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落合時代

ドラフトで中田賢一を指名 2004年

落合博満
シ ーズン前の予告通り、このオフはトレード&戦力外を解禁、 十四選手がチームを去ることになり、 入れ替えにドラフトでは大量十一選手が指名された。

 指名されたのはすべて社会人か大学生の即戦力候補。 高校生の指名ゼロという異例のドラフトに、 西川球団社長は「ここ数年、高校生を獲ってきたのでバランスを考えた」 と説明した。

中日の最近のドラフト一位
1999年 一位 朝倉健太(東邦高)
2000年 一位 中里篤史(春日部共栄高)
2001年 一位 前田章宏(中京大中京高)
2002年 一位 森岡良介(明徳義塾高校)
2003年 一位 中川裕貴(中京高)

「高校生を獲ってきた」というか 「社会人即戦力の逆指名が貰えなかった」んだがな。 青コアラ
金コアラ 「また高校生か」的なムードはずっとあったな。

 それよりファンがびっくりしたのは、 ドラフト二位の ルーキー・中田賢一に背番号「20」を与えた ことだ。

 中日で背番号「20」は杉下茂に始まる伝統のエースナンバー。 権藤博、星野仙一、小松辰雄ら歴代のエースが背負ってきた番号で、 それまでは 「実績を残して右のエースとして誰もが認めるようになったら、 その証として20番を与える」 といった風潮があった。 それをいきなり何の実績も無い新人に与えたもんだから、 一部OBからは 「先輩に失礼だ。ケシカラン!」と言われたんだ。

 このプロ野球という物語の中では 落合監督と星野仙一は犬猿の仲という設定になっているから、 「落合は星野が嫌いだから、当てつけに20番の価値を下げようとしている」 なんて声も聞かれた。

 当の落合監督は、「空いてる番号を割り振っただけ」 とどこ吹く風だったけどね。
もっとも20番がエースナンバーだったのは小松が最後で、 それ以降は宣とか川崎とか、 「大物選手を移籍させるときのエサ」 となってたがな。 青コアラ
金コアラ エース・川上も「別にいらないッス」 と言ってしまったからな。
背番号20の価値が下がったというのなら、「エースが付けなくなってから」だろう。


人物紹介
中田賢一
中田賢一
(なかた・けんいち、2005-)
 日ハムの中田と区別するため「賢い方の中田」との呼び名が一般的。 投げるのが大好きで、 打者一打席あたり最低六球は投げないと気がすまないピッチング・ドランカー。 「中田さん、サインください!」と女性ファンが中田を呼び止めサインしてもらってるとき、 手持ちぶさたで横でじっと中田を待っているのはマネージャーじゃなくて高橋聡文という一応プロ野球の選手なので、 みんなちゃんと聡文にもサインを貰おう。

川井進
川井進(川井雄太)
(かわい・すすむ、2005-2008)
(かわい・ゆうだい、2009-)
 川相コーチの現役時代のヒーローインタビューでのセリフ、 「ゆうた、たくや、なるみ、パパ頑張ったよ!」に刺激を受けて、 二〇〇九年シーズンから登録名を「川井雄太」に変更したが、 読み方は「ゆうだい」と一応気を遣った。

鈴木義広
鈴木義広
(すずき・よしひろ、2005-)
 投げるとき手首がグニャグニャ曲がる軟体動物。 もげそうでもげない手首から繰り出されるスライダーは札幌の日ハム戦でのみ鋭さが三倍になり、 「タラバガニスライダー」と呼ばれる。(それ以外の球場では「普通のスライダー」を投げる)

石井裕也
石井裕也
(いしい・ゆうや、2005-2008)
 難聴でほぼ耳が聴こえない不利を克服してプロ野球選手に。 高校時代は「サイレントK」と呼ばれた。 補聴器によりある程度音声を認識することが出来るが、 マウンドで緊張感のある場面で投げるとき、 谷繁の説教が始まったときはスイッチをオフにする。


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