|
||||||||||
してこの開幕十一連勝で大活躍したのが、後に 「真の主砲」「桜島のような男」「超イケメン」 と呼ばれる スーパースター・井上一樹だ。 一九九九年初頭、背番号「99」になぞらえ 「今年はオレの年やで!」 と言い出した井上は、 プロ十年目で七番ライトのスタメンに定着、 他チームに「恐怖の七番」と恐れられるようになる。 「恐怖の〜」というのはもちろん 顔が恐い という意味だ。 その威圧ある顔に萎縮した相手投手は体がすくみ、痛打を浴びてしまうんだ。 この年、井上は開幕からプロ野球史上二位となる(一位は阪神・和田) 開幕二十一試合連続安打を記録、 十一年振りのVを目指す中日のぶっちぎり開幕ダッシュの原動力となったんだよ。
「ワシが育てた」「ワシが、ワシが」「手柄は全部ワシ」 といつも言ってるイメージが強い星野監督だけど、 コーチ陣へのフォローはしっかりしている。 野口を育てたのは宮田コーチ、 岩瀬を育てたのは山田久志コーチ、 福留を育てたのは高代コーチ、 井上を育てたのは水谷コーチ。 こういった周辺のスタッフへの気配りが、 俗に“星野閥”と言われるグループの結束を固くさせるんだろうね。。
|
井上一樹 ・1988年、外野手として甲子園出場(鹿児島商業)。三塁打を放ち大器の片鱗を見せる。秋から投手専任。 ・1989年夏、鹿児島大会決勝で大西崇之率いる鹿児島商工(現障南)に敗れる。 ・1989年秋、ドラフト二位で中日に投手として入団。左の本格派。 ・1995年から野手転向。同年、ジュニアオールスターでMVP獲得と天才振りを見せつける。 ・1999年、開幕二十一試合連続安打(日本歴代二位)。ピンクのリストバンドで話題に。 ・2003年、プロ野球界では一人しか選ばれないゴールデン・スピリット賞を受賞。 心技体揃ったスーパースターと誰もが認めた。 ・2004年、日本シリーズで一人気を吐き敢闘賞。 ・2005年、FA権取得も、ドラゴンズへの愛情から行使せず。 ・2006年、選手会長就任。名実ともに中日の「顔」となる。 ・2008年シーズン終了時点で通算安打860本。 二千本安打まであとわずか1140本とリーチをかける。 |