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第二次星野時代

天才・種田を放出 2001年

星野仙一
中 日の誇る イケメン・種田仁 の横浜への電撃トレードが発表されたのは、開幕して間もない四月後半のことだった。

 横浜はこの年から元西武の森監督が就任したことで、 それまで自由気ままな野球がモットー、 勝ち負けなんか気にしてる様子が全くなかったチームカラーを一変、 勝敗重視の管理野球へイメージチェンジを図った。

 これにより自由気まま野球の象徴のような波留敏夫が森構想から外れ、 トレード要員となってたんだ。 それに中日が食いついたんだね。

 別に波留とか全然中日の補強ポイントじゃなかったんだけど、 一億円プレーヤーの処遇が宙に浮いてると聞き、 つい衝動買いしちゃったんだね。

 きっとミスターDは『野球つく』が大好きだったんだろうね。

 中日側の交換要員は天才・種田と山田博士。
 特に種田あたりは星野監督のお気に入りで、 代打がメインだけど実は内外野守れるユーティリティ・プレーヤー。 前年にカムバック賞を受賞し、「さあ、これから」という矢先のトレードだった。

 いつもなら主力をトレードするときは何かしらコメントを出したり、 「ワシはチームのために涙で送り出した」的な泣かせるエピソードを演出する星野監督なのに、 種田放出についてはノーコメント。

 このあたりから、 「星野は全権監督じゃ無くなったんじゃないか?」 との噂が流れるようになったんだ。


波留敏夫
波留敏夫
(はる・としお、2001-2002)
 横浜時代は主にお笑い担当&ガッツマンとしてスターダムにのし上がったが、 中日ではナゴヤ独特の「関西も関東も合わない風土」にお笑い不発、 ガッツマンとしては同タイプの関川浩一が既にいたので、何をやっても目立たなかった。 魚は陸の上では生きていけない。 波留もまた、横浜でしか生きていけない男だった。

アンロー
アンロー
(2001)
 星野監督が自信のホームページで 「アンローはヤルロー」という見出しをつけたために中日ファンは騒然、 同ホームページの投書コーナーに 「星野監督があんなダジャレを言う人だったとは、ちょっと見方が変わりました」 という投稿が殺到したが、あまりの反響に星野監督が慌てて 「あれはライターが勝手に書いたんや」 と星野ダジャレ疑惑を否定したが、 代わりにゴーストライターの存在を認めてしまった。


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