『勝負の方程式』 ISBN4-09-387121-3
…平成六年六月六日発行。

落合博満
一九五三年十二月九日、秋田県生まれ。秋田工業高卒業、東洋大学中退後、東芝府中に入社。 三度の都市対抗出場、アマ全日本などの実績を残し、七十九年ドラフト三位でロッテオリオンズに入団。 八十一年に初めての首位打者を獲得。以後、八十二、八十五、八十六年の三度の三冠王をはじめ、 MVP二回、首位打者、本塁打王、打点王各五回など数多くのタイトルを手にした。 八十六年に、一対四の“世紀のトレード”で中日へ移籍。 さらに九十三年には、フリーエージェント宣言をして読売へ入団した。
中日から読売に移籍したときのオフに書いた本だな。 ナビゲーター落合

▼ピッチャーを育てるのはバッター、バッターを育てるのはピッチャー ▼バッターにとっての良薬は一本のヒットである。火の出るような打球にこしたことはないが、私のこのときのようにボテボテのあたりであっても打者には特効薬になるのである ▼エースと四番打者の存在があらゆる意味でチームに占める比重は八十パーセント以上である ▼頑固者と我の強い選手でないとこの世界では大成しない。それと審判に愛されることも重要な要素である ▼ここまで審判を追い詰めてはいけない。彼の立場がなくなるからである。ミスジャッジであることをさり気なく知らせたうえで、さっと引いてくることが肝要なのだ。

落合

▼「今日の試合、ホームランを二本打つから完封はいらないよ。二、三点あげちゃってよ」 ▼エースが放るときは絶対に負けてはいけない。これは野球の鉄則である ▼エースには自覚と実績と野手の信頼感が求められる。逆にいうと、これらを兼ね備えてこそエースと呼ばれるわけだ ▼四番打者の一番大きな役割は、そこにいることである ▼四番打者は日本人バッターでなければいけないという信念を私は持っている ▼私の体験で言えば、たたくのがもっとも難しいのは外角の真っ直ぐである ▼私は、オフでも頭の中で野球をやっている ▼私のバッティングは数学の方程式と似ている。こういうボールをこういう形で打ったらこういう結果になる、という事がはっきりとしている。別の結果は決して出てこない ▼速いボールを投げられるときにスライダーを覚えてしまうと、ボールが走らなくなると言われている ▼ホームランというのは、不動の心を持っていないと打てないものなのである ▼バット選びの際に重要なポイントとなるのは、手のひらの大きさである ▼若い選手の中には、バットのマークに注意も払わずバッターボックスに立つ不心得者がいる。バットの折れる確率が高くなってしまうという事を知らないのである ▼実際、小学一年生に、三年生、四年生の知識をつめこんでどうするのかというのが私の考え方である。一年生には一年生の知識を教えるだけで十分なのである ▼私の若いときのように、教えなさ過ぎるのも異常だが、今日のようにおんぶにだっこのような指導法にも問題がある。考える習慣を身につけさせないからである。 ▼私が鈴木さんに育てられたかどうかは別として ▼一対一の勝負でまず自分に勝ち味がないと分かったら、チーム総がかりとなって相手ピッチャーの攻略を考えなければいけない ▼チームメイトがついてきてくれることを期待して、私は率先して行動を起こすのである ▼一塁ランナーを進める作戦ならば「送れ」のサイン一つで十分である。送る手段はバスターであろうとセーフティーであろうと、それはバッターに任せればよい ▼バッターの自主性に任せれば、彼自身がもっとも得意とする方法を選択するだろう ▼相手のいやがることをするのが攻略法だが、最近こういう野球をどこのチームもしなくなったように思う ▼プレーする側の論理と見る側の論理には、ときには大きな違いがある。プレーヤーは観客の喜ぶ勝負を見せても勝ち星が取れなければ意味がないと考える。観客は勝負の行方よりも見せ場を求める ▼ピッチャーは、絶好調組と絶不調組をまず除外して、普通組の打者をいかに抑えるかに専念する。打線を六対三に分割して対応するのである。

落合

▼観客のウケを狙って、勝負しようなどとは考えないことである ▼絶不調の打者にヒントを与える必要はない。悪いまま終わらせることが肝要だ。寝た子は、いつまでも寝かせておかなければいけないのである ▼ひとつの球種でバッターを攻め続けることは、ピッチャーにとってとても勇気のいることである。しかし、それが打者を攻める鉄則であるとも思う ▼キャッチャーには大別して穏便派と大胆派がある。だから私たちはピッチャーよりも、まずキャッチャーの攻め方の傾向をもっぱら研究したものである ▼このパターンが変わったときは、だいたいピッチャーは崩れている ▼ゲームの流れというものは、一試合に三度くらいはある。この流れに乗ると、四、五点差ならひっくり返せるのが、いまの野球なのである ▼野手であろうとピッチャーであろうと、一軍を目指している選手によって、上でバリバリやってる人と対戦できるほど生きていく上での張りになるものはない。この劇的な感情は五年も十年もファーム暮らしをしている選手にはわからないことである ▼私は、新人はすべて入団と同時にある一定期間、ファームに預けて基本から徹底的に教育するシステムを導入する必要があるのではないかと考えている ▼一軍コーチの職掌は、担当セクション内の選手間の和を維持することと、ひとりひとりの選手が気分よくゲームに出られるような雰囲気づくりにある ▼二軍のコーチは、一軍のそれよりも、もっと専門的な職種である。レギュラー選手に求められている技術水準まで、若い選手の能力を、根気よく引き上げることにある ▼技術指導のコーチには、自分の感情を上手にさばくことのできる能力も必要なようである ▼もし私が監督になるようなことがあったら、二軍のスタッフを強化する。金銭面も含めてすべての点で一軍コーチと同じ待遇を与えるだろう。そうすることが、チームを強くする早道と考えるからである ▼「去年と同じようにやってさえいれば大丈夫」と考えるところに原因があると思うのだ ▼親身になって選手のことを考えるコーチがいれば、二年目のジンクスは未然に防ぐことが出来るはずなのだ ▼野球は、一瞬、一瞬の積み重ねのゲームである。

