年度 |
年齢 |
出来事 |
1971.7 |
0 |
井上、鹿児島に生まれる。 |
1987 |
16 |
鹿児島商業に入学。 |
1988 |
17 |
夏の甲子園出場。7番ライト。1回戦の学法石川戦で3ベースを放つ。
2回戦で丸亀商に敗れる。
大会後、ピッチャーに転向。
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1989 |
18 |
夏の県予選決勝で、大西崇之の鹿児島商工(現障南)に延長15回の末、敗れる。
大西は「最後のサヨナラは、
ボクが先頭打者で四球を選んだことから始まったんですよ」と自慢する。
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1989.11 |
18 |
名古屋一家にドラフト2位で盃をもらう。
1位は与田で、6位には種田がいた。
井上の担当スカウトは法元さんで、当時の元締めは星野仙一(一次政権)。背番号は「38」。
長身の左ピッチャーという事で期待された。
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1991 |
20 |
デビュー戦でめった打ちにあい、帰りのバスで泣きじゃくる。
両サイドを宇野・落合に囲まれ慰められる。
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当時、名古屋一家で一番怖い顔の3人。
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1994 |
23 |
打者転向。
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1995 |
24 |
いい年してジュニア・オールスターに(打者として)出場。
2本塁打でMVPを受賞する。
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1996 |
25 |
背番号を38→99に変更。
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1998.10 |
27 |
広島・黒田からプロ入り初本塁打。
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1999 |
28 |
仕置人として最盛期を迎える。
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2000 |
29 |
仕置人として最盛期を終える。
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2000.12 |
29 |
愛甲引退を機に、背番号の変更(99→9)を申し出るが球団に断られる。
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2001 |
30 |
この年、仕置会長を井上に譲り辞任するはずだった立浪が、急遽続投宣言。
「今の井上には、まだ仕置会長の座は譲れない。
早くレギュラーを獲るように」
とハッパをかけられる。
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2001.12 |
30 |
J.LEE退団を機に、背番号の変更(99→7)を申し出るが球団に断られる。
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2002.1 |
31 |
正月のインタビューで、立浪が「福留には将来の仕置会長を期待している」と発言。
井上の仕置会長の夢、はかなく消える。
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2003.3 |
32 |
近鉄から大塚移籍の打診。中日はトレード要員として、神野・井上との2対1の交換を申し入れるが、
近鉄に「いらない」と断られる。
この一件で、井上がトレード要員(=戦力外)である事が明らかに、
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2003.10 |
32 |
新元締めに就任した落合が、配下の仕置人への所信表明で
「今年1年は、解雇もトレードもやらない。今いる仕置人だけで戦う。
ただし我慢するのはこの1年だけだぞ」
と明言。井上のクビがかろうじてつながる。
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