『プロフェッショナル』 ISBN4-583-03621-3
…一九九九九年十二月二十五日発行。

落合博満(おちあい・ひろみつ)
一九五三年十二月九日、秋田に生まれる。秋田工業高校卒業、東洋大学中退後、東芝府中に入社。 三度の都市対抗出場、アマ全日本代表などの実績を残し、一九七九年ドラフト三位でロッテオリオンズに入団。 八十一年に初めての首位打者を獲得した。以後、八十二、八十五〜八十六年の三冠王をはじめ、 MVP二回、首位打者、本塁打王、打点王各五回など数多くのタイトルを手にした。 八十六年のオフには一対四のトレードで中日に移籍。 九十三年にはFA宣言をして読売に入団。 さらに九十六年オフ、読売を退団して日本ハム入り。 九十八年のシーズンを最後にバットを置き、二十年間の現役生活にピリオドを打った。
本当の“プロフェッショナル”
な人々についてだ。
ナビゲーター落合

▼山内一弘 /「プロでは通用しない」と評しながら首位打者を獲らせてくれた技術屋
▽八十二年には三冠王を手にしたが、この頃になると、バッティングについて何かを考えたとき、必ずといっていいほどルーキーの時に山内さんから受けた指導のことが思い出された ▽私の体には、気づかぬうちに山内さんの技術がインプットされていたのである

▼土肥健二 /飛躍のきっかけをくれた三冠打法の生きたお手本
▽ある日の早出特打ちで、ティーバッティングをしながら何気なく、本当に何気なくゲージの中で打っている土肥さんを見た私は、一瞬にしてそのスイングに魅了されてしまった ▽一日でも早くプロになるためには、自分の生きた手本を探すべきなのだ

▼河野旭輝 /教わらなければ上達しないプロの守備の名コーチ
▽ひとつだけ誰にでも胸を張って誇れることがある。それは、腕のいいコーチにプロの守りというものを一から百まで教わったことだ ▽すべてのチーム、選手が土のグラウンドで鍛錬できるのは、春季キャンプの期間しかない

▼河原田明 /プロの基本を叩き込まれた生活指導の先生
▽私の首と肩に触れるなり、河原田さんは「オチ、おまえは本を読むのが好きだろう」と言った ▽私は、プロとしての自分の認識不足が恥ずかしかった。そして、言葉は悪いがトレーナーを最大限に利用しなければならないと実感した

▼立野清広 /天下のスローボールで三冠王を誕生させた最初のパートナー
▽私は、立野を放すものかと決意し、翌八十二年からは、私の打撃練習では彼だけに投げてもらえるよう首脳陣に願い出た ▽自分のコンディションに最も疎いのは、実は自分自身である

▼渡部司 /『立野ボール』を見事に再現してくれたプロのプライド
▽今だから言えるが、渡部さんは私の要求に応えようとノイローゼ気味になるまで考え込み、ついにはオープン戦でロッテと対戦した際に、立野に投げ方を教わりに行っていたのだ ▽打撃投手というのは、ある意味で一軍の主力投手以上の厳しさがあると言える

渡部司

▼岡部憲章 /一流投手から転身した人間性にも優れた打撃投手
▽さらに、彼を信頼できる一番の理由があった。それは、現役時代に誇れる実績を残しながら、裏方の仕事も見事にこなしている人間性である ▽仕事には自分自身でやり甲斐を見出し、誇りを持てるようにならなければいけないと痛感させられた

▼谷山高明 /野球の話が尽きなかった最後の伴走者
▽谷山さんに限ったことではないが、打撃投手は球団の財産である ▽優秀な打撃投手を数人擁することができたら、チーム打率は二〜三分上げられると確信している

▼得津高宏 /貴重なアドバイスをくれた先輩との忘れられぬアクシデント
▽ケガというのは、グラウンドに落ちていたボールを踏みつけて捻挫をしたなどというプロとして論外なものを除けば、現役である限り常につきものといえる。だから、してしまったものは仕方ないと切り換えて、とにかく完治させるべきである ▽振り返れば、幾度かのケガを経験し、復帰する度に野球ができる幸せを感じたからこそ、二十年間も現役にこだわり続けられたのではないかと感じている

▼山田久志 /一流のテンションを大切にする同郷の偉大なる先輩
▽試合後、山田さんは勝利投手になったにも関わらず「落合の腰痛は三味線だろう。でなきゃ、俺のボールをスタンドまで運べるわけがない」とまくし立てたそうだ。自分がケガ人になど打たれるわけがないという山田さんのプライドはすごいが、私の腰痛は嘘ではない ▽若手に比べて基礎体力やパワーが明らかに劣ってきても、ベテランがエースや四番の座を簡単に明け渡さないのは、円熟した技術もさることながら、このテンションがあるからだと思う。

