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![]() ![]() もともと野口は、「中村さんがいないと何もできない」 と言われるほど中村さんへの依存度が強かった。 勝ち試合のあとのヒーローインタビューでは、いつも 「中村さんのおかげです」 「中村さんのミット目がけて投げただけです」 「中村さんのサイン通り投げただけです」 ファンはそれを「そんなに謙遜して、野口は先輩を立てるいいやつだなあ」 と思ってたんだけど、 実は謙遜でもなんでもなく、キャッチャーが変わると本当に別人になってしまう ことが判明したのは、中村さんが横浜に移籍してしまった後だった。
九十九年オフの契約更改より
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二〇〇一年は十二勝を挙げた野口だったけど、 オフに中村さんがいなくなると翌年はわずか二勝、 その次の年も開幕から調子が上がらないと見るや、 山田監督(当時)は野口が投げるときのキャッチャーを 中野、柳沢と「ミットを替えて」みた んだ。 これが功を奏し、野口の投げるときは中野・柳沢・谷繁の 「日替わりミット」 となり、野口はこのシーズン九勝をあげて“プチ復活”した。 しかし、二〇〇四年に落合監督が就任すると、 「キャッチャーが代わったくらいで投げられないようじゃダメだんべ」 と再び谷繁オンリーとのコンビに戻り、この年は四勝、 翌年は三勝と、再び低迷を始める。 ![]() 息の合ったところを見せる野口と谷繁。 シーズン中は一軍と二軍を行ったり来たり、中継ぎへ職場変更したり、 さまざまな復活への工夫がされたけど、結果は出せなかった。 悩み苦しむ野口。そんな心の弱った野口につけ込むように、 悪魔のささやきをして来た黒いチーム があった。 「野口が不調なのは中日がチャンスを与えてないからジャイ。 うちに来ればいっぱい登板チャンスがあるジャイ」 黒いチームは、かつて野口に指導したことのある元中日コーチまで使い、 「移籍すれば野口は必ず復活する」 と大した根拠もなく囁かせた。 そして野口は、野球人生で最大最悪の決断、 FA宣言をしてしまったんだ。
この野口の一件があったからかどうかは分らないけど、 「シーズン中はキャッチャーは固定するべき」 という主義だった落合監督(『野球人』p.210)が、 翌年からは先発投手によっては小田を先発マスクで起用したり、 バッテリーをいじって目先を変えたりするようになるんだ。 |
![]() ![]() 普久原淳一 (ふくはら・じゅんいち、2005-2008) なお、「ロード第二章」を歌っている人は、カモシカ流の門下生である。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]()
野口の歴代ミット
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