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評論家ごっこ  僕は赤毛のアン評論家である。 孤児で赤毛のアン・シャーリーはマシュウ兄妹に引き取られる事になった。 ところがそれは手違いで、マシュウ夫妻は本当は男の子を要望していたのである。 だがしかし、と僕は思うのだ。 アンが「女の子を期待している家」に貰われていたとしたら、 最初こそ「まあ、理想通りの女の子だわ!」と歓迎されたとしても、 徐々に 「思ってたイメージと違う…」 と失望感を与え、疎まれ、 アンの未来は暗いものになっていたのではないだろうか。 アンの明るい未来は、 「マシュウ兄妹だからこそ」拓かれたのだ。
(2010.2.8)

 その日、野本圭の気持ちは期待と不安で入り混じっていた。
ドラフト会議
 2008年のドラフト会議当日、 果たして自分は指名されるのか、されるなら何処の球団なのか。

 前評では中日の指名が予想されていたが、 中日では他に 甲子園の怪物・大田泰示、 地元のスター候補生・伊藤準規も指名候補として挙がっており、 誰を1位指名するかは直前まで流動的だった。
 そして、中日の指名選手が発表された。

 「中日・1位、野本圭。日本通運」

 大田・伊藤を抑え、 中日が選んだ1位指名選手は野本だった。
 怪物・地元を振り捨てて自分を選んでくれた、野本もさぞや野球選手冥利に尽きたことだろう。

 野本については東北楽天も1位入札したが、抽選の結果、 中日が独占交渉権を獲得した。

 記者会見の席上、野本は満面の笑みで喜びを語った。
野本
「幸せでーす!」

 「幸せな気持ちでいっぱい。目標は開幕からゲームに出ることです!」

 ところが、このドラフト直後、中田スカウト部長から とんでもない言葉 が飛び出したのである。

 「過去に競合覚悟で清原、福留、松井秀を指名してきたのはウチだけ。 これといった打者 はすべて指名してきたのに…」
野本
「え?」

 なんとスカウト部のトップが、 本当は野本なんか指名したくはなかった ことを堂々と公言したのだ(!)。

 加えて、野本は投手ではなく打者である。 にも関わらず 「これといった打者」を指名出来なかった ことについて恨み言を放ったのである。

 さて、中日の過去のドラフトを振り返ってみよう。


中日ドラフト抽選の歴史
(初回1巡目指名のみ)
年度 指名入札
2008 1位 野本圭
2007 1位 長谷部康平
1位 佐藤由規
2006 1位 堂上直倫
2001 1位 寺原隼人
1999 1位 河内貴哉
1995 1位 福留孝介
1994 1位 紀田彰一
1992 1位 松井秀喜
1991 1位 斎藤隆
1990 1位 小池秀朗
1989 1位 古里泰隆
1987 1位 立浪和義
年度 指名入札
1986 1位 近藤真一
1985 1位 清原和博
1984 1位 武田光訓
1982 1位 野口裕美
1978 1位 森繁和

 なるほど。
 いちいち「打者」と強調したのは、 「松坂・野茂・江川・荒木大輔といった大物投手は全然取りに行ってないじゃん? 中日スカウトの目ってどれだけ節穴なんだよ」、 というツッコミを避けるためのようだ。

 何にしても、野本はいいツラの皮である。
 指名されたその日のうちに 「本当は別の打者が欲しかった」(意訳) と言われてしまっては、 野本は立つ瀬がない。これではまるで、貰われて行った先から 「本当は男の子が欲しかったのに」 と言われた赤毛のアンじゃないか。
赤毛のアン

 しかし、明るく前向きで努力家で気分屋のアン・シャーリーはショックから立ち直り、 マシュウ兄妹に認められ、愛され、家族みんな幸せになった。
 野本もまた、 「自分の思うような高評価じゃなかったので、入団拒否します。 7対3で拒否が7」 なんてことを言い出すような子じゃなかった。

 明るく前向きで努力家の野本は、猛練習に励み、実力で開幕一軍を手にし、 一躍外野のポジション争いに食い込んだのである。

 今思えば、あの発言は、現状に満足し慢心・油断しがちなドラフト1位に、 これで満足するなよ、プロは厳しいぞと気合いを注入した、 中田スカウト部長の分かりにくい愛情表現だったのではあるまいか。 (←最後にフォロー)



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