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--入団当時の紹介記事

画像 [名前]吉見一起 [誕生日]1984年9月19日 [ニックネーム]ヨシ [好きな食べ物]お好み焼き [好きなタレント]武内絵美 [好きな野球選手]特になし

コントロールとキレで勝負したい

 金光大阪高時代から、中日が追いかけていた怪腕だ。 社会人・トヨタ自動車のエース・吉見は、マックス百四十七キロに四種類の変化球を持つ将来の先発候補だ。 「吉見が投げれば大丈夫というような投手が理想。スピードより、コントロールとキレで勝負したい」と抱負を語った。
 昨冬、「右肘部管症候群」で骨棘(こっきょく)除去手術を受け、五月に復帰。 その後、なかなか球威が戻らず、ふがいない投球を繰り返した。 一時は自信を失いかけ、トヨタ自動車に残留することも考えたが、入団を熱心に誘う中日スカウト陣の思いに腹を決めた。
 そして大学生・社会人ドラフト直後の社会人日本選手権では、全三試合に登板し計十三イニングを一失点と、本領を発揮した。 「今大会は社会人三年間の中で、一番充実していた。トーナメントや連投というプレッシャーの中で投げてきたことは、 プロで役立つはず」と振り返った。
 中田スカウト部長は「肩とひじが柔らかく、球持ちがいい。一年目は無理せず体をつくって、 二年目ぐらいから働いてくれればいい。将来はローテーションに入る器だ」と評価する。 即戦力よりも、将来性を見込んだ指名となった。
 金光大阪高では三年春にエースとして甲子園に出場した。当時から高校離れした球威、 制球力で注目を浴びていたが、一回戦で森岡良介(現中日)のいた明徳義塾に七失点し、敗れた。 試合後、二安打二打点と打ち込まれた森岡から、「ええ球放るやんけ。また夏に来い」と、声を掛けられている。 結局、夏は県大会で敗戦し再戦はならなかったが、中日で四年越しの再会を果たすことになる。
 また、対戦してみたい打者として、同い年のロッテ・西岡遊撃手を挙げた。 高校一年の練習試合で、当時大阪桐蔭高の西岡と対戦し、センターフェンス直撃の大二塁打を浴びている。 「後から同い年と知って、コイツはエグイと思った」と、交流戦での対戦を楽しみにした。
 「自分はライバルとか目標の選手とかを決めない人間。ボクのフォームは変わっているらしいので、 それをまねされるようになりたい」 と活躍を誓った。中田、中里ら期待の大きい右の若手投手陣に、また新たな新星が加わった。

画像 [名前]藤井淳志 [誕生日]1981年5月20日 [ニックネーム]アッツー [好きな食べ物]焼き肉 [好きなタレント]香里奈 [好きな野球選手]イチロー(マリナーズ)

遠投百二十五メートル、肩は誰にも負けない

 「走れ!」。犠飛になりそうな飛球が自ら守るライトに上がった時、そう心の中でつぶやく。 それだけ肩には絶対の自信を持っている。 「肩にはこだわりがあるし、誰にも負けない」と、藤井淳志はキッパリ言い放つ。
 遠投百二十五メートルの強肩に、ランナーの足はくぎ付けになる。 社会人の大会では、藤井の名が通り過ぎて、逆にレーザービームを見せ付ける機会が少ない。 それでも試合前のノックでは、別次元の送球を見せ、ネット裏のスカウトをうならせる。
 中学時代から地元では、名の知れた存在だった。しかし、「親に負担はかけられない」 との思いから、私立の強豪校を選ばず、進学実績の高い愛知・豊橋東高、国立の筑波大に進学した。 豊橋東では県ベスト十六が最高。筑波大でも首都大学リーグ優勝や、 リーグベストナインといったタイトルに縁がなかった。全国大会に出られず、プロは遠い世界だった。
 藤井に転機が訪れたのは、NTT西日本に入社してから。 最初はレベルの高さ、特にパワーの差にがくぜんとした。 しかし持ち前の負けん気で、徹底的にウェートトレーニングで鍛え、体脂肪率六−七パーセントの肉体を手に入れた。
 守備・走塁に加え、打撃でも一気に成長した藤井は、社会人日本代表に選出され、 ようやく日の目を見る存在になった。 九月に行われた野球W杯では社会人で編成された日本代表に選出され、チェコ戦では本塁打を放つなど活躍した。
 福留、アレックス、英智ら鉄壁の守備を誇る竜外野陣に参戦する。来季からは日本ハムから移籍した上田も加わり、 いくら守備が一級品の藤井とはいえ、厳しい戦いが待つ。 「レベルが高い中でやれば自分も成長できる。(レギュラー争いで)負けると思った時点で、プロではやっていけない」 と、ポジション奪取を狙っている。
 熱烈な中日ファンだった父・昌孝さん(47)の影響もあり、子供の頃から中日の試合ばかり見ていた。 唯一ナゴヤ球場に観戦に行った試合のことは、今でも鮮明に覚えている。 「実はボク、ナゴヤドームに行ったことないんですよ」。 あこがれてきたナゴヤドームの舞台で、レーザービームをさく裂させる。

