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第一次星野時代

星野監督、辞任 1991年

星野仙一
二 位→優勝→三位→四位と来た星野ドラゴンズの五年目、一九九一年シーズン。


 開幕戦ではドラフト五位入団のルーキー・森田幸一が中継ぎで登板、 逆転試合で 「新人開幕勝利投手」 となった。

 これを皮切りに森田は獅子奮迅の大活躍、 故障の与田に代わる新クローザーとしてフル回転で五十試合に登板し、 十勝三敗十七セーブを挙げ、中日からは 二年連続の新人王 誕生となる。

 ここで、 「あれ? いま『故障の与田』って言った?」 と思った人も多いんじゃないかな。

 そう、与田は新人王を獲得した翌年に故障、 三年目に復帰するけど、四年目にまた故障、 その後は泣かず飛ばず、燃え尽きてしまったんだ。

 そして森田もまた、この一年目がピークで、 新人王を取りながらわずか五年で現役生活を終えてしまったんだよ。

そして中日は「新人クラッシャー」の異名を取ることになる。 青コアラ
金コアラ この頃の中継ぎ・抑えはイニング数なんか関係なかったし、 三連投・四連投・五連投なんて当たり前にやってたからな。
科学よりも“気合”が主流だった不幸な時代さ。 青コアラ

 中日は郭源治が抑えに先発に大車輪、 打っては主砲・落合が夏場に大活躍し、 優勝が見えるところまで行ったんだけど、 九月に 歴史的大失速で自滅し、 山本浩二率いる広島に追いかれ、追い越されてしまう。 (広島市民球場でしつこく流れていた試合前VTR『一九九一年の優勝』がこの年だよ)

 そして広島にマジックが点灯、 中日の自力優勝が消滅した九月二十二日、 星野監督のこのシーズン限りでの辞任 が発表される。 理由は「健康上の理由」ということだった。


1991年
ベストオーダー
1991年ベストオーダー

1991年
順位表
1991年順位

1991年
表彰選手
1991年表彰選手

1991年
チーム内ベスト
1991年チーム内ベスト

人物紹介
ライアル
ライアル
(1991-1992)
 マーク・ライアル。応援歌では「マーク」と歌われた。 最近「マークン」なる偽モノが出回ってる。



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