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落合時代

開幕投手・川崎 2004年

落合博満
キ ャンプ初日に紅白戦を設定したのは、 「実践での選手の能力を自分の目で見たい」 という監督の要望であり、 個々の選手がオフの間、自分で体調管理できるかどうかを確認する意味があった。

 紅白戦の先発は三年間一軍登板のない川崎憲次郎。 実はこのとき既に、二〇〇四年の開幕投手は川崎に決まっていたんだ。

 この年の正月、一月二日には落合監督から川崎の自宅に電話があり、 「開幕投手はお前だ。そのつもりで調整しておけ」] と伝えている。
 本来なら開幕をつとめるはずのエース川上には、 開幕三戦目を任せることキャンプ序盤で告げ、 その後どういうローテーションで回すかという事も細かく伝えていた。

開幕のマウンドに川崎があがったとき、 解説者やら評論家やらは「思いつきの起用」 「川上のプライドはズタズタだ」と随分叩かれたもんだが。 青コアラ
金コアラ 川上へのフォローは二ヶ月も前にしてたわけだな。

 四月一日、開幕のマウンドに立ったのは川崎憲次郎。
 しかしこのゲームは、川崎が五回持たずにKOされる。 それでもチーム一丸となってドラゴンズは逆転勝利、 落合ドラゴンズの第一歩が踏み出された。

 落合監督は川崎起用について、こう説明した。

「このチームを変えるには川崎が必要だった。 三年間けがで苦しんできた男の背中を、 チームのみんなで押すということがな」


 チームの団結力を強めるとともに、 「川崎祭」などで悪役扱いだった川崎にきっちりとした目標を与え、 たとえダメだとしても「悔いのない野球人生」をつとめさせる。

 プロ野球選手にとって大事なのは、 チームのため、ファンのためなんてきれいごとじゃなく、 しっかりとした自分の目標を確立して、 それを達成するために悔いの残らないように全力を尽くすこと。 それでダメならしょうがないじゃないか。

 そんな「川崎の背中」を見せることで、 自分はどうあるべきか、 何をすべきかを、落合監督は選手に感じて欲しかったんじゃないかなあ。


人物紹介
ドミンゴ
ドミンゴ
(2004-2005)
 横浜を解雇され森コーチつながりで中日にやって来た。 二〇〇四年に十勝を挙げ優勝に貢献したが、ドミンゴの最大の貢献は、 横浜戦で練習前に横浜ベンチに行き、 中日がいかに楽しく暮らしやすく、 働いた選手にはお金をいっぱいくれる球団であることををウッズに教えたことだ。

チェン
チェン
(2004-)
 左投手なのに右打席に入る変わり者。 ただし、送りバントのときは左打席に入る。 背番号が毎年変わることで有名だったが、 二〇〇九年は背番号が変わらなかったことで、 マニアに衝撃を与えた。

チェンの背番号推移
年度 背番号
2004 74
2005 31
2006 28
2007 203
2008 21

筒井正也
筒井正也
(つつい・まさや、2004)
 百五十キロ超の速球を投げると評判だったが、広島を入団二年で解雇。 落合監督は「どうしてこの選手をクビにしたのか分からない」と言ってテスト生を経て中日入団、 しかし一年で戦力外となる。ところが、筒井の能力はここから全開。 二〇〇七年にヤクルト番スコアラーとして情報分析、対ヤクルト戦の対戦成績を十七勝七敗と大きく勝ち越した。 その功績を認められ二〇〇八年は読売番スコアラーに配置転換、 ここでも十四勝十敗と優勝球団相手に勝ち越しを決めた。 広島球団が 「どうしてこの選手を(スコアラーとして採用せず)クビにしたのか分からない」。



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