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第二次星野時代

王貞治の日本一采配 1999年

星野仙一
歴 代最高の投手陣と、ドーム型機動力野球。 前評判では中日が圧倒的有利、 十人の評論家がいれば十人、中日の日本一を予想した。

 しかし、ダイエーとの日本シリーズ、 中日は一勝四敗と惜しくも日本一を逃す。

 日本シリーズでの中日は、 シーズン中に活躍したレギュラー陣がパッタリ打てなくなり、 それでも星野監督は「そのうち打つはず」と使い続け、 最後まで調子が戻ることはなかった。

 このシリーズのターニング・ポイントは一勝一敗で迎えた第三戦。
 ダイエー・王監督は六回まで ノーヒットノーランを続けていた永井に、 七回の攻撃で代打を送った んだ。

落合にきけ!
落合博満 『落合にきけ!』 p.110より
 それは七回表ダイエーの攻撃で起きた。 二点リードでの一死一三塁、 それまで無安打の好投を見せた永井智宏投手の打席に王貞治監督は代打を立てた。 ネット裏では「なんでここで替えるんだ」というのが大方の見方だったに違いない。 私も記者席にいたが、思わず「えっ」と声が出た。 正直いって驚いた。 私なら永井投手をそのまま打席に立たせ、続投させただろう。 ところが、王監督は違った。 が、よくよく考えてみると、 無謀でも奇襲でも奇策でもない。 王監督は自分のチームの勝ちパターンをいち早く作り勝ったのだ。 永井、篠原、ペトラザの継投策はペナントレースと何ら変わらない。 ただ見落としてたのは、パ・リーグは指名打者制があるが、 日本シリーズのナゴヤドームではそれがなかったことだ。 投手が打席に立たなくてはいけないことだけが普段の野球と違っていた。

 王監督の勇気ある采配がダイエー・ナインに運を引っ張り込んだ。 シリーズの流れを変えた。これが野球の面白さなのだ。


 どこかで聞いたような話 だね。

このときは誰も「王監督はKY監督」と騒がなかったのか。 青コアラ
金コアラ このときは誰も「王は監督の器じゃない」と騒がなかったのさ。

 そしてダイエーは永井→篠原→ペトラザと、 このチームの必勝パタンで三戦目を勝利し、 そのまま勢いに乗り三連勝で日本一になったんだ。

1999年

日本シリーズ第一戦

野口茂樹
[先発][野口茂樹][●]

日本シリーズ第二戦

川上憲伸
[先発][川上憲伸][○]

日本シリーズ第三戦

山本昌
[先発][山本昌][●]

日本シリーズ第四戦

武田一浩
[先発][武田一浩][●]

日本シリーズ第五戦

野口茂樹
[先発][野口茂樹][●]

日本シリーズ表彰選手
敢闘賞 川上憲伸

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