|
||||||||||
浜・谷繁がメジャー挑戦という名目でFA宣言すると、 中日編成・児玉代表補佐は素早く動いた。 「谷繁は英語がしゃべれない」 「サインも三つまでしか覚えられない」 という情報から分析するに、谷繁のメジャー挑戦は本気ではないのではないか。 森監督がミーティングで難しいことばっかり言うから、 移籍したくなったんじゃないだろうか。 一方の谷繁はアメリカに渡りメジャー球団のテストを受けたりしたんだけど、 好条件のオファーは無く、国外と並行して中日・横浜との交渉も進めた。 そして新しく就任したばかりの中日・西川球団社長は、 十一月九日、谷繁との交渉の席で、 「正捕手確約」「三年総額七億以上」「将来の指導者手形」を約束 したんだ。(西川新社長はバスケット畑の人で野球に関しては素人だから、 実際に条件を設定したのは別の人だろうね) さて、ここで問題になるのは、 正捕手の中村武志 の立場だ。 中日には既に正捕手の中村武志がいる。 なのに、移籍交渉中の選手に「正捕手確約」の手形を切って交渉したんだよ。 中村さんは前年の契約更改で、伊藤修球団代表(二〇〇〇年オフ当時)に 「出場百二十試合なら翌年から複数年契約」という“口約束”を受けていた。 そしてそのシーズン、中村さんは百三十四試合に出場しノルマを達成した。 そんなところに球団が今度は谷繁に「レギュラー確約の三年契約」。 同じポジションの二人に複数年契約と、 レギュラーポジションのダブル・ブッキング をしたんだ。
十一月三十日、中村さんと中日球団は一回目の契約更改交渉を行い、 伊藤一球団総括は「谷繁にレギュラー確約した」 ことを認め、中村さんに謝罪したものの、 肝心の 谷繁への提示条件(=正捕手確約)そのものは撤回せず。 中村さんへの金額提示もなかった。 さあ、賢い読者の皆さんは、もう気づいたよね。 この『ドラゴンズ近現代史』では、 なぜか他球団の歴史、「読売時代の落合博満の退団経緯」を紹介している。 「FA宣言した清原との交渉の場で四番ファーストを確約し、 落合の退団を約束する」というのが読売フロントの汚いやり口だった。 それと同じことが、ここで行われたんだ。 ☆ ☆ ☆ ☆
その後、球団から中村さんに二回目の交渉の連絡はなかった。 中村さんは、契約更改交渉の場も与えられず、 「谷繁の返事待ち」で放置 された。 ☆ ☆ ☆ ☆
そして十二月二十五日、谷繁が中日へのFA移籍が決定すると、 翌二十六日にようやく中村さんと二回目の交渉、球団からの金額提示はなく、 「本人からトレードの申し出があった」ことにして 中村さんの退団が決定、 二十八日に中村さんの横浜ベイスターズへの移籍が発表される。 |
平松一宏 (ひらまつ・かずひろ、2002-2005) 谷繁元信 (たにしげ・もとのぶ、2002-) 栗山聡 (くりやま・さとし、2002-2003) 藤立次郎 (ふじたて・じろう、2002-2003) 中山裕章 (高知商) 準々決勝でPL学園と当たり、 清原・桑田にアベック・アーチを浴びて終了した。 近藤真一 (享栄高) 【1986夏】ベスト16 緒戦で一安打十五奪三振の完封勝利。 二回戦では久慈照嘉の東海大甲府に2−1で勝利、 三回戦で岡林(ヤクルト)の高知商に1−2で敗れた。 三試合を一人で投げぬき失点3、自責点2と好投し、 中日にドラフト一位指名された。 ちなみにこのときのキャッチャーは長谷部裕。 |