『なんと言われようとオレ流さ』 ISBN4-06-202629-5
…昭和六十一年四月十一日発行。

落合博満(ロッテオリオンズ・内野手)
昭和二十八年十二月、秋田県生まれ。少年時代から野球の天分を見せたものの、秋田工高では野球部退部を八回も繰り返し、 東洋大に進んでも二ヶ月たらずで退学。故郷に帰ってボウリングをしていたが、 四十八年十一月、恩師の紹介で、当時まだ弱小チームだった東芝府中に入る。 五十三年秋のドラフトでロッテ・オリオンズに三位指名され、二十五歳でプロ生活スタート。 当初、打撃について周囲から酷評されたが、まったく独自の研究と練習によって広角打法を確立、 五十六年に初の首位打者、五十七年に三冠王、そして六十年には二度目の三冠王に輝く。 目下、球界を代表する強打者として、日本初の三度目の三冠王と四割打者への期待を集めている。
ロッテ時代に書いた本だ。 ナビゲーター落合

▼バッターというのは『打てるかな?』じゃなく『打つんだ!』と思うことが肝心。本を書くのだって多分それとおんなじで、打率十割的パーフェクトな内容などあるはずがない。それならダメでもともと。下手でも命まで取られることはないだろう ▼プロはプロ。一年目も十年目も条件は一緒だ。世の中、それこそ子供と学生以外の人間はみんなプロ意識を持ってなきゃおかしい ▼バットは体だけでなく、頭で振らなければいけない ▼オレは怠け者なんだ ▼「先生、座薬ないっ?」 ▼「子供、どうやったら出来ますか?」

落合とノブタン

▼何しろ子供作ろうかっていうと、とろろイモばっかり ▼開幕当初の攻め方にだまされるかどうか、ここが大事になるわけ ▼オレがゲームで四タコのときは、家で何かあった、と思っていいくらいだ ▼他人に認めてもらおうという以上に、カミさんに「あんたはエライ!」と喜んで欲しかった ▼たかが一、二年早く生まれただけで、なんでそいつらにぶん殴られなきゃいけないの ▼バカだよ。昔の軍隊じゃあるまいし、自分がイヤなものは、他人だってイヤに決まってる。そんなこと、まるっきり分かっちゃいないんだ ▼この人がこう言ってくれたから打てたなんてこと、あるわけない。そんなのきれい事だ。実際やるのは自分なんだから ▼プロ野球に入ってなかったら、今でもずっとサラリーマンやっていたと思う。だって会社に行ってれば、おカネくれるものね ▼実はノンプロ四年目にも、阪神から誘いがあったんだ。でも、ドラフト会議の日、阪神が指名した選手の中にオレの名前はなかった ▼「こいつは絶対プロでは通用せん」この一言をオレの背中に残して帰って行ったのが金田さん ▼新聞にデタラメな記事が書かれたのもちょうどその頃だ。何の記事かは忘れたことにしておくけれど、オレがしゃべってもない事をスラスラスラスラ書いてるんだ ▼山内監督がオレを呼ぶんだ。招き猫みたいな手つきで ▼後になって、そのときのことを山内さんに聞きにいったことがある。そうしたら「そんなことあったか?」 ▼今年西武に入った清原、あれは大変なバッターだ。

ロッテ・落合

▼コーヒーカップを持つのだって、人それぞれ。カップの柄を三本の指で持つ人もいるし、四本の指で持つ人もいる。なかには、柄を持たずにカップの底を手のひらで持ち上げる人もいる。「どうやって持とうか?」と考えながら持つ人はいないよね ▼人の練習を見るようになったのもそれから。いいのがあったら盗んでやろうと思ってね ▼ロッテのユニホームの側面にある縦のストライプより後ろにヒジがいかないようにするんだ ▼ときと場合によっては、百パーセント頭へ飛んでくるかもしれないと思っている。誰というわけではなく、“ピッチャー”と名の付くもの全員に対しそう思っている ▼スランプになると、どんどん落ち込んでいくタイプの選手の方が多いけれど、それは損だ。人間あきらめが肝心。野球選手も気分転換の早い者が勝ちだ ▼仕事をしたくてもはかどらないときというのは誰にでもあるはず。そんなとき、オレの場合は「あーあ、今日はもうやめちゃえ、全部三振でもいいや」と思うわけだ ▼自分のバッティングを完璧にするために、いいボールを待ちすぎると失敗する。ヒットに出来るボールが来たら「えーい、ヒットで我慢するか」という気持ちで打ちにいった方が必ずいい結果が出る ▼金儲けや結婚と同じで、人間、欲をかくと、ロクでもないことになるだけだ。

