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第二次星野時代

大豊が中日復帰 2000年

星野仙一
阪 神に丁稚奉公に行っていた大豊泰昭が戻ってきた。


 三年前に関川・久慈とのトレードで阪神に苦行の旅に出た大豊だけど、 三年間のおつとめが相当苦労したようで、 帰ってきたときには髪の毛もすっかり薄く なっていた。

 阪神時代の大豊は、 ホームラン二十一本打って規定打席に達しても三十パーセントダウン、 打率三割四分打てば二十一パーセントダウン、 そしてこの年のオフ、 ホームラン二十三本でまたまた限度額いっぱいの三十パーセントダウンの提示を受け、 いやになっちゃったんだね。

 毎年限度額いっぱいかそれに近いダウン査定に、 「これではまるで、自分がこのチームで必要とされてないように思える。 もし必要ないなら、自由契約にしてくれませんか」 と言ったら、阪神は本当に自由契約にしちゃったんだ。 それで中日に戻って来たんだよ。

大豊の年俸推移
年度 チーム 年俸  
1996 中日 38 89 .294 1億4500万  
1997 中日 12 35 .240 1億8000万 △24%
1998 阪神 21 61 .231 1億8000万
1999 阪神 18 39 .341 1億2600万 ▼30%
2000 阪神 23 54 .241 1億 ▼21%
2001 (阪神提示額) 7000万 ▼30%

さすが関西商法、「二割三割(ダウン)は当たり前!」 てな感じだな。 青コアラ
金コアラ 大豊がいたころの中日はまだ 「大幅アップはそんなに無いが、そのぶん大幅なダウンもない」 チームだったからな。
中日もその後、ブラックバス(=FA選手)が輸入されると、 年俸バランスが崩壊して目茶目茶になるんだがな。、 青コアラ

 大豊は、中日→阪神に移籍した二年後に中日優勝、 阪神→中日に出戻りした二年後に阪神優勝と、 「いなくなってから元いたチームが優勝する」 という不思議ジンクスを作り、 本人は一度も優勝経験のないまま引退した。


大豊復帰

人物紹介
土谷鉄平
土谷鉄平
(つちや・てっぺい、2001-2005)
 中スポでは「九州のイチロー」と書かれた、全国に数いるイチローの中の一人。 楽天移籍後、やずやの『雪待にんにく卵黄』を飲んで打撃開眼した。

山崎賢太
山崎賢太
(やまさき・けんた、2001-2003)
 同姓の山崎武司がいたので、「賢い方の山崎」と呼ばれた。

仲沢忠厚
仲沢忠厚
(なかざわ・ただあつ、2001-2005)
 高校時代はガッツあふれるアグレッシブなプレーで、 野球部を活動停止に追い込んだ。


辻田摂
辻田摂
(つじた・おさむ、2001-2002)

 テレビ東京『浅草橋ヤング用品店』の企画でアメリカ球界デビュー。 成功していたらモーニング娘。テイストな企画系プロ野球選手が続出していたんだろうかと思うと、 成功しなくてよかった。(引退は「卒業」とか言われて)


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