- 第四の書 -

『一心同体』
愛と人生、成功のセオリー

2004.10.22刊/アーティストハウス/落合信子・著
一心同体
 2004年、落合は新元締めとして名古屋一家を1年目でセ界制覇に導く。
 そして、ついに前書『悪妻だからまだまだ夫は伸びる』以来、 13年振りに新たな死海文書が発見されたのである!!
 前書以来、落合を取り巻く環境は目まぐるしく変化した。 悪の読売へのFA移籍、10・8では古巣・名古屋を叩き潰す悪行三昧、 そして愛弟子・清原移籍によるところてん方式の放出、 日ハムでは上田監督との確執で晩節を汚し、現場を退く。そして解説者としては「アナウンサー泣かせ」として悪名を馳せ、 2004年、ついに名古屋一家の元締めとして復帰!
 周囲の聞き苦しいまでの雑音の中、自分の信じるやり方を貫いた落合親分は、 ついにセ界にはびこる悪を一掃、名古屋の地に平和と安息をもたらしたのだった。

 いきなりだが、最初に些細な事を突っ込ませて欲しい。

写真


 「ええっ!?“写真”って、何処に!?」

 この書にある“写真”は、 本の帯 の夫妻のチッスの1ショットだけである。

帯

 しかし、帯など未来永劫あるわけではない。 何年か先の未来に、古本屋で帯のない本書を手にした人間が 「しゃ、写真って何!?」と狼狽するさまが目に浮かぶようである。

 と、いうわけで。

 今回は最終章らしく 「未来への提言」 でテーマをまとめてみたいと思う。
 帯がなくなるかも知れない未来を考えず「写真家の名前」を載せることでこの書は、 「あなたたちも先のことを考えなさいよ」と訓示しているのだ!!

 名古屋一家の未来はどうあるべきか。
 信子夫人の記した「あるべき未来像」を考察しよう。




     プロ野球選手は、年間何十本ものバットを使いますが、その一本一本を大切に扱ってます。 以前、バット職人の久保田五十一さん(松井秀喜選手など数々の有名プレーヤーのバットを手がける名職人) から。
     「バットを大切に扱う選手といったら、落合選手ですね。 確実にホームランだとわかる打球のときには、バットを投げず、 バットボーイに手渡してましたから」
     というお言葉をいただいたことがあります。
 何とも清々しい
 原辰徳バッシング  と  中村ノリバッシング
 である。

 バットを粗末にするような人間は、ろくなもんではない。
 道具も大事に扱わないくせに、 球団には「選手を大事に扱え!」と言う。
 彼らがオウムのように言う「ファンを大事に」のお題目も、怪しいものである。 言葉ではなく行動で示せ。バットを大事に扱わない人間が、 どうしてファンを大事に出来るのだ。

バットを大事にしない中村紀

バットを大事にしない中村紀↑

 中村紀、原辰徳は「意図的にバットを(無駄に)高く放り投げるバッター」 として知られていた。
 しかも見た目に派手に映るよう、出来る限り高く上空に放り投げていた。 これではバットを作ってくれた人が可哀想。
 一方では選手会が 「絶滅寸前のアオダモを救おう!」 なんて言ってるのだからお笑いである。
 アオダモを大事にしよう、という運動をしてる横で、 選手が貴重なアオダモで出来たバットを空高く放り投げているのだ!!