山田久志

▼稲葉光雄 /プロ野球人生の開幕に立ち会ってくれた先輩
▽いつだったかは覚えていないが、私がクセを見破っていた話をしたことがある。返ってきた答えは「知ってたよ」。味方の捕手にも指摘されてたらしい。では、何故直さなかったのか ▽忘れてならないのは、クセを直したり、相手のクセを研究することにかまけて、技術を磨き上げるのをおざなりにしてしまうことだ

▼斎藤雅樹 /スーパーエースと呼ぶに相応しい誇るべき後輩
▽斎藤は桑田よりさらに上、桑田がエースならスーパーエースといえる投手であることを知った ▽私が巨人に在籍した当時、巨人には高い技術を持った選手が他球団より多くいた。ところが、その選手のほとんどが自分の技量の高さを認識していなかった。だから、そうした選手に自信を持たせることが仕事であるとも思っていた

▼田中尊 /『落合効果』のエッセンスとなった絶妙の『タイム』
▽田中さんのタイミングから学んだことは、投手の投球や試合のテンポというものが、相手のリズムに合い過ぎていて怖いと感じた時には、必ず間を取って流れを切らなければいけないということ。これは、自分たちをピンチから救うだけではなく、相手の気分をダウンさせる効果もある ▽今だから言えるが、中日時代も巨人の時も、私が送ったピンチのサインにベンチが応えてくれず、結果的に凶と出てベンチに戻ってから首脳陣とやり合ったときもあった

▼佐藤道郎 /打者は投手から学び、投手は打者から学べ
▽私は、テレビ中継の解説をしている時「投手という生き物はわかりません」と何度か口にしていると思うが、これは投手という人間を理解できないのではなく、理解できないタイプだと承知しているのである ▽打者にとって、投手という人間のことを知るのは、時にはスイングをするより自分のためになる。私は、佐藤さんとの話からこのことを痛感させられ、現役を終えるまで、いや、ユニフォームを脱いだ今でも、投手という人間を徹底的に研究している

佐藤道郎

▼池田重喜 /野球経験のあるトレーニング・コーチの理論は生きている
▽すべての選手と、こんな付き合い方をしてくれた池田さんは、宿舎へ戻るのは当然最も遅い。それでも、翌日は一番早くからグラウンドで体を動かしている。 ▽科学的トレーニングは、高校生でも逞しいからだを作り、高度なパフォーマンスを実現させる。ただし、その動きには何か自然でない印象が伴う。基本から一気に飛躍してしまったイメージだ。選手生命に関わる重大な故障は起こさないが、軽い故障で休養したりリタイアすることが多い。このことから、どうしても土台作りが疎かになってるという印象を受ける

▼山口貢 /スランプを避けたければカメラマン席へ行け
▽彼らは、技術については専門家ではないが、毎試合同じ位置にカメラを固定してファインダーを覗いているから、フォームの違いには誰よりも先に気が付く ▽野球というのは、自分の頭で考え、自らの体で実践してみなければ上達はしない。だが、知らないこと、分らないことがあったら、誰にでも頭を下げて学ばせてもらう姿勢も必要だ。グラウンドで長く仕事をしている人間は、選手の経験がなくても決して野球の素人ではないのだから

▼今井雄太郎 /プライドを賭けて勝負したシンカーの使い手
▽案の定、今井さんは納得がいかない顔をしている。私も「シンカー以外のボールを投げてくるなんて逃げですよ」という思いを込めた視線で挑発しながらベンチへ引き上げた。それからしばらくは、これでもかというくらいシンカーが来た。やはり、お互いに駆け引きなしの勝負を楽しんでいたようだ ▽たくさんの球種をほうれることも大切だろうが、自分はこれだという絶対的なボールを磨き上げることも忘れないでほしいと強く感じる。私の記憶では、最後に見た最高のウイニング・ショットは、今中慎二(中日)の内角のストレートだった

▼山内和宏 /絶妙のコントロールを誇った心優しきエース
▽南海戦でもっといい数字を残せれば成績もアップすると考えた私は、対戦回数の多いエース格の投手から確実に打つことを目論み、山内をそのターゲットにした ▽どんなに制球力に長けた選手でも、2−0までに「ボールになってもいい」という気持ちで投げ込む一球よりは、2−2から勝負に行く一球の方が甘くなるはずである