画像 [名前]新井良太 [誕生日]1983年8月16日 [ニックネーム]特になし [好きな食べ物]カレー、ハンバーグ [好きなタレント]黒木瞳 [好きな野球選手]金本(阪神)、福留(中日)

「素材の良さ」は本塁打王の兄以上だ

 調子に乗るヒマもない。四巡目指名の駒大・新井良太一塁手(22)には、辛口の“小じゅうと”が付いている。 ドラフト前には 「まだまだオマエのレベルじゃ、プロは無理だからな。よく練習しろよ」 と、尻をたたかれた。晴れて指名を受けた夜は「浮かれるな」とピシャリ。 携帯電話から聞こえる声の主は広島・新井貴浩内野手(28)。実兄だ。
 子どものときから兄の背中を追いかけてきた。 広島市の地元では、七学年上の兄はいつも有名なスラッガーだった。 大みそかの夜には広島市にある黄金山という山に登る。 兄を追いかけて山頂に着くと、初日の出を拝む。 新井兄弟の姿を象徴する、今も変わらない恒例行事だ。
 尊敬する兄は今年、本塁打王を獲得。厳しい助言には説得力が増した。だから新井良太は謙虚に語る。 「自分はセンスがある方じゃない。不器用なので、声を出して、気持ちを前面に出してアピールしたい」。 広島・広陵高、駒大と、ともに名門で主将を務めた。 東都リーグ通算十四本塁打の実績もある。 だが、鼻にかけたようなところはみじんもない。
 常に愛のムチを打ってくれた兄への恩返しは、兄を超えることだ。 「ボクは、負けない、という気持ちを持ってますし、これからもそう思い続けて頑張っていきたい」
 大学時の比較では、すでに兄を超える能力を見せている。 一年生のとき、駒大グラウンドで驚弾を放った。左中間後方に四階建て合宿所を飛び越えた。 推定飛距離百四十メートル。 同じ駒大出身の兄にもできなかった合宿所越え。 駒大史上、最長不倒弾として語り草になっているアーチだ。 担当の仁村徹スカウトも 「社会人を含めても、球を遠くに飛ばす力はナンバーワン。 兄と大学時代の力を比べると、弟の方が上だと、他球団のスカウトも言っている」 と、太鼓判を押している。
 素材の良さも評判だ。五十メートル走六秒〇、遠投百十メートル。脚力も肩も強い。 筋力も一級品。中学三年時から兄とともに通っている広島市のトレーニングジム・アスリートの平岡洋二社長は 「身体能力の高さは“バケモノ”級だよ」と語る。 実兄と本塁打王を争う日は、近いかもしれない。