 自分にホームランを打たせてくれたバットなのに、 ホームランが出た途端に放り捨てる人間は、 ファンもまた利用するだけ利用して、自分が満足したら放り捨てるだろう。

 道具を大事に、感謝の心を。それはファンでもチームでも同じことだ。
 今年のスト騒ぎも、「選手を大事にしない球団」と「球団を大事にしない選手」の 自我のぶつかり合いだった。
 普段から物を大事にしない人間は、人も大事にしない。人を大事にしない人間は、 人にも大事にされない。
 そんなことを、信子夫人は言いたいのではないだろうか。





     今野球界には、一億円プレーヤーが何十人もいます。 複数年契約で、何十億という契約を交わしている選手もいます。 「落合の功績だ」。 そんな声も聞きます。 でも、私たちが主張した方向とは、少し違う方向へいってしまったような気がします。
     少なくとも、私たちは球団経営が破綻するような要求はしませんでした。 三冠王獲っても、妻の不動産謄本や預金担保がなければ、家も買えなかった落合。 野球選手だって生活人ですから、人並みの信用や保証、 安定だって欲しい。 でもそれは、 ただ年俸だけをどんどん上げればいいというわけではない と思うのです。

    (中略)

     そして野球界も苦しい状況に追い込まれています。もっと足元を見つめてほしい。 しっかり現実を見て、 野球界を立派に立て直して欲しい。

 意外といえば意外。
 年俸高騰のさきがけとなった落合(夫人)が、現在の年俸高騰の流れを否定しているのである(!)。
 今のプロ野球選手は「現実を見ていない」、と。

 落合が現役のときは、球団は「出せるのに出さない」という状態だった。
 しかし今は、「出せないのに出してる」という状況なのだ。

 落合親分は現役時代、 「働けば働いた分だけ金が稼げる」 ということを示し、 野球少年に夢を与えた。
 しかし今の選手がチビッコに見せているのは何か、 与えている“夢”は何かといえば、 「いかに働かないで金を手に入れるか」という、 ゴネ方のノウハウ である。

 理想論を語るのではなく、「現実を見ろ」「足元を見つめろ」。
 今日がなければ、明日もないのだ。



     私が初めて南紀を訪れたのは、名古屋に暮らしていたとき、 つまり落合が中日の選手だったときでした。 中日ではオフシーズンに、 主力選手七、八人だけでリハビリをかねた慰安旅行のようなものがったのです。 その場所が和歌山の南紀でした。 そのとき名古屋で留守番をしていた私に、夜 落合から電話がありました。
     「ここはいいところだぞ。おまえも最近育児で疲れてるだろ。 気分転換になるから、お前も福嗣を連れて来いよ」
     「でも、ほかの選手は家族を連れて来てないんでしょ」
     「自費で来れば文句はないだろ。べつに練習しに来てるわけじゃないんだから。 オレもおまえたちの顔が見たいしさ」
     :
    (中略)
     :
     落合の言ってたとおり自然の美しいとてもいいところでした。 ところがあいにくの雨続き。 かといって周囲に娯楽施設もありませんから、 選手たちは暇を持て余し、一日中施設内のビリヤードで遊んでいます。 そんな彼らを見て、最年長の落合は、言いました。
     「おまえたちも、家族を呼んでやれよ」
     待ってました、とばかりに選手たちは家族に連絡し、 宿には次々と奥さまや子供たちが到着。宿が急に明るくにぎやかになりました。 あのときは楽しかったですね。 みなさんとは、今もお付き合いがあるんですよ。

 そして、連日の雨で暇を持て余した信子夫人は、「ここに土地でも買おうかしら」 と不動産屋を回り炎の衝動買い、『落合記念館』誕生につながる。

 家族を大事にする落合親分らしいエピソードだが、 もし落合が後輩たちに「おまえたちも、家族を呼んでやれよ」 と言わなかったら、男だらけの寂しい慰安旅行になっていただろうし (いや、男だけの方が 別の慰安 が出来るというメリットもあるのだが)、 落合が率先して家族を呼んでいたことで、 後輩たちも家族を呼びやすい雰囲気になっていたのだ。

 リーダーたるものは、まず率先して自分が動け、と。 自分が動いたその上で、お前たちもやってみろ、と指示する。 口先だけではダメなのだ。
 オフにゴルフばっかりやってる人 がリーダーで、 「お前たち、しっかり練習しろ!」と言っても説得力がない。 「12月から1月をどう過ごすかが一番大事」。 先輩の背中を見て後輩は育つのだ。


