1998.12.9刊/ベースボール・マガジン社/落合博満・著 |
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前テキストでは、時間やテキスト行数を忘れるほどに
読売の悪口
を書いていたらすっかり長くなってしまい、
肝心の元締めの育成方針について触れることが出来なかった。 ああ、やっぱり嫌いなヤツの悪口を言うのは楽しいよう。 | |||||||||||||||||||||
10月14日、落合一家の中核を担う「世話人発表会」の席で、元締めは
「今は世話人衆も1軍と2軍の区別はしねぇ。
秋季特訓は全員で教え、
それぞれの適性を見て、そのあとで1軍2軍を振り分ける」
と言い放ち、大衆の度肝を抜いた。 奇抜な発想に見えるが、 昨日や今日思いついたような奇をてらったものではない。 元締めは本書にこう書いている。
実際に現場で、若い仕置人と接し、 どういった効果をもたらすか。 だから親分は「世話役は秋季特訓を見てから決める」というのであり、 そして、「優秀な世話役は、二軍に配置」されるのだ。 これは今までの世話人衆が 「解説者時代、テレビの仕事をしていれば1軍コーチ、ラジオの仕事だったら2軍コーチ」 という昔からの伝統を考えれば、画期的なことである。
本書では親分が世話人についての考え方を長々と語った文章が「これでもか!これでもか!」と活版印刷されてる訳だが、 これを全文引用してしまうと、 前に言った話なのに忘れて同じ話を何度も繰り返す校長先生の話のように無駄に長いので、 sato23の解釈で適当にまとめた。 (注:本まとめはあくまでsato23の解釈なので、これを読んだだけでよそに 「落合はそういう考え方なのか!」「オレは賛成できない!」とか 自分勝手に解釈して、言いふらさないように)
さて、これをもとに、最終的な組閣を予想してみる。
親分は現役時代、 「コーチなんて試合に出ないんだから、ベンチにいても邪魔なだけ」 という持論を持っていた。 本書でも「ベンチに必要なのは六人だけ」と豪語し、采配をする監督、 投手起用を考える投手コーチが一人、打撃の調子を見る打撃コーチが一人、 守備位置を考える野手コーチが一人、 それにベースコーチが二人で、計六人いれば十分、というのが落合親分の理想としている。 宇野と孝政はフロントの人選なので、 能力の有無にかかわらず1軍ベンチ入りだろう。 フロントは孝政には「落合が暴走しないための監視役」として、 また、中日OBには評判が悪い落合だけに「落合とOB会の橋渡し役」としての働きを期待しているだろうし、 宇野は「88年優勝ファミリーとして、当時のクリーンナップであった宇野・落合の2ショットがほしい」 という客寄せパンダ、と言うと口が悪いので言い方をかえ、 88年を知るオールド・ファンへのサービス人事 といえる。
一見役に立たなさそうに見える孝政・宇野の両コーチにも、求められる役割があるのだ。
高校の先生をしているところを呼び戻した仁村薫は、 ベンチのムードメーカーとして、 また2軍からあがってくる若手のよき相談相手としての仕事を期待したい。 弟の仁村徹は、今さら2軍でやることもないだろうし、 将来の監督候補生として、勉強のために1軍ベンチで監督のノウハウを引き続き勉強してくれ。 (まだまだ諦めちゃダメだよ!中日がダメでも、ロッテの監督だってあるんだ!) サンドラ上がりの川又は、 2軍に置いておくと若手が気を抜くので左打撃コーチという名目で1軍に隔離、 スカウト上がりの近藤も、 2軍に置いておくと若手が甘えるので右投手コーチという名目で1軍に隔離する。 おそらく、この2人が2軍にいると練習の邪魔だ。
以上の面々は、88年優勝のメンバーである。
胴上げの輪の中に、
落合・宇野・孝政・仁村兄・仁村弟・川又・近藤がいる。
そして当時も今も現役の、山本昌・立浪がいる。
もっとも、中日には将来のコーチ候補生・山本昌がいるので、 ベテランコーチの三千丈と二人三脚で平松や久本の面倒を見てもらおう。 来年は本当にコーチに なってるかも知れないし。(なんちゃって) 指導よりも作戦参謀向きの高代コーチは、 三塁コーチャーズボックスでの毎度の落ち着きのない仕草で、 相手投手をイライラさせてほしい。
さて、以上が比較的
どうでもいい
1軍の方のコーチ。
重要なのは、2軍スタッフである。 | ||||||||||||||||||||||
かつてロッテの投手コーチをつとめ、 試合毎に稲尾監督と激論を交わしたという佐藤道郎は、 2軍監督としてすでに決定している。 先々代の元締め・星野親分が2軍監督に腹心の仁村徹を置き、連絡を密にしていたように、 1軍監督と2軍監督には 「毎日でも連絡をしあう仲良しさ」が必要だ。 (その点、先代の山田親分は大橋穣とのコミュニケーションが悪かったように思う) 2軍監督に指導力はいらないし、 将来の監督候補でない限り采配能力も不要だ。 2軍監督に求められるのは、1軍監督の意思をはっきり2軍に反映させること、 そして育成状況を逐一報告することだ。 「昨日、今中がパチンコで10万負けたらしいよ」 といった一見どうでもいいようなネタでも、 何でも報告できる気安さ だ。 佐藤道郎の名前は、本こんてんつで第一の書として取り上げた『コーチング』の中に登場している。
そして、親分が(中日ファンにしてみれば聞いたこともない)佐藤道郎を 招聘したもうひとつの理由として、 「2軍スタッフを外様でかためることで、甘えを許さない」 という意図が感じられる。 今まで、2軍コーチは球団OBの再就職先であり、 顔見知り同士、選手とコーチがキャッキャ・キャッキャと楽しくはしゃいでいたように思える。 「なあなあ」でやっていた部分は少なからずあるだろう。 ここで、落合親分のルーキー当時、2軍生活についての記述がある。 引用は『勝負の方程式』から。
その意味で、元締めが外部から招聘した石嶺・長島・森繁和は、
2軍を担当してもらう。
4番育成担当は石嶺だ。4番には技術だけではなく、
“4番としての気構え”が必要であり、
阪急の4番(ってブーマーじゃなかったか?>俺)
をつとめた石嶺に、すべてを伝えて欲しい。 以上が、sato23が落合になった気分で作った「オレ流組閣」である。
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