画像 [名前]柳田殖生 [誕生日]1982年3月31日 [ニックネーム]ゴリ [好きな食べ物]すし [好きなタレント]畑野浩子 [好きな野球選手]特になし

NOMOクラブ初のドラフト指名

 一度は野球をやめた男が、NOMOクラブでビッグな夢をつかんだ。中日から五巡目指名された柳田殖生は 「荒木さんや井端さんのような内野手がいて、すごく勉強になると思う。早く追い越せるようになりたい」と抱負を語った。
 京都・福知山商では甲子園に出場し、俊足強肩内野手として注目を浴びた。 その後、社会人・デュプロに進み、藤本敦士(現阪神)と三遊間を組み活躍。順風満帆の野球人生だった。
 そんな柳田に転機が訪れる。実家の事情などで二年間プレーしたデュプロを退社した。 実家近くの瓦屋職人の見習いをしながら、まる一年野球から離れた。 「野球漬けだった体がおかしくなった」。
 ちょうど同じ時期に、大リーグで活躍する野茂英雄がNOMOクラブを設立。 柳田は恩師の勧めで第一回のトライアウトを受験し、見事合格した。プロ入りへの光が再び見えた。
 朝七時から建築現場で資材運搬などのアルバイトをこなしながら、夜はチームで練習。 月の収入は十五万円、睡眠時間は五時間程度という生活に耐えながら、夢を追った。 将来の不安は何度も頭をよぎったが、そのたびに 「野茂さんのメジャーでの苦労に比べれば、自分の苦労など大したことはない」と打ち消した。
 チームは創部三年目の今季、都市対抗に初出場。全日本クラブ選手権にも優勝した。 「また野球をできる環境を与えてもらって感謝している」。 柳田は中心選手としてチームを引っ張り、クラブ初のドラフト指名選手となった。
 近畿地区担当の米村スカウトは、「守備はこの一年でかなり成長した。ハングリー精神も買える」と期待を寄せる。 長らく中日の二遊間を守る荒木、井端もベテランの域に差し掛かる。 そのバックアップとなる沢井、森岡ら若手内野手陣は、まだ一軍で実績を残していない。 「一軍でやることしか考えていない」と語る柳田にも一年目からチャンスはある。
 これからはNOMOクラブ出身という看板を背負い、同じようにプロを目指す選手の目標となる。 「クラブチームの創設?ぜひやってみたいですね。ボクもクラブチームに育ててもらったので」と、新たな夢を語った。

画像 [名前]斉藤信介 [誕生日]1982年2月12日 [ニックネーム]ジョニー [好きな食べ物]ねぎラーメン [好きなタレント]鈴木亜美 [好きな野球選手]黒木(ロッテ)

先発、リリーフどっちでもいける

 マウンドにはいつも熱気がこもる。「ドリャー!!」と斉藤信介は一球一球に魂を込めて投げ込む。 好きな投手はロッテの「ジョニー」黒木。 「黒木さんのように、見ている人にも気持ちが伝わるような投手になりたい」と語る。
 ドラフトでは四球団から大量五人が指名を受けたNTT西日本では、エースの座をオリックス三巡目指名・岸田に譲っている。 それでも実力は折り紙付きだ。 サイドスローより少し上の位置から放るマックス百四十九キロの迫力か満点の速球と、 スライダー、フォークを操る。
 香川・高松一高では二年秋の県べスト四が最高。龍谷大では、一学年上の杉山(阪神)の陰に隠れていたが、 大学選手権にも二試合に登板し、プロ入りを強く意識するようになった。
 NTT西日本のセットアッパーとして臨んだ昨年の日本選手権では、計八イニング無失点の活躍でベスト四に導いた。 「全部真ん中目がけて投げていた」と、絶好調の投球で、スカウトの注目を集めた。 今季は調子を崩したが、九月の野球W杯では、けがで辞退した同僚・岸田の代役で、社会人ジャパンに選出。 四試合に先発し、三勝と結果を残した。
 高松で育ち、大学は関西で、名古屋には全く縁がない。 高松では中日戦の中継はほとんどなく、チームの印象も特別ない。 それでも父・博さん(57)は、落合博満監督の現役時代からの大ファンだという。 中日からの指名は、これ以上ない親孝行となったはずだ。 新しい土地では、三巡目指名された同僚の藤井淳志だけが頼りだ。 「知り合いも、友達もいないんで不安。道端で見掛けたら声を掛けてください」 と、メッセージを送る。
 「中日は投手王国のイメージ。それでも自分の投球を続けていけば道は開ける」と、覚悟を決めている。 山本昌のように長く活躍できる投手を目指す。
 近畿地区担当の米村スカウトは、「投げっぷりがいい。先発、リリーフどっちでもいけるし、故障にも強い。 非常にオールマイティーな投手」と評価する。 同じサイドスローからの変則的なフォームで、ルーキーながら今季四十七試合に登板した鈴木義広投手のように、 一年目からフル稼働が期待される。

