TANEDA☆EXPRESS
HiSTORY
(1990-2000)
2000.8.9 update
たねだひとし【種田仁】
    上宮では元木(G)、小野寺(M)と同期で1番を打つ。甲子園の決勝、 延長で自分のセカンドへの送球を後逸されてサヨナラ負け。 主将の元木は泣きじゃくりながら記者に囲まれていたが、種田は甲子園のベンチを蹴り壊し、 「邪魔やろ!のかんかいッ!」と記者を押しのけて引き上げていったというセンイチ組長好みの逸話を持つ。 卒業後は専修大に推薦入学が決まっていたが、中日がドラフト6位で指名して入団。 初球から積極的に振っていく打撃が信条。

    (『PanDra'sBox』(森直彦さん主宰)より)
種田仁・輝く背番号と打撃成績
年度番号監督(順位)試合本塁打点打率年俸
1990星野仙一(4)800.000480万
1991星野仙一(2)107515.272500万
1992高木守道(6)102327.2461600万
1993高木守道(2)1321040.2542000万
1994高木守道(2)41310.1583500万
1995高木守道(5)89822.2253000万
1996星野仙一(2)4016.1782700万
1997星野仙一(6)800.0772400万
199849星野仙一(2)4338.2802000万
199949星野仙一(1)4302.1962000万
200049星野仙一(?)--------2000万
※95年は高木監督→島野監督代行→徳武監督代行

1983

 信じられない話かも知れないが、 種田にも少年時代はあった。八尾北リトルでは岩本(日)と共にプレー。 3番打者として活躍した。(写真は八尾リトル時代、小学校6年の種田)

八尾リトル時代の種田仁
1990
89年ドラフト生
入団発表(前列左・与田剛、右・井上一樹、後列右から二番目が種田仁)

【選手名鑑より】
 88年夏、89年春夏と三期連続甲子園出場。 2年生のときは二塁手、3年生では三塁手だったが、いずれもトップバッター。 昨春は準優勝に輝いた。 甲子園では通算54打数18安打、.333。フィールディングもよく、肩も素晴らしい。
     89年のドラフトは1位・与田剛(NTT東京)、2位・井上一樹(鹿児島商)、 3位・松永幸男(三菱重工長崎)、4位・松井達徳(日産自動車)、5位・山田喜久夫(アホ高 )、 6位・種田仁(上宮高)。 同期で残っているのは井上だけになりましたが、 仲がいいという話は聞いた事がありません。 内野手として入団した種田、投手として入団した井上。 まさかこの11年後に ライトのポジション争い をしているとは誰が考えたでしょうか。
     ちなみに種田はこのとき大学進学を表明していましたが、中日が強行指名して入団。 この頃からヨゴレの資質はあったようです。
年度番号監督(順位)試合本塁打点打率年俸
1990星野仙一(4)800.000480万
1991
キク&種田
同期生対談(右・種田仁、左は山田喜久夫)

【選手名鑑より】
 高校時代は元木(読)と組んで甲子園出場の常連。それだけに基礎は出来ている。 昨季は1軍公式戦8試合出場で3打数ノーヒット、 他に犠牲バント2本、四球1個だった。
     ドラフト5位・キク山田(東邦)と6位・種田(上宮)は89年の春の選抜決勝戦で当たり、 種田の二塁送球がタイムリーエラーを呼び、東邦が優勝しました。 因縁の二人が つまらなそうに トークしてるこの絵は『月刊ドラゴンズ』の90年10月号からですが、 種田とキクがお互いを「キミ」とか「ボク」とか呼び合ってて とても恐い です。
年度番号監督(順位)試合本塁打点打率年俸
1991星野仙一(2)107515.272500万
1992
種田(1992)

【選手名鑑より】
 昨年もっとも成長したのが種田だろう。打ってよし、守ってよし。その上、13盗塁と三拍子揃った。 規定には35打席足りなかったが今年は大丈夫。遊撃にコンバートされる。
     星野監督から高木監督に代ったこの年、高木新監督は種田に自分の現役時代の背番号「1」をプレゼント。 後々、種田がセンイチから疎まれるようになる原因 を作る。星野時代にドラフトで獲得しながらも種田が“高木閥”に汲みされるのはこのあたりに要因があり、 平田・佐藤秀・小島弘務と高木閥が次々と粛正される中、 1軍レギュラーとして実績のある種田は毎年トレード候補に名を挙げられるが、まあ 他にも理由がいろいろあって 、生き残っている。
年度番号監督(順位)試合本塁打点打率年俸
1992高木守道(6)102327.2461600万
1993
種田(1993)

