野球で学んだ人生哲学 1995.3.28刊/海賊出版社/鈴木孝政・著 |
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これは1995年、鈴木孝政が当時、
名古屋一家の2軍投手指南役に就任したときに出版された書である。
既に絶版となっているこの奇書を、
私は五、六年ほど前に新丸子の小さな古本屋で見つけた。
この数年前に悪法・消費税が導入され、
人々は
「今じゃ100円玉で缶コーヒーも買えないよ。
いったい100円ぽっちで、何が買えるというんだ」
と誰もが心荒みきっていたこの時代、
本書はその古本屋の
100円コーナーで叩き売られ、
「まだまだ100円の価値も捨てたもんじゃない」
と、当時の私に希望を抱かせてくれたのは懐かしい思い出だ。
(その本屋は、消費税を徴収してなかったのである) 100円でも買えるものがある。夢という名の買い物を。 それから数年が経ち、 その後何度か転居を繰り返した私は、 久しぶりに新丸子を訪れその古本屋に足を運んでみたが、 本屋は潰れていた。 | |||||
野球人としての鈴木孝政。 『プロ野球ニュース』などを見ていると、明るいというか、軽い。 分かりやすいというか、何も考えてない。 底の浅い ちゃらんぽらんなイメージ がついて回る。 しかし、孝政の野球に取り組む姿勢は非常に真摯である。それは、次の言葉にあらわれている。
ピッチャーの「登板数」は、 打者の「試合出場記録」とは意味合いが全く違う。 ただ出ることだけに価値を見出す打者の連続出場と違い、 孝政の登板数にはいわゆる「敗戦処理」が含まれているからだ。 犠打世界記録だとか2000本安打なんてものは技術的な話だし、 連続試合出場記録を持っていたある選手の晩年は、 「記録のためだけの試合出場」が続き、 醜い、見苦しい、 チームの足を引っ張って周囲に迷惑をかけての 「記録達成」だった。 だが、ピッチャーの敗戦処理は 「記録のためにチームを犠牲にする」のではなく、 「チームのために自分を犠牲にする」 仕事である。 ゲームを壊さないように、明日につながるように、 他の投手陣に負担をかけないように。 敗戦処理投手がもつ役割は大きい。 鈴木孝政は、かつて中日のエースだったプライドなどかなぐりすて、 敗戦処理としてチームのために貢献した。 その結果が、586試合登板。 まさに胸を張っていい、素晴らしい数字である。 さて、孝政をほめるのもここまで。
問題はコーチとしての適性である。 先代の元締めの山田親分は酒による “飲みニケーション” を推奨していたが、 そんな 酒好き・大酒飲みは山田親分だけ で、今の若い選手にはあまり効果がなかったようだ。 さて、 孝政は選手とどのようなコミュニケーションをとっていくのだろうか。 年も比較的若く、現役時代を共にすごした選手もいて、 フロントは孝政に「兄貴分的存在」を期待しているようだが…。
「ヤッター!バンザーイ!」じゃないだろう、タカマサよ。 地方遠征では、 選手と一緒に二日酔い している姿が目に浮かぶようだ。 兄貴分といっても、それは ススキノで兄弟に なることじゃないぞ、孝政。 孝政の、ススキノに対する思い入れはまだ続く。
しかし、権藤さんもやるもんですなあ。
何だかこれだけでは、
遊んでばっかりいる
ように見えるが…。
…おお、あったあった。孝政が解説者時代、
いかに野球の仕事に真面目に取り組んでいたかが、ここに書いてある。
ファンの誰もが気にかける、シーズン前の評論家による「順位予想」だ。
この順位が当たるか外れるかによって、我々ファンは評論家の技量を判断し、
その評論家が自分の応援するチームのスタッフに入るときに、
「あいつは有能だ」「あいつには見る目がない」
というバロメータにするのだ。
しかし、考えてみれば新元締め・落合親分は徹底的な堅物だった。 野球以外の趣味がなく、引退後におっ母ァ(信子夫人)から 「あんた、今までおつかれさま。もう野球のことは忘れて、自分の好きなことをしていいのよ」 と言われたが、そんなことを言われても落合に やりたい事など全くなかった ので、しょうがないから 金魚を飼いはじめた というほど、本当に野球をとったら何も残らない人間である。 チームでも、真面目な選手ばっかりだったら野球がつまらなくなるし、 遊んでばかりの選手だったら試合に弱くなる。 真面目な部分と、ちゃらんぽらんな部分、組織の中ではそのバランスが重要なのだ。 そういう意味では、 「 元締め・落合(まじめ) 、 世話人頭・孝政(ちゃらんぽらん) 」 という組閣をした、 名古屋一家を影であやつる井出老中の狙いは、 的確だったのかも知れない。
さて、1・2軍振り分けなしに始まったはずの落合一家だが、
なぜか孝政だけは
「へっど格」
として1軍確定のように報道されている。
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