こでちょっと、よその球団の動向に目を向けてみよう。
この年、西武の清原和博がFA宣言で読売に移籍。
その交渉の際、読売フロントが清原に
「ポジションが被る落合は解雇する」と約束していた
ことが明らかになったんだ。
すったもんだの末、落合は読売を出されることになる。
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落合博満・鈴木洋史『不敗人生』p.20より
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今回のことは社長も監督も蚊帳の外に置かれていたと、俺は今でも思っている。
チームの内外からいろんな情報を取り寄せてみたけど、
あの2人はフロントの動きをあまり知らなかった。
最後に監督、社長と会談したときも、そう思った。
俺の耳に入ってきた情報によれば、
フロントはこういうことも言ってたというんだ。
「ジャイアンツの人事権は渡辺社長ではなく自分たちにあるんだから、
落合の一件に関しては社長にも一言も言わせない。
社長が何を言おうと、監督が何を言おうと、切るものは切る。
社長も監督も関係ない、俺たちがやるんだ」と、ね。
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読売フロントは
「(長嶋)監督が落合を必要だと言っても、経営の問題もあるから簡単には行かない」
と発言、さらに清原とのFA交渉の席で落合の解雇を伝えていたことが発覚、
「(落合とは)年俸一千万でも契約しない」との発言も新聞に掲載された。
この報道を受け、ノブタンは
「そういうことなら自由契約にしてほしい」
と要求、落合は
「俺の処遇が清原待ちというのは失礼だ。俺が要らないなら、
十月の時点でクビを切ればよかったんだ」と取材陣にぶちまけた。
騒動が大きくなると読売は緊急首脳会談を開き、
「解雇とは誰も言っていない」と一転、落合残留を発表する。
しかし、落合と読売フロントの“マスコミを介した言葉のやり取り”は泥沼化し、
落合も迂闊な発言をしてしまうもんだから、
しまいには味方だった渡辺オーナーまで怒らせてしまい、
ついに落合の読売退団が決定するんだ。
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落合博満・鈴木洋史『不敗人生』p.32より
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(前の年まで球団代表だった)保科さんだったら、こんな馬鹿なことはしないよ。
同じ俺をクビにするにしても、じっくり話し合って結論を出していたはず。
マスコミ操作をして、お互いに気分が悪くなるようなことはしていないよ。
俺がいたときの中日のフロントというのは、
しっかりしていたし、
保科さんがいたころのジャイアンツのフロントもしっかりしていた。
でも、今年のジャイアンツのようなフロントは今まで見たことがないよ。
「お前、今年限りでクビだよ」と言われても、
俺は傷つきもしないし、そんな馬鹿なと怒ったりもしない。
ああ、そうなの。
それで終わったんだよ。
我々の世界は契約社会だから、いくら本人が野球をやりたい、
このチームに残りたいと言っても、
チームに契約する意志がなければやめるしかないんだから。
俺はそのことを十分わかっているからね。
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「中日のフロントはしっかりしていた」、か。
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その後、中日フロントは入れ替わり、
中村武志に同じ仕打ちをすることになるんだがな。
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読売にFA移籍した選手に幸せなし。
こんなところでも落合は、「先頭を切って行動を起こして、後続の選手の手本となる」
ことをしていたんだね。
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益田大介
(ますだ・だいすけ、1996-2001)
強肩を買われて“ドームの申し子”としてレギュラーになったが、
レフトからの返球は鈴木尚典(横)並みに衝撃的だった。
日笠雅人
(ひがさ・まさひと、1996-2000)
入団時に「契約金はいりません。活躍してから貰います」
と言い放った男の中の男。
樋口一紀
(ひぐち・かずとし、1996-1997)
守備練習に一所懸命すぎて、
打撃練習するのを忘れていてレギュラーになれなかった。
コールズ
(1996)
一番打者として打率三割以上、
二十九本塁打、七十九打点という申し分のない成績だったが、
「ドーム野球に合わない」という理由で解雇された。
森廣二
(もり・こうじ、1996-1997)
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