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高木時代

ドラフトでイチローを見落とす 1991年

高木守道
新 監督に高木守道を迎えた一九九一年オフ、 この年のドラフトで、平成を代表するスーパースターがオリックスに指名される。

 愛知県・愛工大名電高校の鈴木一朗投手だ。

 この年の春のセンバツ、一回戦で鈴木の愛工大名電は上田佳範の松商学園と当たり、 両エースの投げ合いとなった。 この試合で、鈴木は上田に対し五打数ノーヒットの五タコ、 上田は四打数三安打の猛打賞と鈴木をメッタ打ちにし、 愛工大名電は一回戦で姿を消したんだ。

 つまり、上田が一回戦でイチローをフルボッコにしたおかげで イチローは中日スカウトの目に留まらず、 オリックスに四位なんて安値で買い叩かれた んだね。


上田め…! 青コアラ
金コアラ ま、守道のドラフト運の無さを考えたら、 仮に指名してても抽選で外しただろうさ。

 この後、イチローはご存じのとおりの大活躍。 中日スカウト陣は上層部に 「地元にこれほどの宝がいたのに、スカウトは何をやっていたんだ!」 とこっぴどく怒られ、 以降、ちょっとでも素質のありそうな地元選手は、 ピンでもキリでも片っ端から取るようになったんだ。

 時に中日は「地元出身の特に目立たない選手」をドラフトで獲るときがあるけど、 それはこのイチロー獲得失敗のトラウマがあるからなんだよ。

ああ、竹藪で一億円拾った人がいたから、 その後ホイホイとその竹藪に行く感じだな。 青コアラ
金コアラ もう一億円など落ちてないのにな。

 この年のドラフトでは中日は斎藤隆を一位入札し、 横浜に抽選負け (このとき中日が引き当ててたら、タカシもササキのパシリにならずに済んだのにね)、 ハズレ一位で落合英二を獲得した。
 落合英は大学時代にマックス百五十キロだった速球が肘の故障で百三十キロまで落ち、 手術してどうなるか、というバクチ指名だった。

 三位には浜名千広を指名入札したけどこれもダイエーに抽選負け。

 こうして高木監督時代はデビュー前から“抽選負けの守道”として、 ここぞという場面での勝負弱さ を見せつける。


人物紹介
デビッド
デビッド
(1991)
 スコット・デビッド・サービス。 ミドルネームが登録名となった珍しい例。 「スコッと打たれそうだから」「ホームランをサービスしそうだから」 と、ここでも球団は親からもらった無二の名前にケチをつける。

アンダーソン
アンダーソン
(1991-1992)
 百九十三センチの長身右腕。 オーバースローとサイドスローを混ぜるなどトリッキーなピッチングもする。 外国人ワーストタイの九連敗、リーグワーストの年間十四敗など、 記憶よりも記録に残る助っ人だった。 十四敗しても先発ローテーションから外せない、 というあたりが当時のチーム事情を伺わせる。

1991年
ドラフト
1991年ドラフト

人物紹介
落合英二
落合英二
(おちあい・えいじ、1992-2006)
 肘の故障で一年目はリハビリになることが分っていながら 敢えて一位指名した将来のエース候補。 英二の肘には手術でサファイヤが埋め込まれ、ニックネームは 「サファイヤ王子」。 井端の肩に白蛇が捲きついていることを見抜いた。 人に見えないものが見える、 たぶん本名と残りの寿命も英二の目には見えてるはずだ。

1991年
トレード
1991年トレード



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