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[名前]中川裕貴
[誕生日]1985年4月26日
[ニックネーム]ヒロキ
[好きな食べ物]しゃぶしゃぶ
[好きなタレント]ダウンタウン
[好きな野球選手]松井稼頭央、井端弘和
高校通算二十八発。近い将来ドラゴンズの主砲に
将来の主軸候補に頼もしすぎる若武者が加わった。走攻守三拍子そろい、
特に右方向へ打つ技術は高校生離れしたものがある。一巡目指名の中川裕貴内野手は、
まさしく金の卵だ。
「確実性のある打者になりたいです。ここっていうときに確実に打てるような。
理想は右中間を破ることです」
五十メートルを五秒九で駆け抜け、遠投は百十メートルの強肩ぶり。
身体能力は折り紙付きだ。高校通算本塁打は二十八本を記録している。
中京高・小嶋雅人監督も「肩も強い。足も速い。三拍子揃った選手になってくれると思う」
と文句のつけようがないほどだ。
そんな中川だが、とにかく野球漬けの十八年間だった。
子供のころの夢は野球の指導者。そのため、必死になり練習した。だが、
「今年になって周りの評価が変わってきた」ため、プロを意識するように。
そして一巡目指名を受けた。
「プロはみんな素晴らしい選手ばかり。みんなにあこがれます」と言うが、
負ける気は毛頭ない。当然、やっていく自信を胸に抱いている。
「野球をやっていて、一番最高の舞台でやるのに、自信がないとやっていけないと思います。自信を持ってやっていきたい」
中日・中田スカウト部長も「欠点がない子。プロのスピードに慣れさえすれば、二年目には出てくるんじゃないか」と絶賛する。
現在は三塁手だが、中川の可能性を広げるために、遊撃を練習させることも考えている。また、落合監督の期待も大きい。
同スカウト部長は「監督も期待している。右打者だし。チームの方針である右の主軸を担う選手だと(中川に)伝えました」とも付け加えた。
「できることなら早く、一年でも二年でも、できるだけ早く打席に立てるようにしたい。
ルーキーだからとか関係なく、元気よくやっていきたいです」。
決して数年間、二軍で体を作ってからという意識などない。
実は、体も体脂肪率七パーセントの数字が示すように、プロとそれほどひけをとらないのだ。
高卒ルーキーだが一年目から期待は大きい。
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[名前]佐藤充
[誕生日]1978年4月29日
[ニックネーム]ジャンボ、KABAちゃん
[好きな食べ物]焼肉
[好きなタレント]沢田亜矢子
[好きな野球選手]読売・清原。投手では読売・上原
投魂込めて速球で勝負
今回指名された七選手の中では、実績では間違いなくトップにいるのが佐藤充だ。
最年長(25歳)の“お兄ちゃん”は、昨年の日本選手権では最高殊勲選手に輝き、
十二年振りの優勝に貢献した。
今年十月のキューバ・W杯にも、アマチュア日本代表の一人として出場。
来年ドラフトの目玉といわれる野間口(シダックス)とともに、
先発の両輪として活躍した。
マックスは今夏にマークした百四十九キロ。百九十センチの長身から投げ降ろす直球を軸に、
フォーク、カーブ、スライダーを織り交ぜるのが、佐藤の投球スタイル。
だが、本当の“武器”は、本人によると別のところにあるようだ。
「自分は気持ちを前に出して投げるタイプです。だから、マウンドでも叫ぶというか、
声を出すんです。以前は淡々と投げていたんですが、それでは通用しないってわかってたので…。
リズムは一人でつくるものじゃないし、投手が声を出すことで野手も乗っていける部分があるんじゃないかと思います」
気合を吐き出す。潜在的に熱い部分は持っていたのだろうが、それを顕在化させれくれたのは日本生命のコーチで、
ミスター五輪とも呼ばれた杉浦正則さんだ。入社直後、『金属バット恐怖症』ともいうべき状態で、
完全に自分を失っていた佐藤に、自らの座右の銘を教えた。
「オレはこう思って投げているぞと…。魂を投げると書いて、『投魂』です。
どん底だった時から上がってこられたのも、この言葉のおかげです」
闘魂ならぬ投魂。佐藤を支え、佐藤を表現する言葉だ。ここから、プロ注目の右腕へと飛躍した原点。
その一方で、遅咲きの逸材でもある。中学ではバレー部の入部を臨んだほど、ごく普通の少年だった。
だが、バレー部が直前に廃部。その中学時代に一気に身長が二十センチも伸びた。
坂戸西高では無名ながら、徐々に眠れる才能が覚醒していった。エリートにはない、もまれた雑草の強さを持っているのだ。
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[名前]中村公治
[誕生日]1981年5月6日
[ニックネーム]コウジ
[好きな食べ物]焼肉
[好きなタレント]広末涼子
[好きな野球選手]金本(阪神)、前田(広島)
走攻守と三拍子そろう
また一人、右の四番候補が誕生した。
東北福祉大から入団する中村だ。
ドラフト会議時、中村の指名を無事に終えると落合監督はテーブルの中田スカウト部長に握手を求めてきた。
指名あいさつの際、同スカウト部長に託したメッセージは、四番争い参加への招待だった。
兵庫・滝川二高時代の高三の夏の甲子園の初戦。チームメートとなる当時東邦の朝倉からサヨナラ打を放ったのが、
この中村だ。大学進学後は公式戦七十八試合に出場。二百五十打数八十四安打、打率三割三分六厘、九本塁打、七十五打点、三十七盗塁。
走攻守と三拍子そろったところが特長だ。
大学の先輩、阪神・金本を目指す。「金本大先輩のように、トリプル3をやってみたい」。
三割・三十本・三十盗塁との壮大な夢を胸にプロの世界に飛び込む。
