか。 子供のころ、たまたま自分の外出中に、東京の叔父さんがお土産を持ってやって来た。 お菓子の詰め合わせだ。おいしいお菓子はそのとき家にいた兄や母が先に食べてしまい、 遅れて家に戻った僕には残りものしかなかった。 |
う」と詭弁を弄し、
幼い僕の憤りを誤魔化そうとするのだ。 お母さん!「残りものには福がある」というのは本当ですか、お母さん! 僕は、残りもので福があったためしがありません! 残りものに福があるなら、日々レストランの残飯を漁っているあの人たちは、 さぞや福福しいことでしょうね! そう思いませんか、お母さん! そして少年は大人になって、社会に出れば出るほど、 「残りものには福がない」ことを身にしみて実感するのである。 あなたが今もし会社にいるなら、オフィスを見渡して |
みるといい。 女性なら三十〜四十代の独身男性を見ていただきたい。 男性なら三十〜四十代の独身女性を見ていただきたい。 ああ、ああ、残りものには福がない。 そんな風に思ってた時期が、俺にもありました。 |
しかし、「残りものには福がない」という世の中の真実を、
ひっくり返す出来事が起こったのである(!)。 1995年のドラフト選択会議で、中日はPL学園の福留孝介を指名入札した。 8球団が競合した抽選では近鉄が交渉権を獲得、 ハズレくじを引いたのは星野仙一という人だった。(ワシがハズした) |
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福留を近鉄にさらわれ、次に中日が指名したのは東海大相模の原俊介だった。
(福留孝介→原俊介と続けて「介」とつく選手を指名したこのときのドラフト戦略は、
「介の字ばり」と呼ばれている) しかしこの原俊介も競合し、くじによる抽選となり、 読売に交渉権を取られてしまった。 ハズレくじを引いたのはまたもや星野仙一という人だった。 (ワシがハズした) |
11球団すべての1位指名が終わり、
12球団の一番最後に指名した「残りもの」、それが熊本工業の荒木雅博である。 このドラフトの8年後、荒木はセカンドのポジションでゴールデングラブ賞を取り、 そこから6年連続で同賞を連続受賞、落合監督には「世界一のセカンド」と賞賛され、 2009年には「プロ野球選手会」の副会長に就任、球界を代表する選手へと成長したのである。 |
残りものに福があったのだ!
鶴瓶もびっくり
バビョーーーーン! |
「残りものには福がない」とあきらめてるレディース・エンド・ジェントルメ〜ン、
アンドお父っつぁん&おっ母っつぁん! 荒木のように、残りものが大きな福になる場合もあるのだよ! というわけで皆さんも、 職場の三十代〜四十代の独身異性をちょっと見直してみよう。 今まで独身だったのは他の11球団の見る目がなかっただけで、 あなたのコーチングでゴールデングラブ級に化けるかも知れないぞ! |
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