イケメン・落合

▼後ろで見ている解説者はいいよ。「なんであんな真ん中のボールが打てないんですかねえ」とかなんとか言ってればいいもの ▼他人のいいところと悪いところが見極められてこそ、自分の長短も分かる ▼コツとしては、キンタマをうまく使えばいいの ▼やみくもにただ特打ちをやらせる監督やコーチがいるが、テーマをきちんと与えてやらないとよくなるはずないだろ、とオレは言いたいね ▼何メートル走ったらゴールがあるのか。本当に強い競走馬はそれを知っているらしい。ゴールを過ぎたらピタリと止まるからすごいものだ。オレも、そういうムダのない仕事をしたいね ▼練習でいくらホームランを打っても自慢にならない。観兵式と間違えるなって。ただ打って楽しむのだったら、草野球でいい ▼生きているボールを生かすのはラクだが、死んでいるボールを生かすのは大変なのだ ▼ゆるいボールが打てるようになって初めて、速いボールもごまかしでなく打てるようになる ▼後楽園もドームになったら意外にボールが飛ぶと思う ▼ただ、人の話を全然聞かないわけではない。聞いてふるいにかけてるだけで、全部をハネつけてるわけじゃない。もしそうなら、人の練習なんか見ないもの ▼おかげで、うちのピッチャーが何本ホームランを打たれたか。そのときは「まずかったなあ」と思うけれど、でもいいんだ。打たれる方がまずいんだからね ▼失投という言葉あるが、あれは変だ。真ん中に投げても打てないやつは打てないし、いいコースでも打つやつは打つんだから、ピッチャーに失投というのはないんだ ▼結局、自分がうまくなろうと思ったら、全体のレベルを上げるのが一番いいんだから ▼人間は毎日生きている動物だ。当然、考え方も体調も毎日変わる。それなら野球の構えや打ち方も変わって当たり前 ▼なんでもそうだが、ものごとはいい方にしか考えないことにしている ▼あっちの方はおフロ専門で、川崎ばっかり。吉原は知らなくて、あとは大阪など遠征へ行ったときだ。

落合とノブタン

▼結局、女房ってのは、自分の唯一の味方なんだ ▼まあ、おかげで服もずいぶん増えたし、センスもよくなったと人にも言われる ▼十八年ローンで、月々百八十万円の返済。二人の生活費は月三十万円ポッキリだ ▼借金はオレの元気のモトだ。おまけに、借金の保証人は監督だから、オレがファーストフライをポロッとやったぐらいでは降ろせないという絶妙な仕組みになっている ▼野球選手に限ったことではないが、虚勢を張って生きるか、自分流に自然に生きるか、大きく分けて二通りの生き方があると思う ▼野球は、コーチの首を一つ二つすげ替えたぐらいで優勝が転がり込むような甘い商売ではない ▼監督という立場の人は、勝つことに全精力をそそげばいいのであって、選手は、勝つための駒にすぎないんだ ▼野球エリートで明るいのは、長島さんとうちの稲尾監督ぐらいだ。阪神の吉田監督あたりになると明るいのか暗いのかも分からない ▼土地柄というか、名古屋、広島はひいきの引き倒しのようなところがあるからね。おらが故郷の選手ではないが、成績がよければいいで引っ張り回されるし、悪かったらケチョンケチョンだ。つまり、どっちにしても息抜きをする暇がない ▼特定のライバルというのは、持つ必要もないし、持ってはいけないと思う。ましてや、尊敬する選手だとか、目標にする選手だとかは持ってはいけない ▼オレに言わせれば、コーチの仕事は自分から教えて回ることではなくて、それぞれ癖を持った選手たちが聞きにきたときにきっちり対応できるようにいつも目配りをしていることだ ▼名球界というのがあるが、あれに入ったらいよいよ選手生命が終わりのときですよ、と宣告された気がして何かもの悲しい気がする ▼誰に迷惑をかけるわけでもないし、ホラを吹いたからって訴えられるわけでもない。だったら、フロシキを広げた方が、やっていて張りがあるし楽しいもの。