落合

▼人からの話に、耳を傾けて損はない ▼ピッチャーというものは、ある特定の状況に追い込まれると、自分の持ち球のうち、もっとも得意とするボールを放りたくなる習性を持っている ▼ピッチャーの側から見ると、私は追っかけ屋だったのである ▼「そこまでしてタイトルを取りたいのか」とか、「最後まで、正々堂々とやれ」といった声を聞くが、それは、タイトルを取ったことのない選手のひがみ。あるいは外野席にいる無関係な人の言葉だろうと思う。タイトルというのは、そうまでしても取る価値のあるものなのである ▼彼はどんな話にもきちんと耳を傾ける。そして、最後には決まったようにこう言う。「おまえ、監督じゃないんだから、だまっておけ。本人は反省しているんだ」と。稲尾さんの魅力は、ここに凝縮している ▼やはり、もちはもち屋に任せるべきだと私は考えている。監督といえども、オールマイティーではないのだから、専門職のコーチに任せる方が、よい結果が出るのではないか ▼以前ならば、若い選手の質問に対して、「前から来るボールは見えるんだから、そのボールを、より見やすくして振ればいい」とだけ答えていた感じだった。単純だが、それがバッティングの真理だと考えているからである ▼しかし、簡単な説明だと、若い人にとっては、バカにされているような気がするものらしい ▼ピッチャーの心理を知っておくことも、ヒットを稼ぐ重要な要件である ▼ヒットを打つ早道は、自信のあるボールをじっと待つことである ▼打球を野手に捕られたときに、悔しそうな態度や表情を見せるバッターがいる。野手の間を抜けたと思った打球を捕られたために、そうした仕草をするのだろうが、これがどうも解せない。こうした場合、私はなぜあの打球が考えたように抜けていかなかったかと考える ▼悔しいと思うだけでは、悔しい結果だけで終わってしまう。まあ、しようがないかと思うだけでは、しようがない選手で終わってしまう ▼ピッチングにも、バッティングにも、好不調の波がある。長いシーズンのうちには何度か不調の波にのまれてしまうのが確実である。しかし、走塁にはこれがない ▼走塁の優劣は、思い切りと状況の判断力で決まる ▼コーチャーのジェスチャーによって行くか行かないかを判断するような選手は、チームのお荷物になるだけである。

落合

▼勝負ごとでは、おごりは禁物である。誤った采配を招くからである ▼何点勝っていても、手を緩めてはいけないのである。これでもか、これでもかと、ぐうの音も出ないほど、相手をつぶしてしまわなければいけない。完璧にたたきのめされたことを、相手の記憶に植えつけなければいけないのである ▼完璧に勝つことが重要なのである。そのためには、何点勝っていても、走れ、走れである。そのことが、次のゲームにつながるのだ ▼大敗の原因を気をつけて見ていくと、一点与えるのを惜しんだがため、四、五点取られてしまうといったケースの多いことが分かる。だから、「一点やってしまえばいい」というのが、私の考えである ▼どんな理由でか知らないが、日本野球の場合、守備に対する認識が甘過ぎるような気がする ▼野球はディフェンスが重要である ▼仮に、私が監督になったら、点をやらない野球を目指す。守りで攻撃するチーム作りに取り組むだろう ▼いっそのこと、罵声の方がありがたい。その声をバネにして、気力の立て直しが図れるからである ▼食生活と同じくらい大切なのが睡眠である ▼規則正しい食事と睡眠は、特打ちにもまさることを知っていても損はないと思う ▼練習というのは、何時から何時までといって、メニューを与えてもらってやるものではない ▼いま、自分が必要としていることをするのが練習なのである ▼人には必ず長所と短所がある ▼長所を伸ばしていけば、それがセールスポイントとなってゲームに出られる。短所は地道に直していけばいい ▼オープン戦の取り組み方は、キャリアによって違いがある ▼充実した気持ちでオールスターに参加していたのは、最初の二、三回だけだったような気がする ▼うわさによると、私の選手生命はあと二、三年というところらしい ▼取りたいではなく、取る ▼「今年一年で引退する」といいながら野球を続けるということはない。シーズンが終了したあと、二、三日ゆっくりと考えてから、引退を決断する。私がユニフォームを脱ぐとすれば、こうした形になるだろう ▼左バッター向きの体形であることを知ったのは、ロッテのユニフォームを着てから数年後のことである ▼男の人生にも四季がある ▼私の野球人生は、冬から始まった。そして、その二度目の厳寒の季節も昨年で終わった。季節は巡って、また、春が訪れた。