刊ドラゴンズ一九九三年十二月号では、
『落合やっぱりFA宣言!!その真相』
という三流週刊誌並みの見出しの記事が巻頭カラーで掲載された。
もっとも「真相」と書いてはいるけど、何処にも「真」はなく、憶測ばかり。
ご丁寧に本文と別枠に
『あんなこと こんなこと』
というコーナーを設け、要約すると
「落合は家のローン返済で金に困ってるから読売に行った」
というのが“真相”なんだそうだ。
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月刊ドラゴンズ 一九九三年十二月号 p.3より
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「あんなこと こんなこと」
落合宣言の真相を探る材料に、こんな話、あんな話を紹介してみよう。
★バブル崩壊の余波を受けて、とにかくお金がほしい。
名古屋のマンション、東京・世田谷区の一軒家、和歌山県・大地町の記念館、
ほかに購入の土地があるとか。
この不動産のローンに加えて税金、維持費などで、
毎月の支払が四百万円とも六百万ともいわれる。
だから年俸ダウンは避けたい。
テレビ朝日でナマ宣言の出演料は百万円は下らぬとも。
★ナマ放送宣言で「死んだオヤジが“お前は読売のユニフォームを着なきゃだめだ”
というくだりがあったが、オヤジとは信子夫人の父親だった。
てっきり落合の父親と思って報道した新聞も多かった。
★「中日に残ってもよい」と本人が迷ったときもあるが、信子夫人は
「引退するぐらいならFA宣言しなきゃ」と、しりをたたいたとか。
★FA宣言に対して中山球団社長は
「特定の球団に入りたいと宣言したら、慰留はしない。
戦う集団は去る者は追わない」といった。
中日に慰留の意思はないことを、
本人も勘づいていたかも。
★まだ宣言前だったが三日、名古屋市・松坂屋で
「プロ野球なんでも放談」のトークショー。
田淵幸一氏が「落合は読売に決まりだよ」のドッキリ発言、
これを受けて星野前中日監督は
「宣言した場合は出てもらって結構なんですよ。
高給をもらっておきながら、ドラに対して愛情がない」
というと、会場から一斉に拍手が沸いた。
★某紙が中日に残れない事情があったと報じた。
ヤクルトとの激しい首位争いの最中に
“落合読売”の情報が流れた上に、
高木監督を“あの人”呼ばわりして
“あの人を胴上げする必要なんかない”
と発言してナインをしらけさせたというのである。
この発言がフロント幹部の耳に入り、
落合評価がガタ落ちし、
トレード話が出てきたとか。
★自宅での取材になると、ドラ番たちはいつも長男副嗣クンの“お守り”にへきえき。
ドラ番の一人が犠牲になって、わんぱくの防御役に回って、
後で他の記者から話の内容を教えてもらうそうだ。
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福嗣は関係ないだろう。
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バッシングしやすい空気になったら
グラウンド外のこともプライベートも関係なしだな。
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『月刊ドラゴンズ』の発行元は中日新聞社だ。
大本営の立場としては、
「落合はカネで出て行った」
「落合はみんなに嫌われている」
「だからチームに取っては悔しくも何ともない」
「来年思いっきり恨みをぶつけてやろう」、
という空気にしておきたかったんだろうね。
「落合FAの真相」とは全く関係のないフックンのお守りの話を載せてるあたりに、
意図的に
「落合を嫌われ者にしよう」という書き手側の意図
がはっきりと見えるよね。
ナゴヤで独占状態の中日新聞がこんな論調なもんだから、
地元での「落合憎し」のマイナス感情は膨れ上がり、
やがて落合監督就任時に中日ファンは二つに割れることになるんだけど、
それはまだ随分先の話。
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渡部司
(わたべ・つかさ、1970-1979)
権藤博と星野仙一の間に背番号「20」をつけた幻のエース。
引退後は中日の打撃投手に転身し、
落合が中日に移籍した一九九七年、
落合がその投球技術に惚れこみ指名パートナーとして影の貢献者となった。
落合がFAで読売に移籍する際には、
「渡部さんも是非一緒に来てくれないか」と誘われたが、
「家族を置いて東京へは行けない」と断った。
平田洋
(ひらた・ひろし、1994-1998)
高卒新人で契約金一億円は当時の高卒新人最高金額。
最初につけた背番号は「11」だったが、
川上の入団時に背番号を「17」に変更、
サムソン・リーの入団時に「60」に変更と、
出世魚ならぬ降格魚で背番号が大きくなっていった。
鳥越裕介
(とりごえ・ゆうすけ、1994-1999)
打率二割前後という
内野手としてはあり得ない数字で星野監督に一年間レギュラーとして使われ続け、
さんざんチャンスを与えられても結果を出せず、
脱税事件を起こし球団イメージを汚し、
裁判では常識のない受け答えで裁判長に叱られプロ野球選手の評判を落とし、
さんざん周りに迷惑をかけた末にダイエーにトレードに出されると、
「トレードしてくれたおかげで日本一になることができました!」
と中日ファンを挑発した、名古屋地裁の裁判長が言った通りの人。
遠藤政隆
(えんどう・まさたか、1994-2006)
でっぷり牛。入団時はでっぷりしてなかった。
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