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高木時代

高木ドラフトの不作 1992年

高木守道
ド ラフトはとにかく地味なドラフトが続いた。


 星野監督時代はありとあらゆる裏ワザを駆使して強引に有力新人を獲って来ただけに、 高木監督のノーマルな正統派ドラフトは、 中日ファンには物足りなく感じられたんだ。

中日ファンなんて「新人は新人王を獲るのが当たり前」と思ってるからな。 青コアラ
金コアラ 二年目以降に壊れるのも当たり前と思ってるからな。

 第一次星野時代と高木時代を比べると、 ドラフトでは以下の選手を指名している。

〜 星野・高木のドラフト比較 〜

 星野時代は五年間で新人王を三人輩出し、 もう二十年も前のドラフトなのに、 いまだに元気で現役をやってる選手が四人もいるね。

 一方、高木時代の選手は、 全滅 だ。

ドラフトで不作だからといってトレードに力を入れるでもなし、 星野独裁政権からフロント主導に変わった途端にこれだ。
青コアラ
金コアラ チーママ監督のつらいとこだな。


1992年
ドラフト
1992年ドラフト

人物紹介
佐藤秀樹
佐藤秀樹
(さとう・ひでき、1993-1998)
 松井秀樹を抽選で外した中日がヒデキ繋がりで強行指名。 ダイエーを逆指名していた佐藤は 「まさか中日が。頭の中はクエスチョンマークでいっぱい」 の名言を残した。 十・八では謎の敗戦処理登板で名を残した。 脱税事件では警察の調書に名を残した。

鶴田泰
鶴田泰
(つるた・やすし、1993-2000)
 故障と涙の復活を繰り返した「ミスター涙の復活」。


1992年
トレード
1992年トレード



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