フになるとネタのないマスコミは、「落合博満vs星野監督」
の対立ネタで、火のないところに煙を立てる。
一九九八年一月十八日のスポーツ紙に、次のような見出しが踊った。
『落合、星野指令無視』
昼神温泉で自主トレをしていた落合は、
マイペース調整について取材記者に聞かれ、
「オレは自分のペースで調整する。若い選手と同じメニューはしんどいから、
それで罰金を取られても仕方がない。
自分のペースで開幕に間に合わせて、タイトルを獲ってチームの優勝につなげる。
無理してケガをするより、結果的にそっちの方がチームのためになる」
といった意味のことを言ったんだ。
しかしそれは、
「落合が星野に反旗」
という論調で翌日の新聞に書きたてられた。
さあ、球団と落合の“マスコミを介したキャッチボール”が始まるぞ。
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落合博満 『野球人』 p.14より
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これは18日のスポーツ紙で一面に掲載されたのだが、
見出しは『落合、星野指令無視』というもので、
私の発言はチーム方針を無視することになるものだと付け加えられていた。
また、ご丁寧に、
「罰金を取られるなら仕方ないというのは、
チームの和をないがしろにした発言だ。
(星野仙一)監督が聞いたなら怒るでしょう」
という中山了球団社長のコメントまで載っていた。
そして、この件をめぐってひと騒動が起きた。
19日には、倉敷市で野球教室をしていた星野監督の
「そんなこと報道陣に言わないでチームのスタッフと話し合えばいいのに」
というコメントが載り、
監督と私の関係がよくないのではという論調になってきた。
さらに、20日には再び一面で
『落合、罰金300万円』という見出しが踊り、中山社長の
「落合の発言は絶対に許せない。厳重なペナルティーを科さなければ、
他の選手たちが大打者ならどんな発言でもとがめられないと思ってしまう」
という発言が載った。
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球団は落合の発言を『首脳陣批判』とし、事情聴取も行わないまま
「罰金と開幕からの出場停止」
の処分を電話一本で落合に通告する。
これに落合が怒って、「だったら引退します」って言っちゃったんだ。
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落合博満 『野球人』 p.15より
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私はまったく納得ができなかった。即座に
「私は誰のことも非難したつもりはないし、発言自体も一般論として話したまでだから、
それでもペナルティーを科すというのなら今すぐ野球をやめさせていただきます。
明日、引退会見をしますから球団で場所を用意してください」
と言って電話を切った。
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「一般論として言った」とは思えないが、
ずいぶん直情型だな。落合って人は。
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割と子供っぽいところがあるよな。
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結局、このあと球団は懸命に落合を説得し、
マスコミ向けには「罰金百万と厳重注意」ってことにして、
この騒動を収めたんだ。
球団の面目を保つため、落合は「罰金を払ったこと」にされ、
残ったものは
「落合は監督指令を無視しフロントと対立する問題児」
というファンの悪いイメージだけだった。
一方、この事件で「落合との仲が険悪になった」とされている星野監督の方は。
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星野仙一 『ハードプレイハード 勝利への道』 p.90より
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素顔の落合は、シャイで、神経の細やかな照れ屋である。
彼について、気になるところは二点。
一つは、それでいて、あるいはその故にか、人に対して、
横柄で感じの悪い印象を与えがちなところである。もう一つは、よく、
話を途中で宙ぶらりんにして、あとの半分を相手に考えさせるような言い方をする癖である。
この点は、テレビなどでご承知の方が多いはずである。
そのせいか、「落合、星野監督批判」といった見出しがスポーツ紙を飾って、
私のところへ謝りに来たこともあった。
きちんと言い切らないでいると、
相手に都合の良いように解釈されて、
つまらぬ誤解や騒ぎの種になることがある。
今回の評論家生活(注:二〇〇〇年出版)で、
ぜひ表現力や、コミュニケーションの技術を磨いて欲しいと願っている。
五年間、同じ釜の飯を食った同士。
監督一年目に、自ら動いて獲って、翌年の優勝に大きく貢献してくれた選手である。
ロッテ、中日、読売、日本ハムの選手として、
大変な実績と豊富な経験を積んでおり、
いずれは監督になるだろうが、
独特の味を持った個性的な監督として成功するのではないかという気がする。
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と、極めて客観的に落合という人間を分析している。
意外に、落合のことを一番よく分かっている野球関係者は、
センイチなのかも知れないね。
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ゲーリー
(1986-1988)
落合の野球理論に心酔し、
いいところは取り入れ神主打法にバッティングフォーム改造した。
元メジャーリーガーといった安いプライドを振りかざさない、
野球に対し真摯な優良外国人。ひどい成績になる前に退団したことで、
中日ファンの中では「ベスト・オブ・外国人助っ人」
として名をあげるファンも少なくない。
仁村徹
(にむら・とおる、1984-1995)
笑顔のさわやかな人気者。ファンに優しいとってもいい人。
最後はロッテで野球生活を終えたが、
「いつかは中日の監督に」と復帰を望むファンも多い。
川又米利
(かわまた・よねとし、1979-1997)
こちらもいつも笑顔の人気者。ファンに優しいとってもいい人。
引退後は日テレの解説などで読売贔屓&
軽すぎるトークを披露してしまい、
現場復帰を望む声は低い。口癖は
「ノー感じですね」。
郭源治
(かく・げんじ、1981-1996)
四千円しか持たずに日本に来日したピュアな台湾野球人。
プロ入り前はロッテと仮契約までしていたが、
ロッテがダブルブッキングしたせいで中日がかっさらった。
台湾より日本の方が税金高いのに、
外国人枠のために日本に帰化してくれた義理と人情の名誉日本男児。
引退後に名古屋で経営している台湾料理屋『台南担仔麺』では、
飲み屋と勘違いして酒を連続して注文するお客さんに
「うちは飲み屋じゃないヨー。お酒が飲みたいなら他の店に行ってネー」
と説教する“食にこだわりを持つ男”。
米村明
(よねむら・あきら、1985-1991)
現スカウト。
PL出身なので、
もしかしたら「立浪、パン買ってこい」と言ったら
立浪はパンを買って来るのだろうか。
大宮龍男
(おおみや・たつお、1988-1989)
監督・星野監督に口応えし、打者・落合博満にヤジを飛ばし、
投手・森繁和からのサインに首を振る猛者。
小松崎善久
(こまつざき・よしひさ、1980-1989,1991)
星野監督時代には重要なポジションとされた「乱闘要員」。
ベンチから飛び出し相手選手にタックルをくらわすまで、
光速四秒二のダッシュ力を誇る。
ブライアント
(1988)
外国人枠が埋まっていたためシーズン中に近鉄に金銭トレード。
近鉄では三度のホームラン王を獲得した。
東京エッグの天井スピーカー直撃のホームランを放つなど、
「飛ばすだけなら高橋光信より上」と呼ばれた。
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