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第二次星野時代

山田久志コーチを招聘 1998年

星野仙一
山 田久志は阪急時代はスーパー・エース。 二百勝投手であり、 阪急の消滅がなかったら本来は監督になっている人材だ。

 その山田久志が、読売に「投手コーチ」として招聘を受けた。

 だけど久志はそのコーチ要請を断る。記者会見の席で久志は、

  「断った理由は一個や二個じゃない。百個くらいある」

 と言い放ち、読売以外の十一球団ファンの喝采を浴びたんだ。

優しさの配給、強さの制球
中村克洋 『山田久志 優しさの配球、強さの制球』 p.145より
 たしかに、長嶋さんからも誘いは受けました。9月の初めごろだったかな。

 「これはある意味オーナー命令だ」と言われたんですよ。 (少し声を落として) でも長嶋さんの言葉もあんまり響かなかった。

 オーナーが「絶対獲れ」と言うのはいいとして、 「じゃあ、長嶋さん、あなたはどうなの?」ってことですよね。

 説得の際、「オーナーが」「オーナーが」と繰り返す長嶋に、 長嶋自身の言葉が無かったことが久志は気に入らなかったんだね。  もしも長嶋が久志に下げる頭を持っていたら、 セリーグの歴史は変わっていたかも知れない。

 こうして、長嶋茂雄からのオファーを断った山田久志に、 星野監督が敢然とアタックした。

ハードプレイハード
星野仙一 『ハードプレイハード 勝利への道』 p.65より
 宮田コーチの読売行きを、 サンディエゴのホテルで聞いた私はすぐに電話をつかんだ。
 相手は山田だ。山田投手コーチの招聘の再開だった。

 佐藤毅球団社長に「これからすぐに帰ります」と一報し、 山田の携帯電話に連絡を入れた。彼は東京にいた。

 「えっ、いまアメリカからですか?」
 「話があるんだ」

 これだけで彼にはピンとくる。続きも聞かずに、いきなり、 「その話はカンニンしてください」という。

 「明日、日本に帰る。名古屋空港に着く便だから、一番の新幹線で東京に行く」
 「いやあ、その話、カンニンしてくださいよ」
 「俺の顔を見てから、断ってくれ」

 山田久志は、読売からのオファーを断ったことから、 他のどの球団の要請も受ける気はなかかったんだよ。

 そこを星野監督がどう説得したか。

優しさの配給、強さの制球
中村克洋 『山田久志 優しさの配球、強さの制球』 p.146より
【山田】「ヤマちゃん、話があるんだ」と仙さんはこう言うんですけれど、 こっちはもう分ってるから、すぐ言ったんだ。
「イヤ、もう分ってるよ。ダメだよ。そんなことは絶対出来ないから」

【中村】やっぱり最初は断ったんですよね。それから星野さんはどうしたんですか?

【山田】電話で話したとき、こっちは夜だから、向こうは朝か昼じゃないですか。 彼がすごかったのは、日本が朝になるのに合わせて、 そのまま飛行機に乗って名古屋まで飛び、 朝一番の新幹線で東京のボクが泊まっていたホテルまでやって来たんですよ。

【中村】えっ、電話を切ってすぐにですか。恐るべき行動力ですよね。

【山田】その朝、仙さんと会った時点でボクがもうウルウル来てましたから。 そういう行動をされるとね。それでも絶対に断ろうと思っていましたよ。
 「ボクもこの世界で野球を30年やって来ている。ミスターとは長年の付き合いがあるにも関わらず、 その誘いを断っているんだ。だから仙さん、申し訳ないけれどわかってよ」
 「いや、分かっている。ぜんぶ分った上でこうやって頼んでいるんだ」
 そんな押し問答が二時間は続いたよね。
 でも決定的だったのは、あの人のファイトに負けたといえば負けたんですけど、 「優勝できる。その自信がある。でもいまのままでは優勝はできない。 お前の力がなければできないんだ」という言葉でしたよね。

 こうして久志は口説き落とされ、 「中日の投手力を落としてやろう」 という後ろ向きな理由で宮田コーチを引き抜いた小ズルい読売は、 結果として、 宮田コーチ以上に優秀な投手コーチ を中日に入団させてしまったんだ。


山田コーチ就任会見

1998年
トレード
1998年トレード

人物紹介
河野亮
河野亮
(かわの・りょう、1999)
 シーズン途中のトレード移籍ながらペナント中は温存され、 日本シリーズに電撃登録され“中日の秘密兵器”と言われた。 だが、秘密のまま終わった。

島崎毅
島崎毅
(しまざき・たけし、1999-2000)
 二軍のチームリーダー。 若手からの信頼は厚く、 引退後は日ハムのコーチになった。 趣味は日曜大工で、 折れたバットで工芸品を作る地球に優しいエコ・コーチ。

武田一浩
武田一浩
(たけだ・かずひろ、1999-2001)
 シーズン中なのにYahoo!掲示板に自分の競馬予想を投稿していた競馬好き。 日ハム(東京)→ダイエー(小倉)→中日(中京)→読売(東京)と、 競馬場のある地域を選んで球団を渡り歩いた。

リリアーノ
リリアーノ
(1999)
 李鐘範の不調で保険として六月末のギリギリに獲得。 しかし試合で目撃した者は少なく、 シーズン途中入団だっため選手名鑑にも掲載されていない。 ファンの間では「リリアーノという、 目がふたつで鼻がひとつで口がひとつある選手がいるらしい」 と都市伝説になった。

仁平馨
仁平馨
(にへい・かおる、1998-1999)
 カープ時代は「金本に代わり代打・仁平」、 「仁平敬遠で緒方勝負」などの数々の伝説を持ち、 “金本や緒方よりすごい男”と呼ばれた。


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