▼川口和久 /信じられないテクニックを持った天才サウスポー
▽正確に言えば、彼から打てたと思った打席は一度もないわけだ ▽私は、出来ることなら川口とイチローの真剣勝負を見てみたかった

▼郭泰源 /鮮烈に記憶に残る天下一品のスライダー
▽インパクトの直線までストレートに見え、もうスイングを止められないところでスッと横に滑り、打者をあざ笑うかのように逃げていく魔球。こんなボールを投げられるのは、先に挙げた二人の大投手を筆頭に僅かしかいない ▽最近のプロ野球界には、速球派投手は存在しない。私の記憶では、正真正銘の速球派だったのは、江川卓が最後のような気がする

▼村田康一 /審判員とは人間的に尊敬し合える関係でいるべき
▽選手も審判員も人間である。ゆえに感情がある。ともに職業としてグラウンドに立ち、自らの責務を全うしようと必死にやっているわけだから、仲良くすることはないが、敵対する必要もない。お互いを人間的に尊敬し合える関係でいるのがベターである。 ▽私のことを棚にあげて言わせてもらえば、選手はグラウンドで弱さを見せたら負けだ。新人だとかコンディションが万全でないという言い訳は通用しない。これは審判員も同じだろう。負かされた試合に自信と責任感を持って立ち会い、毅然とした態度でジャッジして欲しい

▼福井宏 /威厳があるからできた勇気ある決断
▽花束まで受け取ってた村田は打ち直して三振に倒れ、巨人は無得点に終わった ▽審判員も人間だから、ほんの僅かだがストライクゾーンにはその日の傾向がある。それを早く把握することは、投手との対戦においても重要だ。ゆえに、審判員とは日頃から友好な関係を築き、言葉は悪いが利用することも必要。野球のような戦略競技では、参考になるデータは少しでも多く、どんなところからも集める努力をするべきだろう。

福井宏

▼ジュニアの星たち /殺気立つほど貪欲だった二十年前のスター候補生
▽賞と名の付くものを獲得したのは生まれて初めてであり、自分の一歩をどうにか踏み出せたという気持ちはあった ▽私がこの試合でもっとも印象深かったのは、なんとしても自分の名前を売りたいという貪欲な顔が並び、お祭りなのに殺気立った雰囲気さえあったことだ

▼西本幸雄 /四番抜擢で世に出してくれた悲運の名将
▽当時は『人気のセ、実力のパ』と言われており、パの先輩選手たちにはセを徹底的に打ちのめすことでお祭りを楽しもうとする意気込みや、「俺は、そのへんの選手とは違うんだ」という風格がった。西本さんも「本気で三戦全勝を目指す。そのために、このメンバーを選んだ」とコメントしており、私もその一員に選ばれたことで、とにかく無我夢中になっていたのだけが記憶にある。 ▽一流へのステップでは、多くの人たちの力添えがあったが、私の名前がファンに認知されるようになったのは、間違いなく西本さんのおかげである

▼長嶋茂雄 /夢舞台が似合うミスタープロ野球の素顔は・・・
▽この時、巨人は私を二位で指名するつもりだったらしいが、江川騒動でドラフトをボイコットしてしまい、指名することが出来なかった ▽「佐々木が出てきたら…」の発言は「なぜ同じ投手に抑えられっぱなしなんだ」という怒りをオブラートに包んだものだし、「この勝ちは大きい」という言葉には「初回から相手を叩きのめし、もっと楽に勝て」という叱咤が込められている。これは、メディアに対する発言のようでありながら、実は自軍の選手に向けた檄なのである。

▼仰木彬 /思い出に残る起用に『仰木マジック』の真髄を見た
▽この日の始球式ゲストはタレントの広末涼子さん。若い選手にはしきりに羨ましがられたが、当時は広末さんのことを知らなかった私は、全セのベンチ裏へ行って大野豊をつかまえ「おまえ、ヒロスエリョウコって知ってるか?」と聞いた。すると大野は「いいえ。誰ですか、それ?」と期待通りの答え ▽仰木さんは自分がよかれと思ったことを実践する勇気を持ってる

▼レロン・リー /タイトル獲りのバロメーターだった通産打率トップの男
▽この頃、私が高い数字を残せるのは、最大のライバルが身内(チームメイト)にいるからだと言われたことがあった。これは的を射た分析だと思った。高い技術を持った打者同士が刺激し合うことは、確実に数字を伸ばしてくれる ▽今シーズン、私は鈴木尚典(横浜)は三冠王候補だと明言した。

