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第一次星野時代

平野謙を放出 1987年

星野仙一
星 . 野ドラゴンズは就任一年目のシーズンをリーグ二位という上々の結果を出すんだけど、 星野監督は飽くなき補強に動く。

 前年の谷沢戦力外に続き、 今度はレギュラーセンターで核弾頭の平野謙をトレードで放出し、 再び中日ファンの度肝を抜くんだ。

 しかも交換要員は西武でこの年四勝の小野和幸投手で、 どうにも釣り合わない「大損トレードじゃないか」 とファンの間では言われた。

 だけどこのトレードには、 戦力補強とは別の意図 があったんだ。

ハードプレイハード
星野仙一 『ハードプレイハード 勝利への道』 p.20より
 単純なミス、ボーンヘッドについては怒鳴るだけでいい。 しかし、チームメイトの士気を落とすような、 闘志や気力に欠けたプレイをする選手は許さない。 数年前、選手会長まで務めた外野手がいた。 スイッチヒッターだが、左バッターボックスに入ると、 三球三振をしても平気な顔で帰ってくる。 コーチが叱るのだが、本人は、 「ぼくの左打ちは後天的に作ったものだから、 そんなに粘れないんですよ」と平然たるものだ。

 ある試合で、その選手がランナーで出ているときに、 タイムリーヒットが出た。 全力で走っていればホームに還れるタイミングだった。 ところが、彼は後ろを振り返りながら走ってタッチアウトになった。 選手会長という、選手の手本となるべき立場の中心選手にもかかわらずである。

 私は、シーズン終了後に、その選手をチームから出した。 「ハード・プレイ・ハード」の精神こそが、劣勢をも互角に引き戻し、さらにチャンスを広げる。 この基本精神がチームの目標であり、私の不変の目標なのである。

 要するに、 星野監督のお気に召さなかったから 出されたんだ。

 星野監督は、自分のキャラクターがそうであるように、 闘志を前面に出す選手が好きだからね。 だから、(本当に手を抜いてるかどうかは別にしても) 見た目に手抜きプレーに見える平野みたいな選手は 「イケイケの星野野球」 に合わなかったんだね。

若い彦野の台頭があったとはいえ、 賛否両論のトレードだ。 青コアラ
金コアラ しかし、このトレードは「星野監督の方針」を徹底させるって意味で、 効果的だった。
チーム方針に沿わない選手は、 選手会長だろうと容赦なく放逐するぞと。 青コアラ
金コアラ 「お前らも言うこと聞かないと、レギュラーだろうが関係なく出すからな」と。

 ちなみに平野はこの後、 移籍先の西武で六年連続のゴールデングラブ賞に輝く。 犠打数は“世界の川相昌弘”に抜かれるまでプロ野球歴代一位で、 黄金時代の西武の中心選手として活躍した。

 しかし、だからといってこのトレードが大失敗だったかというと、 そうとも言えないんだ。

 何しろ、代わりに来た小野和幸投手が翌年大活躍、 ドラゴンズのリーグ優勝に大きく貢献するんだから。


1987年
順位表
1987年順位

1987年
表彰選手
1987年表彰選手

人物紹介
小松辰雄
小松辰雄
(こまつ・たつお、1978-1994)
 CBCの解説で落合采配にイチャモンばかりつけるアンチ落合の代表格。 関東ローカルでTBSの解説をやるときは、 快舌読売ファンに変貌する。

1987年
チーム内ベスト
1987年チーム内ベスト

1987年
トレード
1987年トレード

人物紹介
平野謙
平野謙
(ひらの・けん、1978-1987)
 十一歳のときにご両親を亡くし、 お姉さんの内藤洋子さん(エッセイスト)と共に 平野金物店を経営しながらプロ野球選手になったとても立派な人。

豊田誠佑
豊田誠佑
(とよだ・せいすけ、1979-1988)
 練馬区平和台にある中華料理『来来軒』は豊田の実家。 「ドラゴンズそば」は最高に美味しいとの評判だ。


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