東日中京スポーツ
第15号 交流戦前2位通過予定通り号
■ドアラ弁当発売!
5/18(金)
先発  
内海 読売
川上 中日

5/19(土)
先発  
姜建銘 読売
中田 中日

5/20(日)
先発  
高橋尚 読売
山本昌 中日
 18日からナゴヤドームで新弁当が発売された。
 この恐怖の弁当は、 一見して普通のユニフォーム型の弁当に見えるが、


ドアラ弁当・表


 実はおそろしい二面性を隠し持っていたのだ!!


ドアラ弁当・底


 ギャーッ!!弁当の底からドアラがーーッ!?

 弁当の底、密かに隠れ棲むドアラ。
 ドアラはおかずの底で、お客さんが食べ終わるのをひたすら待ち、 食い終わったあとで「ジャジャーン!ドアラでーす!」と出てくるという超絶ビックリ企画!
 まるで、ドアラの人生そのものである。


☆   ☆   ☆   ☆   ☆


 思えばドアラの人生、暗かった。

 かつて藤圭子はヒット曲『圭子の夢は夜ひらく』の中で、「十五、十六、十七と、私の人生暗かった」と歌ったものだが、 圭子の苦労なんてたかが3年間である。ドアラの苦労は、デビューした1994年まで遡り、つい最近まで続いていたのだ。



DOALA HISTORY

■初代ドアラ誕生

 1994年、ナゴヤ球場にドアラが最初に登場したときの人々の印象は、

 「何!?あのキモい生き物!?」
 「耳デカッ!っていうかモチーフは何?」
 「コアラらしいけど…」
 「コアラ!?名古屋なのに何でコアラ!?名古屋にコアラなんて住んでないじゃん!あれオーストラリアでしょ!?」
 「いや、ほら、東山動物園にコアラいるから…」
 「動物園にはカバさってキリンだってゾウだっているだろーがッ」
 「ああっ、子供が泣き出しちゃった!ドアラ、ちょっと何処か行って!!」

 と散々な評判で、その風貌から“ドアラ顔キモッ!”と呼ばれていた。

 実際、初代ドアラは痛々しかった。


初代ドアラ

↑初代ドアラ


 いったい何を間違えてこんなデザインにしてしまったのだろう。 中日「ドラゴン」ズなんだからドラゴン関係のマスコットかと思っていたら、 まさかの東山動物園・広告塔。
 存在も不可解だし、顔もキモいというこのマスコットへの風当たりは強かった。

■引退の噂、流れる

 このままではドアラも子供たちもあまりに不憫なので、 見た目をちょっと(当社比で)可愛くしたリニューアルも行われたが、焼け石に水。

 「ドアラ、キモッ!」
 「っていうかあの耳毛なに? 耳毛長過ぎ!!」
 「今度からあいつのことを“耳毛”と呼ぼうぜ!」

 ニックネームが“ドアラ顔キモッ!”から“ドアラ耳毛キモッ!”に変わっただけだった。

 ナゴヤ球場での1軍公式戦が終了した1996年には、 「ドアラ引退説」が流れ、 これで終わりと思った牧野さんと本多さんが、カメラマンの要求するままに ドアラの首を取ってしまう という“あってはならない事態”まで起こってしまった。


ドアラの中の人 ドアラの中の人

↑ドアラの生首を抱える牧野さんと本多さん


 ドアラ引退説は、 「ドアラ早く引退しないかな。引退して欲しいな。そうだ、ナゴヤ球場と一緒に忘れることにしよう!」 というファンの思考が、 いつ間にか球団の決定事項であるかのように流れてしまった、残酷な“風説の流布”だった。

 実際、既にドアラというマスコットがいるのに、 ナゴヤドーム移転と共にシャオロンを登場させた球団側の意図としては、 「しばらく併用してみて、シャオロンの人気が安定したところでドアラは切り捨てよう」 という計算があったに違いない。(日ハムは、そうやって移転のドサクサでファイティーを切り捨てた)

 しかしそんな思惑をよそに、ナゴヤドーム移転の目玉として登場した 新マスコット・シャオロンが、全くパッとしなかった ことがドアラの生命線をつないだのである。


■シャオロン、パオロンの登場

 ドアラに取って代わるべく登場した新マスコットの姿に、ナゴヤドームの4万大観衆は一斉に静まり返った。

初代シャオロン

↑新マスコット・シャオロン

 見た目がカバ…!
 動きが鈍い…!
 バク転も出来ない……!

 …12球団見渡しても、これだけ動けないマスコットは稀である。

 シャオロン人気が伸び悩んだことから球団はあわててパオロンを“テコ入れ”したが (初期設定は妹だったが、後に女友達に変更された)、 パオロンにいたってはもはや歩くことすら困難、 横断歩道を渡るおばあちゃんのようにトコトコと歩く姿は、 かわいらしいというよりは「痛々しい」、 スピードアップを提唱していた21世紀の野球に逆行するものだった。

 そんな中、一躍脚光を浴びたのが
 今まで日陰者の存在だったドアラ
 である。(!)

