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六月十日(水)●東北楽天―中日○ の松尾芭蕉と弟子のそらくんが命をかけて旅したというみちのく・仙台。 (命を落としそうになったのは主に芭蕉の方だけであるが) そんな二人の俳人の気持ちになって、仙台宮城球場をおとずれた竜ナインだった。 楽天のスタメンを見ると、中村紀こそ腰痛で抜けたものの、 “仙台の大砲”山崎武司、 “韋駄天”土谷鉄平と元中日勢が主力を形成、 ベンチには“半袖王子”小山伸一郎が控え、 “炎のヘッドスライディング”関川コーチも元気に掛け声を出している。
一回表、いきなりブランコの先制スリーランが飛び出した!
試合は三回までにドラゴンズが十点を奪う一方的な展開。 あまりの大差に、グラウンドの霧が濃くなった四回、 楽天・野村監督はたまらず出てきて審判に 「中止やないか、この霧では野球は出来んぞ」 とゲーム中断を促す作戦に。 しかし、この抗議は審判にあっさり却下された。
こうなると期待されるのは古巣との対戦に燃える山崎武司の一発。 しかし山崎は、第一打席は四球、 第二打席は中日時代から何度も見せてきたスカポンと打ち上げたセンターフライに終わり、 第三打席はサードゴロ、 そして十五点リードされた終盤、 勝敗に全く関係なくなった第四打席で(みんなもう帰りたいのに)(無駄に)タイムリー を放ち、 「ああ、変わってないなあ、山崎は」と中日ファンを懐かしがらせたのだった。
かつて尾張出身の豊臣秀吉が、天下統一の前の最後にして最強の敵、 “無敵の独眼竜”といわれた東北の雄・伊達政宗を、 一滴の血も流さず臣下にし全国制覇を成し遂げたように、 楽天も無抵抗のまま中日の軍門にくだり、東北の地はドラゴンズが制圧した。
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ブランコ 井端弘和 (いばた・ひろかず) 荒木雅博 (あらき・まさひろ) 森野将彦 (もりの・まさひこ) 和田一浩 (わだ・かずひろ) デラロサ 小池正晃 (こいけ・まさあき) 英智 (ひでのり) 谷繁元信 (たにしげ・もとのぶ) 小笠原孝 (おがさわら・たかし) |