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ボラット


「あらゆる笑いは差別と階級性を内包して生まれる」なんて言いますが!

人がバナナの皮で滑って転ぶのを笑うのはバナナなんかで転んでしまった不幸な他人と自分を比較し 「ああ、このマヌケな男に比べて自分はなんて幸せなんだ」と笑っているのです! だってもし本当に「バナナで転ぶこと」=「面白い」なら、 自分がバナナで転んでも大笑いしますか? 毎日バナナですべって転ぼうと思いますか!?

「他人のことを見下したりバカにするような笑いって、好きではないわ」

と言ってるそこの学級委員長も!
「あなたのような笑いのレベルの低い人間と私は違うのよ」 「低俗な連中と違って、私の笑いのセンスはなんと高貴なのかしら!」 と正直に言ったらどうですか!
「バカをバカにして笑う」のも「バカを笑ってる人たちを嘲笑する」のも同じです! 高木采配批判をする人に「批判ばかりしてムカつく」と批判批判をする人たちが同じ人種であるように! 笑いの多くは嘲笑であり、嘲笑は差別から生まれるんだぜファッキン・ビッチ!

さて映画『ボラット』は、そんな気取った偽善者野郎さんたちが心の奥に隠している差別意識を表に引き出し、 「おいみんな見ろよ!こいつはとんだ偽善野郎だぜ!」と晒し者にするドキュメンタリー型ブラック・コメディーです。
ボラットは中東からやって来た外国人という設定で、 リアルなアメリカの町で善良そうに見えるアメリカ人たちを次々に「ハメて」いくのです。

「スミマセーン、ユダヤ人を撃ち殺す銃はありマスカ?」
「ユダヤ人?そうだな、俺ならこいつを使うな」

ギリシャの心理学者ゴルゴテクスは 笑いを

(1)優越感から生じる嘲笑
(2)権力の弱い者が強いものを皮肉る風刺
(3)人間共通の弱さ・悪・ずるさを認めた上で自らを笑う自虐、

という三通に分類しました(誰だよゴルゴテクスって!)(いねーよそんなやつ!)。 「差別的な笑いはよくない」と善人そうな人が言いますが、すべての笑いは差別を含むのです。 差別も偏見もない理想の社会が訪れたら、 そのときは世界から「笑い」がなくなるときです。

ところで、かまぼこ評論家の中島らもさんはこう言ってます。 「笑いは差別的であるというのは大いに得心するが、僕には分からないことがある。 だとすれば、赤ん坊はどうして笑うんだろう?」

えっと、「こんなマヌケ面が俺の両親かよ!爆笑だぜ!」 とか思ってんじゃないですか。(範馬勇次郎が生まれたときはそんな感じでした)


(2012.4.20)

原題BORAT: CULTURAL LEARNINGS OF AMERICA FOR MAKE BENEFIT GLORIOUS NATION OF KAZAKHSTAN
邦題ボラット 栄光ナル国家カザフスタンのためのアメリカ文化学習
公開/製作1994年/アメリカ
出演 ボラット(サシャ・バロン・コーエン)、バガトフ(ケン・ダヴィティアン)
監督ラリー・チャールズ

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