らに星野監督は、
パ・リーグで三度の三冠王を獲ったロッテ・落合博満の獲得に挑む。
このころ、落合とロッテ球団との確執が噂され、
ロッテが落合をトレードに出したがっている、
トレード相手は読売だろう、との情報があった。
「読売に落合が入っては、読売に独走されてしまう」
と判断した星野監督は、
読売の落合獲得阻止に動いたんだね。
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星野仙一 『ハードプレイハード 勝利への道』 p.88より
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ロッテと落合の間で、年俸二億円を出すか出さないかで揉めている、
という情報が耳に入った。一方、読売の正力亨オーナー(当時)が
「高額年俸を払えるのはうちだけだ。うちしか落合を獲れるところはない」
との意向を漏らしていという。この二つの情報から、
私は無理を承知で乗り出すことにしたのである。
(中略)
当時に読売打線の顔ぶれを思い出していただきたい。
篠塚利夫、原辰徳、クロマティ、中畑清、吉村禎章、駒田徳広…と、
そうそうたる顔ぶれである。この中にさらに、
落合が入ったらどういうことになるのか。
自分の前後がよければよいほど、その真価を発揮する落合である。
ロッテ時代以上に打ちまくるのは目に見えている。
X9時代再来のような、そんな強力打線を組まれたら、
他のチームはたまらない。
(中略)
問題は見返りの交換要員で、この点で揉めに揉めることになった。
一対二が三になり、最後はエース級の牛島和彦をはじめ、
上川誠二、桑田茂、平沼定晴の即戦力を並べた一対四の交換トレードで折り合いがついた。
四人の選手への通告は、当然ではあるが、本当に辛かった。
特に、生え抜きの主力・牛島の説得が出来なければ、せっかくまとまった大トレードも不成立となり、
球団にもロッテにも多大の迷惑をかけ、球界を混乱させてしまうことになる。
何よりも牛島の了承が大事だった。
牛島には、「中日というチームはいつまでも続く。
監督としての俺は、チームを優先した考えをとるか、
選手個人個人を優先した考えをとるか、
その間に立って判断した。
俺が今のお前の立場で、トレード要員として移籍を迫られたら、
最後にはやはり、チームを優先した判断をせざるを得ないと思う」
という話をした。
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こうして、落合一選手に対し中日四選手という、
一対四の
“世紀のトレード”
が実現したんだ。
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牛島を納得させるための手段として、
「お前がウンと言ってくれないと、
小松に出て行ってもらうことになる」
らしいな。
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…牛島、断ればよかったのに。
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小松と牛島の立場が逆転してたら今頃、
CBCで
小松の鬱陶しい解説
を聴かなくて済んだかもな。
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その代わり、牛島がCBCで鬱陶しい解説をしてたかも知れないがな。
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ちなみにこのとき、ロッテが読売に要求した交換要員は江川卓と原辰徳。
読売は「この二人は出せない」と言って
水野雄仁
で落合を獲ろうとして破談になった。
「エビで鯛を釣る」って言葉があるけど、これじゃ
「イソメで本マグロを釣る」
ようなもんだったね。
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落合博満
(おちあい・ひろみつ、1987-1993)
ロッテで三度の三冠王。
球界初の日本人一億円プレーヤー。
銭闘のイメージが強いが、
ダウン提示に保留したことは一度もない。
ロッテ時代の打撃成績
(赤字はタイトル)
牛島和彦
(うしじま・かずひこ、1980-1986)
ネットで“インテリヤクザ”“牛島伝説”でググると数々のエピソードが検索される。
神山一義
(こうやま・かずよし、1985-1997)
入団会見で父親が「今すぐ二軍で四割打てる」
と豪語すれば、息子は息子で「真っすぐを投げてくれれば半分(五割)は打てる」
と言い放った元気な十八歳。若さとは素晴らしい。
鈴木康友
(すずき・やすとも、1986-1990)
読売コーチ時代は秘技「前に飛ばないノック」で予測外の打球方向にボールを飛ばし、
野手の反応速度を鍛えていた。
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