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第二次星野時代

朝倉、「指名しません」の挨拶を受ける 1999年

星野仙一
ド ラフトでは国学院久我山の河内貴哉投手と相思相愛、 高校生には逆指名とか無いんだけど、河内君が 「希望球団は中日」と明言してくれていた。 そこへ、近鉄と広島が割り込んできた。

 しかし三球団一位入札で抽選の結果、 交渉権は広島が獲得。 中日に入りたいというほど純粋で真っ直ぐな性格の河内君だから、 意中の球団でなくともわがままは言わず、そのまま広島に入団した。

 さて、通常、 ドラフトで指名する予定の選手には事前に挨拶をするのが慣例となってるんだけど、 中日は事前に東邦高校の朝倉健太投手に 「今回は指名しません」 の挨拶をしていた。

 朝倉に対しては中日は早くからマークしていたんだけど、 河内を一位指名にすることが決まったため、 朝倉に指名断りの挨拶をいれてたんだ。 中日が指名しなかったら西武が一位指名するという裏情報があり、 二位以下には残ってないと思ってたからね。

 ところが、その西武が直前になって方針変更、 こちらも朝倉に「指名断り」の挨拶をしてきた。
 これで朝倉は宙ぶらりんになっちゃったんだ。

 こんな経緯があり、河内をくじで外した中日は 「指名しません」と挨拶していた朝倉を一位指名 するというドタバタ・ドラフトになった。

朝倉にしてみれば天国から地獄、地獄から天国だな。 青コアラ
金コアラ サル山のてっぺんから山のふもとのサルに転落、 またボスザルに復帰といった具合だな。

 そして中日は二位でも 田中賢介(東福岡高)を入札して日ハムとの競合で外し、 一位・二位ダブル抽選負け というセンイチにしては珍しい勝負弱さを見せ、 ドラフトを三人指名で繰り上げさっさと帰ってしまったんだ。

 星野監督はすぐに緊急会議を開き、 ドラフトで準備していた補強費をすべてFA補強に投入 することを決定、FA宣言していた江藤智(広島)と工藤公康(ダイエー)の 両獲りに全力をそそぐことにした。

 でも、結局江藤も工藤もダブルで読売に獲られ、 中日は「宣をクビにしてまで準備した補強費」を使うことなく年を越す。

 そして年が明けると、中日は 現役メジャーリーガー、昨季年俸六億円の超大物助っ人 の獲得に乗り出すんだ。


1999年
ドラフト
1999年ドラフト



人物紹介
朝倉健太
朝倉健太
(あさくら・けんた、2000-)
 いまどきの若者風に眉毛を剃って整えていたことから、 「新霊長類」と呼ばれた。

福沢卓宏
福沢卓宏
(ふくざわ・たかひろ、2000-2003)
 朝倉とは高校時代から仲がよく、 福沢が戦力外通告を受けたときは朝倉が 「僕の給料を削ってもいいから福沢を残してください」 と球団に直訴したが、朝倉もそんなに貰ってなかった。

山北茂利
山北茂利
(やまきた・しげとし、2000-2004)
 ウィキペディアに「愛称はアフロディーテ、ランディなど」と書いてあるが、 誰がどういう経緯でアフロディーテと呼んでるのかについては一切の説明がない。

呂建剛
呂建剛
(ル・チェンガン、1999-2002)
 中日で四年間修業したあと、中国プロリーグ発足とともに帰国、 中国ナショナルチームのエースとなった。


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