『落合にきけ!』

2000.3.25刊/朝日新聞社/落合博満・著
落合にきけ!
 98年に現役を退いた(※)落合が、バイトで始めた週刊朝日の連載コラム。 「きけ!」というタイトルだが、野球教室やQ&Aの類ではなく、 落合が球界の出来事について与太ってるだけなので、 野球論的なものを期待して買うと騙される。 週刊雑誌のコラムだけに、ページ数の制限があり、 もともと文筆が本職でない落合にとっては言いたいことがうまくまとまってない感じで、 ネタのない日にはどうでもいい事をグダグダ並べる一方、 書きたいことがある日はページ数の制限により中途半端に収束してなかったり、 失敗感がひしひしと伝わってくる。 中古本屋で650円だったが、読み応えのあった『勝負の方程式』は100円で購入しただけに、 やられた、という感じだ。

※注…落合の日ハム退団は任意引退ではなく自由契約選手としての解雇なので、 正式に「引退」という形式は取っていない、いわば野球浪人・小宮山と同じスタンスである。 だから「現役を退いた」という表現は必ずしも正しくないが、 んな細かいこと言ってると話が進まないので、 本ページでは落合は「引退した」ものとして今後も扱う。
 やっぱり野球人は、文字数制限のない「書き下ろし」の形の方が、 思ったことをストレートに伝えられるのでいいのではないかな、と思った。
 書き下ろしなら素人(やゴースト)でも面白い内容の本が書けるが、連載コラムは 限られたスペースで言いたいことを過不足なく表現しなければならない ので、 熟練された文章テクニックを必要とする。内容的にほとんど見るものがない本書だが、 『落合にきけ!』と、 タイトルを工夫することで読者に 「お。落合のなんでも相談かな?」 と思わせ、独特の「オレ流人生論」でも書いてるかのように期待させ、 騙して買わせよう という魂胆がまる見えだ。全くひどい商売をするものだ、朝日新聞。

ハズレ本をつかまされ憤慨する海原雄山

 落合親分の野球に対する情熱を語る際に、よく 「親分は、野球の話なら一晩中してても尽きない」 という彼の“語り癖”が喩えとしてあげられる。
 だが、自分の考えを主張するのに一晩もかかるというのは、 論点を簡潔にまとめる能力が弱いことの証明でもある。 語るのに一晩もかかるような自分の主張を、 わずか4ページでまとめなければならないこのエッセイ方式は、 親分の深い考えを知る上では不向きといえる。

 制限された文字数。
 書きたいことを書いたら100ページにもなるのに、それを4ページにまとめなければならない。 書きたいことが1ページもないのに、無理をして4ページの文字数を埋めなくてはいけない。
 そんな“制限”が入ったとき、人は自分の思うことを思うままに伝えられない。
 正直、この書に関しては、 「連載だからしょうがないから書いている」 感が伝わってきて、 落合親分が本当に主張したいことを、読者に伝え切れてるとは思えないのだ。
 なので、本書に関しては、来季の名古屋一家を考える上で重要な下記の箇所を除いては、 評論は差し控えたいと思う。


    [99.5.8]のコラムより
     (98年の覇者・横浜が、99年のペナントで出遅れてることについて) さて、先発投手の不調だが、今後どうなるかは、 正捕手の谷繁にかかかってくる、 というのが私の考えだ。 投手が好調なときは、 捕手は何もしなくていい。座って受けていれば、問題ない。 極端な言い方をすれば、誰が捕手でもいい。 しかし、不調のとき、捕手は何とかして投手のいいところを引き出してあげなくてはいけない。 投手が悪いというのは、捕手が悪いということ になるのだ。

     二月のキャンプで、谷繁が、 「バッティングの調子が悪いのですが、もうちょっと打てるようになるためには どうすればいいですか」 と聞いてきた。私は、 「 君は打たなくていい。打てなくていいから、 きちんとインサイドワークを勉強しなさい。 捕手としての仕事は打つことではなくリードすること。 その研究に自分の時間を費やしなさい」と答えた。

     あのときの彼へのアドバイスが今、ぴたりと当てはまってると思う。
     どういう投球をしたら、相手の打線は嫌がるか。 どういう攻め方をしたら、相手は困るか。 谷繁捕手は、もう一度、五球団の各打者を分析し直す必要がある。 そういう時間を惜しんではいけない。 谷繁が優れた捕手かどうか、九九年こそ真価が問われる というものだ。
 ご存知の通り、99年、谷繁は横浜投手陣の崩壊をくいとめることが出来ず、 翌年も転がる坂を下るだけで、 自分だけFA宣言して、逃げた。
 「谷繁が優れた捕手かどうか」の真価は、3年前に、下されたのだ。

現実は虚構であり、虚構にこそ真実がある。


- 新・必殺!それペナ稼業 -