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ROOKIE'S FILE
--入団当時の紹介記事
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[名前]朝倉健太
[生まれ]岐阜県岐阜市
[略歴]徹明小-岐阜大学教育学部付属中-東邦高
[誕生日]1981年6月11日
[趣味]買い物(服)
[ニックネーム]ケンタ
[生活信条]真っ向勝負
[好きな食べ物]肉
[嫌いな食べ物]なし
[好きな色]ピンク
契約金一億二千万円
いきさつはどうでもよかった。
テレビ中継が中日の外れ一位を「朝倉健太」と伝えると、十八歳の目はみるみるうちに潤んだ。
「答えは一つしかありません。入団したいです」。
予想できなかった指名にも、イエスを即答した。
地元球団へのあこがれがないはずがなかった。
いや、一番志望チームだったといってもいい。
ところがドラフトまであと一ヶ月に迫った十月二十日、
悪夢の指名回避通知を受けた。中日側にも事情があった。
「今年は左腕でいこうということになったが、朝倉君も高校生の右腕ではナンバーワンの評価。
だが西武が上位で指名するという情報もあったし、いつまでも気持ちをウチに止めておくわけにもいかない」
(本田編成部長)。
器が大きいだけに、筋を通さねばならないという考えが「指名せず」の通知になった。
しかし中日が入札した国学院久我山・河内は三球団の競合の末、広島に。
ドラフト直前になって、朝倉を指名すると見られていた西武も、回避濃厚という情報が流れ、事情が変わった。
「(河内を)くじで外した場合は朝倉でいこう」(本田部長)
と決めて本命に臨んだだけに、外れ一位も実質は入札一位と変わらないものだった。もちろん、朝倉にとっては結果は最良。
希望球団の一位指名という事実だけが重要だった。
高い評価がウソでない証拠は、出来高払いの二次も含めた契約金一億二千万円、年俸八百四十万円という
高校生としては球団史上最高の入団条件に現れている。
「高い評価にこたえるためにも、一生懸命練習して一日も早くプロの体になりたい」
というと朝倉の決意もまた、並ではない。
「私が育てた中では腕の振りも一番速い。きっちり鍛えれば常時百五十キロ以上は出る。
自信を持ってプロへ送り出す」。恩師の阪口慶三東邦高校野球部監督もこう言って船出を祝った。
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『月刊ドラゴンズ』(二〇〇〇年一月号)より
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