『コーチング』 ISBN4-478-72021-5 …二〇〇一年八月三十日発行。 落合博満(おちあい・ひろみつ) 野球評論家、元・プロ野球選手。 昭和五十四年ドラフト三位でロッテ入団。五十六年打率.362で首位打者になり、以後五十八年まで三年連続首位打者。 五十七年史上最年少二十七歳で三冠王を獲得、六十年には打率.362、五十二本塁打、百四十六打点という驚異的な成績で二度目の三冠王とパ・ リーグの最優秀選手(MVP)に輝いた。 六十一年には史上初の三度目、二年連続の三冠王を獲得。通算成績は二千二百三十六試合、七千六百二十七打数二千三百七十一安打、五百十本塁打、 千五百六十四打点、六十五盗塁、打率.311。著書に 『落合にきけ!』(朝日新聞社)『プロフェッショナル』『野球人』(べースボール・マガジン社) 『激闘と挑戦 巨人軍・落合博満が闘った奇蹟の百三十六試合』『不敗人生 四十三歳からの挑戦』(落合博満・鈴木洋史。小学館) 『勝負の方程式』(小学館) 『なんと言われようとオレ流さ』(講談社)がある。
▼山内さんは、私にも様々なたとえを使って丁寧に指導をしてくれた。ホースで水撒きをする時の腕の使い方から、洗顔をする際の水のすくい方まで----実に細やかな指導であったが、私はそのすべての話を聞いた上で「俺のことはほっておいてください」と言ってしまった ▼首位打者争いをしている頃に、自分のスイングについて考えた私は、実は山内さんの指導が生きていることに気づかされた ▼山内さんの指導は的を射ていた。だが、ルーキーだった私が、その指導法を理解することが出来なかったのだ ▼私には、コーチという仕事は教えるものではなく、見ているだけでいいという持論がある ▼「おまえのやり方は間違ってる。こうしなければならないのだ」と断定的な言い方をすれば、選手は混乱するだけだ ▼選手が、「わからないから、教えてください」と言ってきた時に、事細やかに説明してやれる。それができるかできないかが、良いコーチ、悪いコーチの基準だとおもえるのだ ▼そして、最終的にはローズのフォームの影も形もなくなって、多村自身が一番楽をして振れるフォームを自分でつかんだのだ ▼指導者にとって、言葉とは重要なものである ▼一年目の選手には「否定」のフレーズを使ってはいけない ▼寝起きの人に矢継ぎ早に言葉をかけると気分を害してしまうように、話しかけるタイミングは大切だ ▼バットスイングとは、こういう形にならなければとか、この形がパーフェクトだとか“答え”があるにもかかわらず、そうしていくための方法がよくわかってないものだ ▼その人に合ったやりやすい方法論を探す。方法論は何もひとつだけではないのだ ▼最悪のパターンは、周囲の人間には「あいつは言うことをきかない」とグチを漏らし、選手に対しては「お前は気合が足りないんだ」などと言ってしまうこと ▼指導者にとって本当の楽しみは、自分が教えた選手の成長するプロセスを見守ることではないか ▼キャンプにやって来る臨時コーチは一番無責任な仕事で、絶対にやってはならないものだと思っていた ▼選手が混乱してしまうことを避けるため、私が話をする時は常に、一軍打撃コーチの高木由一さんにそばにいてもらうことにした ▼私の第一声は「こちらからは何も教えません。聞きたいことがあれば来てください」だった ▼何の能力も持たない人間、始めから可能性のない人間などいない ▼結果が伴わなかった人は「練習をしなかった」と表現されてしまうが、実際にはかなり練習した人も多かったと思う。今にして思えば、私より素質や潜在能力の高かった選手はたくさんいたはずだ。ただ、その人の練習方法のどこかに欠点や間違いがあったから、第一線には出てこられなかったのだと私は思っている ▼ひとつのことしかできない不器用な人間は、突き詰めて身につけたことを簡単には忘れない。一方、器用な人はどんどん次のステップに進んでいくから、身につけたことを忘れてしまう場合もある ▼最も厄介なのは、言葉は悪いが、感覚や時の勢いだけで物事に取り組む人だ ▼指導者は、負けること、失敗することから獲得できる財産が多いことも忘れてはいけない ▼こういう選手は、実力的にはファームのレベルでないから、結果が出ないからといってファームに落としてもダメだ。どうやったら実力を発揮できるのかを考えるのが指導者の仕事であり、自分のチームで伸び悩むようなら、トレードなどで環境を変えてやるしかない ▼指導者が、何回かチャンスを与えてやろうとするのはいい。だが、チャンスは何度でももらえるという気持ちで取り組む選手は伸びない。厳しいかも知れないが、失敗は許されるのは一回だけだ ▼「俺は一度も打席に立たなかった」とか「投げるチャンスをくれなかった」と嘆く選手がいるが、チャンスは過去にも何度かあったはずなのだ ▼すべてにおいてパーフェクトな人間などいるわけがない。