レロン・リー

▼ブーマー・ウェルズ /高い順応性で最大のライバルに変身した大男
▽ブーマーはセンターを中心に左右対称で六十度の扇形を意識してボールを打ち返した。ゆえにヒットゾーンも広く、打撃三部門すべてで高い数字を残せる打者になったのだ ▽近鉄で捕手をしてした山下和彦が、日本ハムで一緒になった時に「僕の野球人生の中で、ノーアウト満塁で勝負を避けたのはブーマーと落合さんだけでした」と打ち明けてくれた

▼ディック・デービス /高い実力でもタイトルを狙わなかった不思議な男
▽「安定した成績で十年は日本でやりたい。だから、タイトルはいらないよ」いきなり何を言っているのかと驚いた私だが、もしかしたら、この部分は大部分が本音で、その理由はデービスの契約にあるのではないかと考えた ▽信じられないニュースが流れた。デービスがドラッグ所持疑惑で逮捕されたというのだ

▼ラリー・パリッシュ、セシル・フィルダー /正真正銘のメジャーと日本をステップにした男との争い
▽彼の凄さは日本での経験を生かしてメジャーへ復帰し、なんとタイトルまで獲ってしまった事だろう ▽彼のプレーや態度からは、常にメジャーのプライドがにじみ出ていた。これでポンコツなら「害人」なのだが、しっかりとタイトルを獲れば立派な助っ人である

▼山本功児 /トレードを通告してしまった熱いハートの新監督
▽この夜をきっかけにして私は山本さんを悪の道に引きずり込んだ ▽トレードが決まった頃、中畑清から「功児さんの麻雀の腕前は、天下の巨人でも上位。とにかく強い」と聞かされていたので、山本包囲網でやっつけてやろうと意気込んで卓を囲んだ。すると、巨人の最強雀士は、ロッテのレベルの前にまったく歯が立たなかった

▼王貞治 /引退決意を唯一報告した心で野球をする人
▽最も記憶に残ってるのは、次のひと言である。「落合君、自分は練習をしないということは対外的には言わない方がいい」 ▽私は決して練習しなかったわけではない。むしろ他の選手の何倍もバットを振ってきたことは、これまでにも何度か書いてきたと思う。だが同時に、どんな練習をどれくらいやっているのかなどということは、ファンやメディアに対して語る必要もないものだと認識していた。加えて、自分のためにしている鍛錬は『必要なこと』であって、『練習』ではないととらえていたから、練習に関する質問を受けても「してないよ」と答えていたのだった

▼根本陸夫 /誰よりも野球界の発展を願っていた球団編成の達人
▽そんな根本さんの言葉から感じられたのは、自分の球団の利益や発展だけではなく、常にリーグ全体、場合によっては球界全体のメリットを考えた上で動いているということだった ▽メディアからは『ウルトラC』や『密約』などと騒がれていたが、協約に綻びがあれば、そこに風穴を開けて新しいルールを作らせるなど、常に野球界の進歩を計算していたと推測できる。

▼伊藤闊夫 /日本人初の年俸調停は出来レースだった?
▽伊藤さんから連絡をもらって会ったときも、こんな話題に終始した。そこで、お互いの希望額をぶつけ合ってみることにした。私の希望は三億円。ただし、二億七千万円までは譲歩できると伝えた。対して、伊藤さん、つまり球団側の提示は二億二千万円。こちらも交渉次第では二億五千万円までは出せる用意があるということだった。お互いの譲歩案で比べれば、その差は二千万円だった ▽私の年俸調停は、大袈裟に言えば世間に調停制度の存在を知らせようとしたものである

伊藤闊夫

▼城之内邦雄 /口説き文句を言わなかった寡黙な名スカウト
▽私が「どの球団が何位で指名してくれるのか。それとも指名はないのか」などと考えながら、普段通りグラウンドで練習していた。すると、確か会社の仲間がどこで情報を仕入れたのか「日本ハムが一位で指名した」と言ってグラウンドへ走ってきた。私もびっくりしたが、野球部の関係者が確認すると、日本ハムの一位指名は高代延博だということがわかった ▽二〜三日後には、スカウトが会社に正式な指名あいさつに訪れた。私も同席し、もちろん城之内さんもいたが「ロッテの城之内です」と言ったきりひと言も喋らなかった

▼田丸仁 /プロ入りしてから役立った打撃論の大家
▽それまで、野球というものを深く考えた経験のなかった私には、「プロという世界はここまで野球を突き詰めるのか」と唖然とさせられた ▽プロを目指す若者たちよ、裸でプロ野球界に飛び込んで来い!