画像 [名前]佐藤亮太 [誕生日]1983年9月2日 [ニックネーム]リョウタ [好きな食べ物]鶏肉料理、焼き鳥 [好きなタレント]竹内結子 [好きな野球選手]山本昌(中日)

器用さ持つ大魔神佐々木級の素材

 実績はない。知名度もない。でも、将来性がある。素材と素質。 それこそが七巡目指名を受けた国学大・佐藤亮太投手のプロで生き抜くための最大の武器だ。 同大の竹田利秋監督(64)が言う。
 「大化けしますよ。もし社会人に進んで二、三年後のドラフトなら、間違いなく希望枠に入る投手。 中日さんはいいところに目を付けた」
 東北高で元横浜・佐々木、仙台育英高で日本ハム・金村、 さらに国学大でロッテ・渡辺俊を育て上げたアマチュア球界の重鎮が与えるお墨付き。 まずは素材。百八十六センチという長身は、それだけで大器を予感させる。 さらに素質。 今秋からスクリューボールの習得に励み、モノにしてしまう器用さ。 竹田監督をして「体とボールの強さは佐々木、器用さは金村。 二人を足して二で割ったような投手になるんじゃないか」と言わしめる。
 もともとプロ野球への希望は持っていたが、鷺宮製作所への就職も内定しており、 まだまだ先の話だと佐藤本人も思っていた。 だが、ドラフト一週間前に中日のスカウト陣が獲得の方針を決定。急転直下、プロへの扉が開いた。
 「本当にびっくりですよ。僕なんて何の実績もないし…」
 長野日大高時代は二年の秋季大会で四強入りしたのが最高成績。 大学では一年から三年まで勝ち星がなかった。 だが、大学入学直後に竹田監督から 「そのままのフォームだと故障する」と指摘され、三年間みっちりとフォームを矯正してきた結果、 四年の東都リーグ二部で五勝を挙げ、一気にブレーク。 秋季は三勝に終わったが、マックス百四十四キロの速球は、まだ十分に伸びしろがある。
 「大学入学直後はいわゆるアーム式の投げ方で、もうグチャグチャでした。竹田監督のおかげです」
 投げる時、佐藤は必ず「泰然自若」と頭の中でつぶやく。高校時代の野球部長が卒業式の日に贈ってくれた言葉だ。
 「僕の精神的な支え。この言葉のおかげで大学でも勝てた。もちろん、プロでも唱えます」
 高校で、大学で、恩師に恵まれてたどり着いたプロの舞台。 大器の恩返しは、これからの実績づくりにかかっている。

画像 [名前]平田良介 [誕生日]1988年3月23日 [ニックネーム]ヒラタ、リョウスケ [好きな食べ物]母が作ったソース焼きそば、めん類全般 [好きなタレント]特になし [好きな野球選手]イチロー(マリナーズ)

