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六月三日(水)●オリックス―○中日 の向こうにあるという金の成る木を探しにメジャーに行ったカブス・福留と、 嫁を探しにメジャーに行ったブレーブス・川上が “元ドラゴンズ戦士による日本人対決”を実現させている頃、 日本でも 夢の対決が実現していた。 楽天vs中日! ダイエーvs中日! 交流戦に入ると 何だか何処行っても中日の選手ばっかり なのはさすが信頼と実績の中日ブランドといったところだが、 ドラゴンズで基礎を叩き込まれた選手は何処に行っても通用する、 という証明でもある。 そして、中日がパに送り出したカッコウの子たちの中でもワールド・クラスの大物、 最大・最強の敵 がオリックスのユニフォームを来て立ちはだかった! そう、あの伝説のシドニーオリンピック日本代表、 “シドニー”こと世界のフミヒロ だ。 オリックスvs中日!
人物紹介
言ってみれば、フミヒロは谷繁の入団によって中日を出された(出て行った)格好。 今ここに、「フミヒロvs谷繁」の因縁の対決が実現したのである。 シドニー五輪で世界に名をとどろかせたフミヒロと、 FA宣言のときにはメジャーのテストを受けて受験だけして帰ってきた谷繁、 国際派二人 の対決は全くの互角の勝負、 両者互いに十失点ずつ という一歩も譲らない展開で試合は八回を迎えた。 八回表にメジャー(受験のみ)谷繁のタイムリーで中日が一点を勝ち越し、 裏のオリックスの攻撃、先頭打者はここまで三安打猛打賞のミスター五輪・フミヒロ。 ここでオリックス・大石監督がこの国際派対決に水を差した! 「バッター、鈴木郁に代わりまして、日高」 大石監督が、ここまで三安打猛打賞の活躍、 出塁したら全て得点に絡んでいた世界のシドニーに、代打を送ったのである。(!) この瞬間、試合の行方は決した。
中日が三点取れば三点与え、四点取れば四点与え、 三点取れば三点与えるという 測ったようなシーソーゲーム を演出したのは、 二軍時代にフミヒロとバッテリーを組んでいた小笠原・中里。 「フミヒロさんとずっと試合をしていたい。 延長十二回フルに戦いたい」という 後輩たちの熱い思いに気づかず、 フミヒロに代打を出してしまったのがオリックスの敗因だった。 こうして、中日は敵地・大阪で二戦二勝、 大阪の地を完全制圧した。 |
森野将彦 (もりの・まさひこ) 井端弘和 (いばた・ひろかず) 和田一浩 (わだ・かずひろ) 谷繁元信 (たにしげ・もとのぶ) 井端弘和 (いばた・ひろかず) 荒木雅博 (あらき・まさひろ) ブランコ デラロサ |