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山田時代

山田監督が途中休養 2003年

山田久志
九 月七日、ヤクルト・宮出のハーフスイングの判定に山田監督が審判に猛抗議、 敷田直人塁審の体に触れたことが暴力行為とみなされ、 山田監督は退場処分を受けた。

 次の日、山田監督は球団から突然の 解任通告 を受け、 九日に休養を発表したんだ。


どこかで聞いたような話だな。 青コアラ
金コアラ 「もの静かな監督が珍しく興奮して退場」 は、ちょっとした退任フラグになったな。

 この時点での中日は、リーグ順位こそ五位だったけど借金は「二」で、 それほど悪いという成績でもなかった。 優勝は絶望的とはいえ、まだ勝ち越し・Aクラスは十分に射程範囲。
 山田監督は三年契約のまだ二年目だったし、ファンからは「まだ早いんじゃないか」 「センイチ色の一掃か」との声もささやかれた。

 しかしバツの悪いことに、 山田監督が休養を発表するとチームは生き返ったように反撃を開始、 残り試合を十四勝五敗と勝ちまくり、 最終順位をリーグ二位で終えたんだ。

「何故その爆発力を俺がいるときに…」
「二位は狙えるポジション」なのに解任されたのか。 青コアラ
金コアラ 中日のお家騒動に巻き込まれたわけだな。 久志も守道同様、フロントにサポートしてもらえなかった悲運の監督だったよ。


2003年
順位表
2003年順位

2003年
表彰選手
2003年表彰選手

2003年
チーム内ベスト
2003年チーム内ベスト

甲子園のスター達

三澤興一
三澤興一
(帝京高)
【1991春】二回戦敗退
 二回戦で桐生第一に敗れる。
【1991夏】ベスト8
 準々決勝で大阪桐蔭に敗れる。
【1992春】優勝
 五試合四十五イニングで防御率0.80と力投。チームを優勝に導いた。
【1992夏】一回戦敗退
 一回戦で尽誠学園に敗れる。



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