合には当初、FA宣言する気はなかった、と言われている。
中日には恩義を感じていたし、選手の気心も知れてたし、
名古屋も住みやすい町だった。
名古屋にすっかり腰を落ち着けようとしていた落合。そのケツをたたいたのは、
落合夫人・ノブタン
だ。
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落合信子 『一心同体 愛と人生、成功のセオリー』 p.184より
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名古屋で七度目の夏を過ごし、秋が次第に深まっていくころ、
私は夫に胸の内を打ち明けました。
「ねぇ、あなた。私そろそろ東京に帰りたいわ。
福嗣も来年小学校に入学だし」
「おまえ、オレに野球やめろって言うのか?」
「違うわよ。FAがあるじゃない。
せっかくできた制度なんだし、
後進のためにも、あなたが先陣をきるべきよ。
それこそあなたの役目よ」
「オレは中日に骨を埋めるつもりだ」
またです。
七年前の<怒りのマグマ>がよみがえってきました。
落合は自分の<におい>がついた場所ならどこでも骨を埋めたがるのです。
大の男がみだりに骨を埋めてもらっては困ります。
骨はお墓に埋めれば充分。
「どぉーしてアンタはいつもぬるま湯から出てこれないのよ!
名古屋でやり残したことがあるの?
胸はって『オレがやる』っていう目標があるの?
このまま中日から肩を叩かれる日を待つわけ?
せっかくFAっていうチャンスがあるのに、
何でそれに挑戦してみようと思わないのよ!」
相変わらず落合は黙っています。
私はいつものように、落合に考える時間をあたえ、
密かに東京に戻るための策を練ってました。
やはり落合ひとりに任せられません。
私の出番です。
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「私の出番」じゃないよ、ノブタン?!
そーゆーんじゃないから!!
出番とか、そーゆーんじゃないからっっ!!
そしてノブタンの口車に乗せられ、もとい、説得されて、
落合は「FA宣言するかも宣言」をして、
リーグ戦終了後に中日球団との交渉の席についた。
(当時は「FA宣言するかも宣言」→「所属球団と交渉」→
「その結果、本当にFA宣言するかしないかを決める」というシステムだった)
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落合博満 『激闘と挑戦』 p.49より
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ところが、中日と契約更改の話をしたとき、
中山(了)球団社長がどこからそういう情報を仕入れてのかわからないんだけれど、
もうオレとジャイアンツの間で話が出来ているという先入観が強くて、
中日と契約しようという話までいかなかったんだよ。
で、今、ウチと契約するならこの金額を出すけれど、
FA宣言した後に改めてウチと契約交渉するなら、そこからいくら下げてこの額になる、
と言われたんだ。
その話を聞いて、“ああ、これがFAなんだな”と思ったね。
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年俸がその選手に対する評価だとするなら、
FA宣言したかしないかで評価が違う
なんて、おかしな話だよね。
FA制度は「選手に正当な評価を与えないシステム」として、
一年目から破綻していたんだ。
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パウエル(ゾウさん)
(1992-1997)
中日に六年在籍し三度の首位打者を獲得した優良外国人。
根がまじめ過ぎて、
「選手がいつ殴られるかびくびくしているゾウ。よくないゾウ」
と監督室に指導方針について意見をしに行くと、
翌年解雇された。
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