【選手名鑑より】
 昨年は前半頑張ったが、後半ややバテた。 規定打席に達するかと思われたが、結局357打席止まり。 しかし低迷したチームにあってはよくやった方だ。 終盤戦の9月には9試合連続安打もマークした。 スタミナをつけて今季はフル出場を目指してもらいたい。
     この年、種田はチームでただ一人132試合フル出場。 立浪と1・2番を張る「T・Tコンビ」が機能し、チームのリーグ2位に大きく貢献、 野村監督の推薦でオールスターにも選ばれた。 しかし、そんな事より何よりスゴいのは、当時の種田の写真が 結構スリムでさわやか系 というところで、この年、種田ファンが異常増殖するといった 社会現象 にまでなった驚愕事実は、今の若いファンには信じられない「事件」だろう。 「種田・第一次全盛期」である。
年度番号監督(順位)試合本塁打点打率年俸
1993高木守道(2)1321040.2542000万


1994
種田(1994)

【選手名鑑より】
 昨年は全試合出場と頑張った。チームでは一人だけだ。 オールスターにも選ばれたし、いうことなしのシーズンだった。 立浪との1・2番コンビは両リーグを通じてトップクラスで、 今季も優勝目指して大暴れしそう。 10盗塁もチームNO.1だった。
     93年にはフル出場を果たした種田だったが、94年は開幕から不振が続き、 スタメンを ニセ山本 (山本保)と分け合うようになり、 4月終盤には前年開幕からの連続出場が「148」でストップした。 5月に入ると腰痛を発生、さらに左手人さし指の神経炎でバットが握れなくなると、 7月には右足首ねん座と 神野顔負けの「ケガの人間デパート」 と化し、後半は1軍登録40人枠からも外された。 結局この年は41試合に出場、打率1割5分8厘と期待を裏切った種田だったが、 種田がいてもいなくてもチームは2位 というあたりが何とも中日だ。
年度番号監督(順位)試合本塁打点打率年俸
1994高木守道(2)41310.1583500万
1995
種田(1995)

【選手名鑑より】
 昨年は6月25日の試合を最後にリタイア。 ケガさえしなかったらと悔やまれる。酒井・鳥越・神野とライバルが多くなって緊張感を一層引き締める。
     ケガに泣いた94年シーズンだったが、生まれ変わった気分で心機一転、この年は 春季キャンプでいきなり腰痛再発 、思い切り出遅れてしまった。 チームは下位に低迷、シーズン途中で高木監督が辞任するなど大嵐の中、 種田は9月7日の阪神戦から 3試合連続猛打賞 を達成、 さらに10月1日の横浜戦では1番立浪・2番種田・3番松井達で プレーボール三者連続ホームラン (打たれたのはパシリ米)のチーム初記録に名前を残し、 「種田復活」を大いにアピールした。 オフにウインターリーグ遠征の話が持ち上がると、種田は自ら志願して遠征に参加。 完全復活へ向けヤル気満々でハワイへ渡ったが、 ウインターリーグ中に右ヒジを捻挫 、ケガに始まりケガで終わるというオチでシーズンを締めた。
年度番号監督(順位)試合本塁打点打率年俸
1995高木守道(5)89822.2253000万


1996
種田(1996)

【選手名鑑より】
 93年に132試合出場し、完全にレギュラーを獲ったかに思われたが、 最近2年間どうも冴えない。昨年も89試合に出場しただけで、ヒット数も55本。 ガッツもあるし、いいものを持っているはず。 今季こそ満開と行きたい。
     右ひじ痛と左ひざ痛をだましだましながらも開幕1軍を獲得した種田だったが、 5月に入ると右ひじ痛を再発、ついでに左足親指も痛め、登録抹消。 3ヶ月間のファーム暮らしの後1軍に戻って来たが、結局このシーズンは40試合出場にとどまった。 オフの11月に右ひじと左足首の軟骨除去手術に踏み切った種田は翌97年のシーズンを棒に振る事になるのだが、 そんな事より シーズンどころか選手生命を棒に振りかねない 事件がこのオフ、起こる。友達の小森君が プレー以外の話題で新聞の話題を独占 し、翌オフにはこれが増えるワカメのように増えに増え、 球界を揺るがす大事件に発展する。