その人にあう部署は必ずあるはずだ ▼箸にも棒にもかからないと言われるダメ社員でも、これだけは人に負けないというものがあれば、それを生かしてやるしかない ▼どの道でも共通していることは、「欠点を矯正するよりも、長所を伸ばすことが近道」という定理ではないだろうか ▼自分が上の立場になるとそんな経験をすっかり忘れ、良い部分を伸ばそうというのではなく、物足りない部分を直そうと必死になる。こんな組織や人間に、残念ながら進歩は望めないのではないか ▼監督の作戦を聞かされた選手が、なぜその作戦が必要なのかを考えられて、自分の頭の中で整理した上で実行するから、初めて良い仕事が出来る ▼もし、私がどこかの球団から監督就任の要請を受けたとしたら、受諾するための条件がいくつかある。そのうちのひとつに、優秀なコーチをファームに置いて欲しいという考えがある ▼ファームで教えるのは、正しい練習方法や技術だ ▼ファームのコーチの年俸は、一軍のそれより高くていいだろう ▼実力の足りない選手を無理やり一軍に上げて、豊かな可能性をつぶしてしまう必要はない。時には、コーチが防波堤になってやらなければならないのだ ▼プラス思考の人間は、決していい指導者にはなれない ▼一番悪いのは、プロ野球に例えれば「この戦力なのだから、うちはAクラスを狙う」などという指導者だ。そんな指導者は、ユニフォームを着る資格などない ▼監督が予防線を張り、謙虚に振舞っていては選手も動かない。虚勢を張らなければいけない場面では張り、部下の尻をい叩くところは叩く。そんな指導者のいる組織には、活気がみなぎるはずだ。謙虚さが美徳の時代は終わったのだ ▼虚勢を張るか謙虚にいくかは、立場によって違ってくる。監督は虚勢を張ってもいいが、選手や現場の人間は謙虚さが必要だろう ▼自分の判断に任されると、「よし」のハードルが高くなる ▼優秀な部下に恵まれれば、上司は良い思いができる。そのことを理解している上司に恵まれれば、部下も良い思いをする ▼一流までの道は選手自身が切り開いたものであり、指導者はあくまでもそのサポート役だ ▼それなのに「あの選手は俺が育てた」と言ってしまう指導者が後を絶たない ▼本当に良い指導者は、過去の実績を自慢してる暇もないのだ ▼コーチから「バットを短く持て」と言われ、何も考えずにバットを短く持ってしまう選手は、ある時期は指導者にとって使いやすい存在だ。しかし、その指導者がやめて別の人間が来たら、自分にアピールしていくものが何もないと気付かされる ▼なぜ両手で捕らなければならないいか。それを「野球の常識だ」という言葉だけで終わらせるのではなく、理由をきちんと説明して納得させることができれば、どんな選手にも正しくやらせることができる ▼叱られるのも勉強、失敗するのも勉強だ ▼同じ失敗を二度も三度も繰り返す部下がいれば、今度は、この仕事はその人には向いていないと判断して部署を変えてやればいい ▼「そんなこともできないのか」と言う指導者は、人にものを教える資格などない ▼最終的な起用法は監督が決める。だからコーチは、なぜそういう使い方をしているのかを説明してやらなければいけない。 ▼私が見ていて、このやり方ではまず失敗するのではないかと思うのは、各担当コーチに任せられない監督、つまり各部署の責任者に任せられない上司だ ▼良い上司は部下を信頼する ▼上司は、どんなときでも聞く耳を持つことだ ▼人間とは面白いもので、自分がいなくなったら、組織や仕事はうまく機能していかないのではないかと思っている。 ▼ブランド志向の人間は、「自分はどこにいれば一番いい仕事ができるのか」を考えるのではなく、「自分はどこで仕事がしたいか」を考えている ▼一人の若い選手を育てたからといって、その方法がほかの選手たちにも当てはまると考えてはならない ▼プロ野球界の指導者には、三つのタイプがある。それは、その指導者がどの方向を向いて話をしているかで決まる。選手の方を向いて話をするのか、会社(チーム)に向かって話をするのか、一般大衆(メディア)に向かって話をするのか ▼プロ球団のコーチが、若い選手に打撃指導する際、「いいか、基本はセンター返しだぞ」などと言うと、「そんなことは、言われなくても分っている」と感じる選手が多いはずだ。しかし、それがなぜなのかは分っていない ▼監督は「どうせ負け試合になるなら、彼には送りバントの練習でもさせておこう」という意図のもとで、サインを出したのかも知れない。そうすれば、ゲームに負けても意味のある試合になるのだ ▼現役時代の私は、何も悪いことはしてないのにプライバシーを実感できることなどなかった ▼本音ばかりを言ってたら、部下はついてこられない ▼ただし、部下と直接話をする時は、本音を話さなければならない。対外的には本音を隠しても、一対一の会話をする時に建前ではダメだ ▼本音と建前を口にする相手を間違えてはならない ▼絶対してはならないのは、第三者を介した言葉のキャッチボールだ ▼私の持ってる知識などたかが知れたものだ。わからない部分が圧倒的に多い。この“分らない部分”を誰に助けてもらうかが大切だ。