 シャオロン、パオロンの動きを見たあとドアラを動きを見ると、 走るスピードはまるで光速、バク転は五輪金メダリストの芸術技 に映り、観客を魅了したのだった。

 「なんだ!あのキビキビした動きの、美しい舞を踊るキモい顔のマスコットは!?」
 「ベンチから外野まで全速力で走って来たぞ!なんだあのキモい顔のマスコットは!?」
 「あ、あれはドアラじゃないか?」
 「え!? ドアラってまだいたの!?」

 いたのだ。

■交流戦で大ブレイク!


 そうして徐々にその地位を取り戻していったドアラだが、 本格的にブレイクしたのは、2006年の交流戦・ビジター開催だった。

 交流戦、ドアラは石黒広報とともに千葉マリン、西武ドーム、フルキャス宮城と、 全国のビジター球場を転戦した。 そして敵地のど真ん中で中日の応援パフォーマンスを展開、ビジターファンのハートをがっちり掴み、 その波は全国に広がっていった。

 「中日には凄いマスコットがいるらしいぞ!!」

 その評判は他球団ファンにも伝わり、ドアラ人気はビジター中日ファン及び他球団ファンの間で最高潮に達した。
 交流戦が終わる頃にはドアラは「12球団ナンバーワンのマスコット」として、ナゴヤに凱旋したのである。


 そして2007年、ついにナゴヤドームで『ドアラ弁当』の発売が決定した。
 弁当箱の底で、

 「フフフ、今日はどうやってお客さんを驚かせてやろうかな」

 とほくそ笑むドアラ。

 今でこそ 「ドアラ、最近ちょっと調子乗りすぎ」 と言われがちなドアラだが、ドアラは長く苦しい下積み生活を過ごし、 「顔キモッ」「顔と体のバランスがキモッ」「耳毛キモッ」と言われながら、 チームが弱いときも、ファンの心が折れそうなときも、辛いとき・苦しいとき、 決して笑顔を絶やさず、縁の下でずっとドラゴンズを支え、応援し続けてきたのだ。

 「ドアラ弁当」のドアラもまた、おかずの底でじっと出番を待っている。
 ドアラの人生に、まさにぴったりの弁当であるといえまいか。

■岡本、あと一人!
 天才右腕・岡本が18日の読売戦で1イニングを3人で締め、 これで対読売戦における岡本は 2006年8月20日の対読売戦8回裏3アウト目から数えて 27人連続ノーヒット(1四球)継続中だ。

ここ最近の岡本の対読売戦成績
(2006.8.20〜2007.5.18)

1回 08/20(日) 矢野   中飛
09/02(土) 鈴木尚  二ゴ
09/02(土) 高橋由  三振
2回 09/02(土) 李    三振
10/10(火) 小久保  捕邪
04/04(水) 矢野   三振
3回 04/04(水) 鈴木尚  二ゴ
04/05(木) 木村拓  遊飛
04/05(木) ホリンズ 三振
4回 04/05(木) 鈴木尚  三振
05/02(水) 阿部   一ゴ
05/02(水) 脇谷   三振
5回 05/02(水) 鈴木尚  右飛
05/02(水) 木村拓  二ゴ
05/02(水) 高橋由  右飛
6回 05/02(水) 谷    二ゴ
05/03(木) 古城   一ゴ
05/03(木) 李    中飛
7回 05/03(木) 二岡   四球
05/03(木) 阿部   三振
05/12(土) 高橋由  三振
05/12(土) 谷    投ゴ
8回 05/12(土) 小笠原  右飛
05/13(日) 二岡   右飛
05/18(金) 李    左飛
9回 05/18(金) 二岡   二飛
05/18(金) 阿部   遊ゴ

 次回の読売戦は8月10日(金)〜12(日)のナゴヤドーム3連戦。 “架空のノーヒットノーラン”へ最後の1人となった岡本が どんな詰めの甘さを見せるのか、 ファンの注目が集まる。
■朝倉、後輩を妊娠させる
 東邦高校で朝倉の後輩だった元女子高生・彩さん(25)が朝倉に妊娠させられ、 18日に男子を出産していたことが明らかになった。
 朝倉はこの件に関し、

父親になりました!!

 本日5月18日、午後5時19分、3380gの『男の子』が生まれましたぁ!!

 予定より1週間早かったのですが、母子共に健康!!
 名古屋のゲームの時に生まれてくれて本当によかった〜!
 親孝行な息子です!


 と、自身の日記でコメントしている。

 朝倉の子供を産まされていた事が明らかになった彩さんは、高校時代からの交際を経て2年前に入籍、 現在は朝倉の嫁となっているわけだが、 このたびめでたく第一子の誕生となった。

☆   ☆   ☆   ☆

 入団以来「さる」「さる」とファンに呼ばれてきた朝倉。 さすがに父親になった今、「さる呼ばわり」は朝倉に失礼というもので、 我々ファンも朝倉に対する扱いを考え直さなくてはいけない。

 これからは朝倉のことは、
 「親ざる」
 と呼んであげよう。

-- ParaFla de DRAGONS! --