年度番号監督(順位)試合本塁打点打率年俸
1996星野仙一(2)4016.1782700万
1997
種田(1997)

【選手名鑑より】
 故障があって40試合しか出場出来なかったのは残念だった。 今季はレギュラー復帰を目指す。 93年には130安打、10ホームランした実績がある。
     右ひじと左足首の手術後、6月5日に1軍登録され2番スタメンで復帰した種田だったが、 すぐに右足首痛と右肩痛と バランスよく故障 し「故障の人間デパート」振りを発揮、6月22日にはサクっと登録抹消された。 9月に一度上がったものの、このシーズンは8試合出場に終わった。

     そして激動のオフ。国税局はプロ野球選手とJリーグ選手の集団脱税を摘発。 当初、関与した選手の名前は明かされなかったが、 『東スポ』が爆弾スクープとして

    「中日の大物・T内野手が脱税!」

     と1面トップで報道。 全国3億9000万人ドラゴンズファン(不法入国のプエルトリコ人含む)は 「え?!立浪!?それとも大豊?!」と騒然としたが、 鳥越と種田 だった。

     国税局は名前の上がった19名のうち、脱税額の多い小久保ら10選手を起訴、 他の脱税額の比較的少ないとされる選手は不起訴となったが、 起訴選手には4週間〜8週間、不起訴選手には3週間の出場停止処分が両リーグから課せられ、 東スポから大物内野手呼ばわりされた種田も 開幕から3週間の出場停止処分を受けた。

    【起訴】小久保・渡辺(ダ)、北川・宮本(ヤ)、波留・万永・川崎(横)、三輪(オ)、 鳥越・山田洋(中)
    【不起訴】川尻(神)、秦(ヤ)、米(横)、種田・遠藤・佐藤秀(中)、 藤井・斎藤貢・本間(ダ)


     種田は輝く背番号「1」を没収、 始終苦しむ「49」に変更、 オフの間はボランティア活動をして過ごした。

年度番号監督(順位)試合本塁打点打率年俸
1997星野仙一(6)800.0772400万


1998
種田(1998)

【選手名鑑より】
 昨年は6月に8試合出場しただけ。6月6日の読売戦でのヒットが唯一。 93年に130安打した事もある。今季は開幕1軍入りを目指す。
     開幕から3週間の出場停止。だが、種田に取ってはそんなことは関係ない。 3月21日の対読売交流試合、種田はカットプレーの際に すっ転び 右足首くるぶしにヒビ。 全治3週間で今季も4月はお休みと、謹慎期間などあろうがなかろうがどうせ故障で休む 見事な「故障デパート」振りを見せつけたのだった。 その後、4月終盤からウエスタンで復帰、 「皆好調でなかなか(1軍昇格の)出番がない。とにかくやらないと始まらない」と、 誰かが不調になるのを呪いの念で待っていた 種田だったが、6月になると(呪いが効いて)李が阪神・川尻から死球をお見舞いされ右ひじ骨折で戦線離脱、 入れ替わりで1軍昇格となる。 1軍に上がった種田はいきなり1号ホームラン、さらには猛打賞の大活躍でお立ち台に。 ヒーローインタビューでは 「中日の1番は(李ではなく)種田です!1番・種田をよろしくお願いします!」 と堂々のレギュラー獲り宣言、ナゴヤドームのお客さんの喝采を浴びたが、 その2日後に右足首捻挫でリタイア。 あっという間に2軍にお帰りとなった。
年度番号監督(順位)試合本塁打点打率年俸
199849星野仙一(2)4338.2802000万

1999
種田(1999)