イヤな予感・1

イヤな予感・2

イヤな予感・3

イヤな予感・4

イヤな予感・5




 さて、ここで場面は、今でもアンチ落合の中日ファンが根強く抱く不信感の本質部分、 「落合はなぜ名古屋を捨て、悪の読売に入ったのか」 に触れる。
 『十二の書』の中でも、その理由は落合本人のコメントとして度々出ていたが、 それは無視していい。「子供の頃から読売ファンだった」「ナガシマさんを男にするため」 「星野監督との確執」「給料をいっぱいくれるから」 「タンパリングがあった」など諸説があるが、それは背景であって本当の理由ではない。

 何故なら、 読売移籍を決めたのは落合親分ではなく、信子夫人 だからだ。



     名古屋で七度目の夏を過ごし、秋が次第に深まっていくころ、 私は夫に胸の内を打ち明けました。

     「ねぇ、あなた。私そろそろ東京に帰りたいわ。 福嗣も来年小学校に入学だし」
     「おまえ、オレに野球やめろって言うのか?」
     「違うわよ。FAがあるじゃない。せっかくできた制度なんだし、 後進のためにも、あなたが先陣を切るべきよ。それこそあなたの役目よ」
     「オレは中日に骨を埋めるつもりだ」

     またです。七年前の、<怒りのマグマ>がよみがえってきました。 落合は自分の<匂い>がついた場所ならどこでも骨を埋めたがるのです。 大の男がみだりに骨を埋めてもらっては困ります。骨はお墓に埋めれば十分。

 「十分。」じゃないッッッ!!
 埋めさせろッ!名古屋にッッ!!!


魔物に心を操られる落合親分


 落合親分があのまま中日で野球人生を全うすれば、 中日はもっと優勝できたかも知れないし、 落合親分が中日の監督になるのももっと早く実現していたかも知れない(黄金時代の到来)。

 だがしかし、この信子夫人の一言で落合はFA移籍を決断、 その後11年に及ぶ中日の「低迷時代」は信子の一言 によって築かれたのである。

 ここで我々は、今シーズンの落合采配のポリシーを思い起こす。

 「選手は監督の指示に従うもの。4番でもバントのサインが出たらバントをしなくちゃいけない。 それが出来ないやつはゲームから外す」

 全ての決定権、責任は監督にある。
 子分が親分の言う事を聞かなかったら、今季の優勝はあっただろうか?

 監督のいうことを無視しては、チームは機能しない。
 信子のいうことを無視しては、落合親分は機能しないのである。
 落合のFA移籍は、信子という“監督”の指示に従った、 ただそれだけだ。
 
 牛島がロッテに出されたときに、「中日を出ていった牛島は許せない!」とはならない。
 出したのは星野であり、牛島の意思ではないからだ。
 同じように、「読売に出て行った落合は許せない!」とは叫ぶのは間違いだ。
 出したのは信子であり、落合の意思ではないのだから。

 信子夫人はこう言いたいのではあるまいか。

 「監督の言うことは絶対よ。 何せ、あの三冠王でさえ、監督のわたしの決定(=FA移籍)には逆らえなかったんだからね!」


落合、FA宣言・1

落合、FA宣言・2

落合、FA宣言・3


 「大の男が奥さんの言いなりかよ!?」

 そう、大の男が言いなりなのである。それが落合親分だ。
 落合親分は選手が手柄をたてたとき、たとえサインを出していても、「サインなんか出してません。 彼らが自分でやったんでしょ」と持ち上げ、失敗したときは 「あれはオレの責任。指示したオレが悪い」という男だ。
 だから読売へのFA移籍についても、「アレは信子が…」とは言わない。

 「条件が上だったから行った。プロとして当たり前のこと」
 「ナガシマさんを男にしたかった」

 などと心にもない事を言い、自ら非難を一身に背負うのである。


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