まあ中日ファンだって星野仙一が監督してたときは 「さすがセンイチやで!」 って暴力野球を面白がって観てましたよ! そんで落合監督になってヒロ君 (『悪妻だから夫は伸びる』でノブタンが夫を呼ぶときの呼び名です)が 「オレは暴力は認めない」って鉄拳禁止令を出すと、 「さすが落合はんやで!」って暴力否定にウンウン頷いてましたよ。 とかく人は影響されやすい! 『イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ』はとても変わった映画です。 これ、ドキュメンタリー映画で、 映画監督のティエリー・グレッタがいかにして成功を収めたか、 というサクセス・ストーリーだなと思いながら最初は観てるんですよ。 (映画監督というのは劇中のティエリーの職業です。 この映画の監督はバンクシーです) ティエリーはストリート・アートをカメラで撮り続けるうち、 天才ストリート・アーティストのバンクシーと出会います (国籍・本名・一切不明、誰も正体を知りませんが、その作品はコレクターの間で一個数千万単位で取引されます)。 天才バンクシーと監督ティエリーはお互いを認め合い、親友になって、 二人でアート界に革命を起こしていく話か、と思いながら途中までは観てるんですよ。 だって、あのバンクシー(この映画を観て初めて知りましたが)(世界的に有名な人らしいですよ)が ティエリーの芸術センスを認め、親友になったんですよ! ティエリーもまた天才に決まってます! しかしこの映画、途中から雲行きが怪しくなります。 徐々にティエリーがいかにイヤな男か、 詐欺まがいの仕事をしているかをバンクシーが暴いて行き、 最後の最後で「これ、ティエリーをdisる映画やないか!」 と観客は気づくのです。 (親友に見えたバンクシーは、実はティエリーが大嫌いだったのです!) (そしてこの映画を作る事によってティエリーに復讐したのです!) そして映画を観終わった後、観客は 「ティエリーって芸術家でもないくせに芸術家気取りで、ほんとにイヤなやつ!」 「やっぱ芸術家はオリジナリティだよ!」 「モノマネばっかりのヤツに、芸術家を名乗る資格はないよ!」 と思うのです。 だってあのバンクシー(この映画を観て初めて知りましたが)(世界的に有名な人らしいですよ)が ティエリーのことを徹底的にdisってるんですよ! ティエリーなんかエセ芸術家のファック野郎に決まってます! で、僕は映画を観たあと、 「ん? ところで『イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ』ってタイトルの意味は何だろう?」 とふと思い(映画の中にギフトショップは出て来ません)、 ネットで検索してみました。すると、他の人のレビューでおかしな記述がヒットしたのです。 「バンクシーとティエリーは同一人物である」 はあああああああ???? バンクシーとティエリーが同一人物?????? 映画の中でバンクシーは常に顏が映らないようにし、 声もボイスチェンジャーで変えています。 バンクシーの正体は分かりません。 バンクシー=ティエリーである可能性は、 なくもない事もありえないとは誰も否定出来ないのです! これはあくまで映画を観た客から出た仮説なので、 真相は分かりません。 しかし「もしバンクシーとティエリーが同一人物だったら」 という仮定で映画を考え直してみると、 この映画はまた意味がひっくり返ってしまうのです! 「おい観客!騙されてるのはお前だよ!」 「お前らみたいなマヌケがいるから、 こんなゴミがアート呼ばわりされて金になるんだよ!アハハ!」 人は自分がリスペクトしている人が黒と言えば、黒だと思う。 しかし同じ人が同じものを白だといえば、白だと思い込んでしまう。 そしてそれを「自分の意見」だと思い込んでしまうのです。 (逆も然り!) (もし落合監督が「暴力もときには必要だ」と言えば、 「その通り!」って思ってしまいませんか?) (あ、思わないですか) (じゃあいいです)
(2013.02.04)
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原題 | Exit Through the Gift Shop |
邦題 | イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ |
公開/製作 | 2010年/イギリス、アメリカ |
出演 | ティエリー・グエッタ、バンクシー |
監督 | バンクシー |