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月七日、ヤクルト・宮出のハーフスイングの判定に山田監督が審判に猛抗議、 敷田直人塁審の体に触れたことが暴力行為とみなされ、 山田監督は退場処分を受けた。 次の日、山田監督は球団から突然の 解任通告 を受け、 九日に休養を発表したんだ。
この時点での中日は、リーグ順位こそ五位だったけど借金は「二」で、 それほど悪いという成績でもなかった。 優勝は絶望的とはいえ、まだ勝ち越し・Aクラスは十分に射程範囲。 山田監督は三年契約のまだ二年目だったし、ファンからは「まだ早いんじゃないか」 「センイチ色の一掃か」との声もささやかれた。 しかしバツの悪いことに、 山田監督が休養を発表するとチームは生き返ったように反撃を開始、 残り試合を十四勝五敗と勝ちまくり、 最終順位をリーグ二位で終えたんだ。
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三澤興一 (帝京高) 二回戦で桐生第一に敗れる。 【1991夏】ベスト8 準々決勝で大阪桐蔭に敗れる。 【1992春】優勝 五試合四十五イニングで防御率0.80と力投。チームを優勝に導いた。 【1992夏】一回戦敗退 一回戦で尽誠学園に敗れる。 |