中田スカウト部長は「持って生まれた体の強さ、パワー、スピードは申し分ない。
広いナゴヤドームにうってつけの選手。
即戦力としてはもちろんのこと、チームの骨格になる選手」と言い切る。
あこがれの金本は大学時代、夜中の二時にウェートトレーニングをしたり、
バットスイングの音が聞こえてきたという逸話を残しているが、練習好きは中村も同じだ。
「秋季キャンプの様子はテレビで注目して見ていた。僕も練習は好きな方。
熱くなりながら見ていた」と、
バットを振って振って振りまくるキャンプが持ち前の負けん気魂に火をつけた。
阪神の自由枠、鳥谷とは大学の日本代表で一緒になり、打撃理論を語り合った。
「大学からプロに入る同じ年齢の選手はみんなライバル。もちろん鳥谷もそう」
と、今年のドラフトの目玉に対し挑戦状をたたきつける。
大学二年時の途中、チーム事情からサードから外野へ転向。
主将に就任した今季は、ピンチになるとセンターからわざわざマウンドに駆けつけた。
今季移籍一年目で阪神を優勝に導いた金本のように
チームを引っ張る男でもある。
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[名前]堂上剛裕
[誕生日]1985年5月27日
[ニックネーム]ドノ、タケ
[好きな食べ物]肉類、うなぎ、お寿司
[好きなタレント]特になし
[好きな野球選手]大豊
パワーに柔軟性も持つ
注目度はドラフト一巡目の中川(中京高)以上かも知れない。
中日OBの照さん(現昇竜館館長)との“親子竜”。堂上剛裕内野手(18)の父親譲りのパワー、
さらに持ち前の打撃センスは評判となっている。
「六巡目(指名)だけど、評価的には高校生の上位の評価。足が思ったより速い。
肩も強い。早ければ、二、三年で出てくる」。
この中田スカウト部長の言葉が、すべてを物語っている。身長百八十一センチ、体重八十五キロ。
体格は見るからにガッチリとしている。しかし、五十メートルは五秒九で走り、遠投は百十メートル。
一言でパワーヒッターとは片付けられないのだ。
「自分の持ち前は、やっぱりバッティング。そこをどんどんアピールしていきたい」。
堂上はあくまで打撃にこだわる。担当の石井スカウトも当然ながら可能性があるという。
「本塁打もだけど、それより打率や打点。広角に打てるんだから。
松井(ヤンキース)も本塁打、本塁打と言われたが、
レフトへタイムリーを打っている。そういう柔軟性を持っているし」。
見かけとは違い、オールラウンドな選手になれる可能性を秘めている。
そんな堂上のあこがれの人は中日OBで現在、アジア地区担当スカウトの大豊氏。
「雰囲気が良い。打席に入った雰囲気が伝わってくるものがある。大豊さんに回せば、
何とかなると思える」。
実際、知多中(愛知県春日井市)時代には、一本足打法に何度も挑戦したほどだった。
追いつくためにも、
「練習をとにかく多めにやらないと、みんなと離れる一方だから。自分はまずしっかりと体力作りをしないと」と堂上。
しばらくは体力アップに努め、年末辺りから本当に振り込んでいく考えだ。
「親子竜? 逆に僕は良いと思います。注目されるだろうし、それで一軍に早く上がれるかもしれないから」。
誰もが必要以上の注目はつらいはず。だが、堂上は気にしない。
この大物ぶりは、プロの世界でこそ生きるはずだ。
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[名前]小川将俊
[誕生日]1979年1月18日
[ニックネーム]オガ
[好きな食べ物]馬刺し
[好きなタレント]黒木瞳
[好きな野球選手]清原(読売)
谷繁さんを追い越すぞ
オレが望んだ捕手、それが小川だ。落合監督が就任早々、スカウトに注文した。
「谷繁と競争ができる、即戦力に近い捕手をとってくれ。具体的にはキャッチングが良く、
なおかつリードの組み立てができる捕手」。
アマ球界の中で、中日スカウトが見出したのが、入社三年目で社会人の名門、日本通運の正捕手に成長した小川だった。
チームを都市対抗出場に導き、大会ではホームランもかっ飛ばした。
落合監督の注文通り、小川の一芸は投手のリードだ。「僕の長所はディフェンス。投手をしっかりリードし、
しっかりと捕る。スローイングの正確さ・スピードも含め首脳陣には、どんどんアピールをしていきたい」と訴える。
強豪の埼玉・浦和学院から東洋大を経て日本通運に入社した。高校、大学七年間、現在読売にいる三浦とバッテリーを組んだ。
その三浦は現在野手に転向、公式戦で打者対捕手として対決する夢も大いに広がる。
「(プロで)待っているから」。三年前、大学卒業と同時にプロ入りしたかつての仲間と同じ舞台に立つことができるのだ。
日本通運の神長監督は小川に対し、
「年齢的にチームにいる若い捕手とは違い、猶予はない。新人という意識を取り除いて一年目からやってほしい」
とハッパをかける。
三年間、社会人としてもまれてきたキャリアは申し分ない。
あとはいかに一人前の捕手としてスピーディーに成長していくかがカギと、恩師はみる。
即戦力としての意気込みは十分だ。「谷繁さんは、これから一緒のチームで同じポジションを争う先輩。
越すつもりで練習していきたい。まずは守りで一つでも谷繁さんを上回らないと」と話す。
落合監督は「オレは控え捕手をつくるつもりはない」と言い、
秋季キャンプで田上、前田章ら若手捕手を鍛えてきた。
小川としても気持ちは同じだ。
決してエース捕手谷繁の控えに甘んじるつもりはない。一年目からレギュラーを狙う。
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『月刊ドラゴンズ』(二〇〇四年一月号)より