【選手名鑑より】
 昨年は6月から戦列に参加。6月27日の広島戦では早くも3安打の猛打賞。 かつてはシーズンを通じてベンチ入りした事もあった。
     この年は珍しく故障もなく久々の開幕1軍キップを手にした種田だったが、 1軍が炎の開幕11連勝、レギュラー陣が好調で出番なく、4月5日には早々と登録抹消された。 「体調はよかった。力がなかったんだよ」。 6月に故障の立浪と入れ替わりで1軍昇格したものの、目立った活躍はなく、 この年の『週刊ベースボール』増刊・ドラゴンズ優勝記念特集号の選手紹介では、 「7月20日のヤクルト戦で、送りバントを二度も決めた」と紹介されるなど シーズンを通して二度の送りバント成功くらいしか話題がない 現実をまざまざとクローズアップ。9月終盤まで1軍にいたが、 やはり種田はまだ「放送禁止」なのか、優勝直前に突然の登録抹消 、胴上げ&ビールかけには参加出来なかった。この年は鳥越がシーズン中にダイエーにトレード、 佐藤秀がオフに自由契約と「例の事件」に関わった選手達の粛清が始まっており、 いよいよ種田の首筋に寒いものが。
年度番号監督(順位)試合本塁打点打率年俸
199949星野仙一(1)4302.1962000万

1999日本シリーズ
種田(日本シリーズ)
     優勝決定の瞬間を自宅で寂しく見ていた種田だったが、日本シリーズになると急遽呼び戻される。 相手は「スパイ疑惑」「脱税」「経営不振」で鳴らす福岡ダイエーホークス。 「毒をもって毒を制す」、 不景気な話なら誰にも負けない種田が大抜擢された形だ。
     日本シリーズでは種田は、緒戦に代打で登場し工藤(ダ)からヒットを放ち、 第5戦では 1勝3敗と後がなくなりヤケクソになったセンイチの投げやり起用 で「2番サード」でスタメン出場、第1打席で送りバントと相手のエラーで出塁したものの、 最終的にシリーズ5打席4打数1安打(1犠打)で終了、 勝利に貢献する事は出来なかった。
第1戦● 代打 中安 ---- ---- ---- ---- 1.00
第2戦○ ベンチ ---- ---- ---- ---- ---- 1.00
第3戦● 代打 三振 ---- ---- ---- ---- .500
第4戦● ベンチ ---- ---- ---- ---- ---- .500
第5戦● 2番サード 投犠 中飛 遊飛 ---- ---- .250
     この後、種田の 伝説となるあの打撃フォーム への改造が始まる。

2000
種田(2000)

【選手名鑑より】
 かつてのレギュラー選手も、控えに回って4年間、やや不振にあえいでいる。 昨年も代打では23打数5安打、.217と低率だった。

故障デパート・種田の故障履歴
1990 
1991 
1992 
1993 
1994腰痛・左人さし指神経炎・右足首捻挫
1995腰痛・右ひじ捻挫
1996右ひじ痛・左ひじ痛・左足首痛(オフに手術)
1997右足首痛・左肩痛
1998右足首ヒビ・右足首捻挫
1999 
2000 
     甲子園の脇役からナゴヤ球場のヒーローへ。そして故障→脱税→故障と波乱万丈の野球人生を送ってきた種田。 自分が学業をおろそかにしたのが原因で大学に落ちたのを「不幸」の一言で片付け、 自分で自分を「雑草」呼ばわりしてる何処かのエリート とは比べ物にならない苦労を背負ってきた種田に、ようやく二度目の春が訪れた。 自ら編み出した「ガニマタ打法」で種田は代打・11打席連続出塁の日本記録を達成、 内外野どこでも守れるユーティリティ・プレーヤーとして、 最近は「スタメン・3番」を任せられる事も多くなった。

     それでも、そのダーティーなイメージから「いつ戦力外通告を受けてもおかしくない」不安と戦う毎日は変わってない。 種田は生き残るためにバットを振る。結果を出すことで、野球を続けさせてくれた球団やファンに恩返しをしようとしている。
     「バッター、井上に代わりまして、種田」
     湧き上がる大歓声。 井上一樹ファンのWebmasterとしては、「何じゃとコラ!死ねセンイチ!」 と思わなくもないのだが、懸命に頑張る種田の姿を見ると、応援しないわけにはいかないじゃないか。 周囲の轟々たる批難と、度重なる故障と戦ってきた種田の努力が、今、報われようとしている。


    輝く瞳と 背番号 未来へ打て走れ 種田仁


年度番号監督(順位)試合本塁打点打率年俸
200049星野仙一(?)63 416.3222000万
(8月6日終了時点)


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