落合監督を超えてみたい

 今夏の甲子園大会準々決勝・東北(宮城)戦で、PL学園・清原和博内野手以来の一試合三発で球史にその名を刻んだ。 大阪桐蔭高では一年秋から四番を任され、高校通算七十本塁打。言うまでもなく高校球界ナンバーワンの右のスラッガーだ。 好きな選手にイチローを挙げるのは、ほかの人がやったことがないプレーをやってのける選手になりたいからだ。 一試合三発に象徴されるように打撃のイメージが強いがそれだけではない。 「守りや足も見てほしい」と平田。 韓国で行われたAAAアジア野球選手権大会の決勝で単独ホームスチールを敢行した。 ギリギリのタイミングでアウトになったが、その心意気に平田が目指す野球がある。
 落合監督がその素材にほれ込んだ。「鍛えればオレ以上の打者になる」と絶賛した。 スカウト陣の方針を転換してまで獲得に踏み切った。 走攻守三拍子そろった外野手を目指すが、こと打撃に関しては同じ右打ちの大打者だった落合監督はこれ以上ないお手本だ。 アーチストと言うよりは、スタンドに力強い打球をたたき込むスラッガーと、タイプは似ている。 「落合監督は読売時代の印象があります。右方向に飛ばす打球とか。 打撃のことについていろいろ聞ければいいなと思います」と“落合道場”に弟子入りを志願。 指揮官の評価を伝え聞くと「(落合監督を)超えられるものなら超えてみたいです」と目を輝かせた。
 小学校一年から野球を始めて、十歳でプロに行きたいと心に決めた。 「日本の球界の頂点がプロだから、野球をやるからにはどこを目指したいと思いました」 と振り返る。念願のプロに入っても変えたくないことがある。 「ピッチャーゴロでも全力疾走する。これは野球をやっているうちは絶対に変えません」。 大胆かつユニークな言動で大物振りを発揮しているが、野球に対する信念は相当なもの。 落合野球に適合する素材だ。
 十七歳の夢は壮大だ。 「日本の野球で頂点に立てる選手になったら、メジャーリーグに挑戦したいと思います」。 高校球界トップの打撃がオレ流の指導で進化を遂げれば、夢は現実になるはず。 久々に出た右の逸材。数年後には竜の四番に座っている可能性は十分だ。

画像 [名前]高江洲拓哉 [誕生日]1987.8.24 [ニックネーム]タカ [好きな食べ物]焼き肉 [好きなタレント]なし [好きな野球選手]川上(中日)、上原(読売)

投手では初の都立出身

 自動車の整備に関係する仕事に就くつもりだった。 卒業後、野球を続けることもあまり考えていなかった。 だから社会人・シダックスから内定をもらえたことでも、感激した。 それが、プロ野球界から誘いがあって、ドラフトで指名されようとは…。 「本当にうれしい。野球を始めたころ、プロになりたいとは思っていましたけど、 そんな話が出てきただけでうれしかったんです、無縁だと思っていましたから」。 都立府中工高三年・高江洲拓哉投手は白い歯を見せた。
 プロ野球の長い歴史で、都立高出身の選手は現在、 都立日野高出身の読売・横川雄介捕手(二〇〇二年ドラフト八巡目)の一人だけ。 高江洲は投手では初の都立高出身者となる。 「横川さんのことは知っていましたし、都立高出身者は少ないと思ってはいましたが、(プロ野球界が) 人ごとだったので…」と照れ笑いするが、“都立の星”がマウンドで大暴れする日は遠くないかもしれない。
 身長百八十五センチ、体重七十一キロの細みの体から、しなやかに伸びてくる右腕。 中日・豊田スカウトは「腕、ひじが柔らかく、高校時代の岩隈(堀越高-近鉄-楽天)をほうふつさせる。 体ができれば、百四十キロ後半は出る」と“岩隈二世”の将来に太鼓判を押す。 最速百四十三キロの直球を軸に、カーブとスライダーで勝負を挑んできた。 そのスタイルは変えない。
 三鷹七小タイガースで小三で野球を始め、小六で三鷹シニアに入るが、 主に捕手と遊撃手。府中工入学時も遊撃手だった。 「本当に投手をしたことがないんです」。 投手に転向したのは一年の秋。三遊間の深い位置からでも正確に速い球を投げる高江洲に、同高の宮本監督が投手転向を勧めた。 翌年の春から投手に専念することになるが、同監督の助言に後押しされる形で、プロ入りへの大きな一歩を踏み出した。
 今年の夏の地方大会は三回戦で日大三高に七失点コールドで敗れ、甲子園出場の経験はない。 手先が器用で、機械技能士(普通旋盤作業)三級を持つ異色のプロ野球選手。 「プロでは直球で勝負したいです。将来は、あこがれの川上さん(中日)、上原さん(読売)、 岩隈さん(楽天)のように、勝てる投手になりたいと思っています」。 無名の都立高選手の夢は、無限に広がっている。

『月刊ドラゴンズ』(二〇〇六年一月号、二〇〇五年十一月号)より