の頃、読売では
得意のお家騒動
が起きていた。
読売の原辰徳監督は、チームの若返りのため(かどうか知らないけど)世界犠打記録保持者の川相昌弘に
「来季からコーチとしてやってくれないか」
と引退勧告をしていたんだ。
川相には「まだ現役でやれる」という思いはあったものの、
悩み考え抜いた挙句に引退を決意、
来季からは原監督の右腕としてコーチになることに決めた。
原からは「三塁コーチャーをやって欲しい」と具体的な役割も決まり、
九月十四日には引退試合を行い、読売ファンの前でナインから胴上げされた。
ところが、その原監督が電撃辞任する。
読売の次期監督は堀内恒夫に決まり、川相の立場は宙に浮いた。
原監督に「自分の右腕となってくれ」と言われたのに、
本体がいなくなっちゃったんだ。右腕としては所在がないよね。まるで
「手っちゃん」だよ。
監督交代劇から一週間以上、球団からは何の連絡もなく、
川相が球団フロントへの不信感を募らせていると、
ようやく球団からの電話で
「二軍コーチのポストを用意している」との連絡。
「自分は何のために引退したんだ」
川相はまたもさんざん悩んだ結果、
引退を撤回して他球団で現役を続けることに決めたんだ。
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川相昌弘 『明日への送りバント』 p.28より
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私は原さんに頼まれて現役をあきらめ、コーチ就任を受諾しました。
しかしそれは原さんとの口約束で、球団と約束をしたわけではありませんでした。
つまり口約束をした当人がいなくなるということは、
私にはもう何の義理も残っていないわけです。
それから一週間、読売からは何の連絡もありませんでした。
自分から連絡するのも変ですし、
私はまさに宙ぶらりん状態です。
新聞を通して私の処遇はどうなるのか、
少しずつ情報を仕入れる有様でした。新聞が少しずつ騒ぎ始めた一〇月三日、
ようやく球団から連絡が来て、
三山英昭球団代表(当時)と会うことができました。
「二軍のコーチをやってくれ」
とても即答はできませんでした。
「体制が変わって混乱してるから、落ち着くまでちょっと待ってくれないか」
途中、その一言でもあれば、私の考え方も違ったかも知れません。
来季へのビジョンを描いていたはずの原さんが急転直下、
辞任に追い込まれたにもあまりに不明朗なもので、
それについての説明もないのです。
もともと、原さんからのコーチ就任の話がなければ来季も現役を続けるつもりの私でした。
---こんなゴタゴタした中に残っていてもしょうがない。
読売を一度辞めた方がスッキリするのではないか。
自分の野球人生だ。
やはり自分の意思通りに歩を進めたい。それなら現役続行だ!
そう考えた私は、あらためてコーチ就任の断りを入れ、自由契約にしてもらいました。
今回の決断には引退を決意するに至ったときに比べれば、さほど時間はかかりませんでした。
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そして川相は中日の入団テストを受け、ドラゴンズの一員となった。
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川岸強
(かわぎし・つよし、2004-)
伊集院光の『光る!スポーツ研究所』の高山助手と結婚した。
嫁は川岸の楽天移籍とともにフリーアナウンサーとして仙台のテレビ局で仕事、
地元の知名度・収入では高山アナの方が上回り、
今は「川岸の嫁の旦那」と呼ばれているらしい。
小川将俊
(おがわ・まさとし、2004-)
体が大きく頑丈なので、餓王みたいな外国人が殺人タックルして来るような試合では
十分チャンスがあるぞ。
川相昌弘
(かわい・まさひろ、2004-2006)
読売球団とケンカして出て来たという、
まるでデストロンを抜け出して正義の味方になったライダーマンのような純真無垢のさわやかなダジャレおじさん。
ライダーマン
デストロンが悪の組織であることを知らないまま平和のためと信じてデストロンに入り、
組織に貢献して頭角を現した。“将来の大幹部”の呼び声も高かったが、
自分の地位が脅かされることを恐れた幹部に罠にはめられ命からがら組織を脱走、改造手術を受けライダーマンとなる。
それまではデストロンに信頼と恩義を感じ仮面ライダーV3とは敵対していたが、
デストロンが悪の組織であるという事実を知ってからは、
デストロン壊滅の為にV3と共闘するようになった。
・デストロン=読売
・ライダーマン=川相さん
・V3=中日
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