ところが、実際の知識はわずかなのに、「自分は全部知っている」と言う人が不思議と多い ▼私はテレビで野球解説をしているが、実況しているアナウンサーに何かを聞かれて、わからない時は「わかりません」と言う ▼わからないことは「わからない」と言う。ただし、それまでの経験からわかっているところまでは教えてやる。部下とは、そういうコミュニケーションを取りたい ▼まず、教える側には「コーチングとは、正しい知識を教えること」という概念がある。本当にそうだろうか ▼新しい球団に移ってしばらくたった頃、オーナーや球団社長に必ずといっていいほどかけられた言葉が、「君は、思っていたよりも話のわかる人間じゃないか」というものだ。私は、一体どんな人間だと思われていたのだろう ▼先輩や実績のある人を敬い、その功績を称える気持ちは必要だ。しかし、それと給与とは関係ない ▼企業間の競争に勝ちたい、ライバルの会社にダメージを与えたいと思ったら、経営者は、ライバル会社で一番優秀な社員を引き抜くことを考えればいい ▼「相手が一番困ることは何か」を考えるのは、勝負に勝つ条件の一つだ ▼今年何とか優勝したいと思えば、トレードやフリーエージェントに大金を注ぎ込んで優秀な選手を集め、優勝して投資した何十倍という利益を挙げればいい。それで、オーナーが十年に一回優勝出来ればいいと思えば、あとの九年間は寝ていても大きな赤字は生まないはずだ ▼現場を預かる人間は五年後、十年後ではなく、現時点で良い結果を出すことを求められる。だが、その上に立つ経営者は、目先のことではなく五年後、十年後を考えなければならない ▼監督の起用法に関してまで自己主張しているのは信じられない。投手で言えば「自分は一試合百球で代えてほしい」とか「中一週間あけないと、ベストの状態にはならない」というものだが、「僕は先発しかやりません」と言う投手が現れるに至っては、日本の野球界は間違った方向に向かっていると思わざるを得ない ▼自分自身を精神的に追い込んだわけではないし、虚勢を張ったわけでもない。「タイトルというものは、必ずその年に誰かが獲るものだ。それなら、なぜ自分が獲ったらいけないのか」と考えた。ただそれだけのことだ ▼最初に目標を掲げなかったら、良い仕事は出来ない ▼公言してしまうと、自分が笑われるのが嫌だから一生懸命にやる。誰でも「あいつは大ボラ吹きだ」とは言われたくない。加えて、目標を達成するためにやるべきことが見えてくる ▼プロ野球選手の契約とは、自分という商品を球団にいくらで買ってもらうかを決める場所である。そこには「Aという選手はB選手と比較して」といった要素は存在しない ▼私が「伸びる子の共通点は?」と問われれば、「よく食べて体が丈夫なこと」と答える ▼私はこう考えた。「ファウルになる打球をスタンドに入れられないか」 ▼手本になる人の仕事や行動は、貪欲に吸収すべきであろう ▼「タイムを取るのは、何も自分のチームの選手にひと息入れさせたい時ばかりではない。相手のチームに嫌なムードを与え、攻撃の機先を制する使い方もあるのだ」 ▼私が頼りにしていたのは、打撃練習の際のバッティング・キャッチャーである ▼プロ野球界には“投手人間”と“野手人間”という見方がある ▼試合に勝つという「目的」を優先させれば、してはいけない勝負もある ▼人間とは弱いもので、「勝負をしてはいけない」とわかっている場面でも、「今回はうまく乗り切れるかも知れない」という冒険心に負けて勝負を急ぐ ▼最も大切なのは、選手自身がオリンピックという舞台をどう楽しみ、どんな財産を持って帰ってくるかだろう ▼「プレッシャーを楽しめ」などという指導者がいるが、そういう人に限って不必要なプレッシャーをかけている ▼では、どうすればいいか。自分の中で「やるべきことはやった」という実感を持ち、気持ちの整理をつけることだ ▼私は、野球の試合の勝ち負けは、エースと四番の責任だと考えている ▼私の経験で言えば、一流にプロ野球選手になるためには、バッティングは人から教わってはいけない ▼野球には「練習はウソをつかない」という言葉がある ▼タイトルを獲ったり、目標を達成するためには、先行型、追い込み型の両方を兼ね備え、場面に応じて使い分けなければならない ▼自分が積極的に行動していないにも関わらず、その言い訳をする人が本当に多い ▼彼らは「時間がなかった」と言うが、そもそも時間とは自分でつくるものだ ▼私は何か困難な問題にぶつかった時、自分の置かれた状況を正面からだけではなく、横から斜め、上から下と、様々な角度から見つめるようにして来た ▼トレードが人事異動なら、フリー・エージェントはヘッド・ハンティングだ ▼壁にぶち当たった時に、自分のやってきたことを否定してしまうと、すべてがスタートに戻ってしまう ▼「なぜ、俺が動かなくちゃいけないんだ」と言って我を通してしまう選手は、チームに取って不要な存在だ ▼私は七十八年のドラフト会議でロッテから三位指名を受けたが、この時に巨人が二位で指名するという話があったらしい。ところが“江川騒動”によってドラフト会議をボイコットしてしまったから、私を指名することが出来なかったのだ。 |