『勝負の方程式』

H6.6.6刊/小学館/落合博満・著
↑「6」にこだわる落合親分。
勝負の方程式
 平成6年、この年、落合は中日からFA宣言し読売へ移籍する。 このとき読売の4番は原辰徳だったが、 落合のFA移籍により、原は 球界初の「年俸1億円のベンチウォーマー」 として歴史に名を刻んだ。 だがこの3年後、西武から清原和博がFA移籍し、 その契約で読売球団が清原に「無条件で4番ファースト」 を約束したため、 落合は追い出されるように退団、日ハムに移籍する事になる。
 その後、清原は広島から移籍の江藤、 ヤクルトから移籍のペタジーニに居場所を奪われ、 さらに江藤はダイエー・小久保に、 ペタジーニは近鉄・ローズの移籍で4番の座を追われそうな勢いだ。
 球界初の年俸1億円突破、FA時代到来の最初の年のFA宣言、 日本人初の年俸調停、そしてFAのたびに4番がコロコロ入れ替わる 「読売4番ところてん方式」の最初の一人 といったように、 落合はさまざまな部分で「球界のパイオニア」 として、第一人者たり得てきたのだ。
 シーズン中の監督の采配、あるいはシーズンオフの補強人事などを見て、
 「いったい監督は何を考えてるんだ!サッパリ分からない!」
 という人がいる。
 そのような文字列を目にするたび思うのは、 「この人はちょっと頭の悪い人なのかしら」 という事である。野球の采配に関する多くのことは “サッパリ分からない” ほど、 難しいものなのだろうか?

よく分からないわ…。(ゆう子)
考えろ!(雄山)

 たとえば神宮球場での小山のさらし上げ事件。
 山田親分はこの日、マウンド上で火だるまになった小山を一向に降ろさず、 13失点を浴びるまで放置し、この試合で名古屋一家は3対21という屈辱的な大敗を喫した。
 この小山に対する親分の処置を見て、
 「山田は何を考えてるんだ!サッパリ分からない!」
 という人は、思考回路がひとつの論理素子も通さず短絡している人である。

  • 他のピッチャーを温存したかった。
  • 小山にとって修行の場にしたかった。
  • 個人的に小山が嫌いだ。
  • 抑えられると信じていた。
  • 最初から結果に関わらずイニング数を決めていた。
  • バッテリーに勉強してほしかった。
  • 他の投手への教訓(悪い見本)にしたかった。
  • 打たれっぷりが見ていて気持ちよかった。
  • 呆然として、交代を告げるのを忘れていた。
  • ベンチで腰が抜けた。
  • ショックで気絶してた。
 など、理由はいくらでも考えられる。
 これらの一つも思いつくことなく、「サッパリ分からない!」と真顔で言う人があれば、 それは「ちょっと頭の悪い人」と思われても、致し方のないところだろう。
 そういうときは、「理解は出来るが納得はしない」 というのだ。

 こういった、 何も考えずに「サッパリ分からない!」で済ます頭の悪さは、ファンなら毎度のご愛嬌ですむが、 監督でも頭の悪い人がいる。
 昨年も、タニシゲに相性の悪い野口を投げさせ、 ストライクがさっぱり入らないのに、 真ん中からボール半分という微妙なコントロールをキャッチャーが要求、 普通のストライクでさえ入らないのにボール半個の制球力などあるわけがなく、 スッと真ん中に入りカッキーン。試合後、
 「野口はどうして打たれるんだ!サッパリ分からない!」
 と言っていた指揮官がいた。
 打たれた理由として、考えられる原因ならいくらでもある。 問題なのは打たれた事実ではなく、 打たれた理由について「サッパリ分からない!」で済ませ、 論理的思考を放棄してしまう指揮官、 そしてバッテリーだ。 原因が分からないから、同じ失敗を何度でも繰り返す。 この失敗は、その後、キャッチャーが柳沢に代わるまでシーズン中ずっと繰り返された。

理解は出来るが…。(山岡)

しょんぼり



決別宣言

     キャッチャーには、大別して穏便派と大胆派がある。 だから私たちはピッチャーよりも、 まずキャッチャーの攻め方を研究したものだった。
     両派の代表を紹介する。
     山倉和博捕手(読売)は、穏便派のキャッチャーだった。 基本は外角。インコースには、ほとんどほうらせない。 外、外というリードだった。 また、中尾孝義君(中日-読売-西武)は、めちゃくちゃに大胆だった。 ホームランを浴びる危険の大きいインコースを主体とするリードをしていた。 このふたりのキャッチャーは、一時期、 読売に一緒に在籍していたから、当時の首脳陣は、 山倉捕手にあうピッチャー、中尾捕手にあうピッチャーというように、 ピッチャー陣を極端に分けていたはずである。 バッテリーには相性が欠かせないからである。
 その点、新しい元締めの落合は「ピッチャーは一人で投げるものではない」 という事をよく知っている親分といえる。
 落合親分は山倉・中尾の打撃については触れていない。当たり前だ。だってキャッチャーなんだもん。 「チャンスに強い」かどうかなんて、リードに関係ないよね。
 タニシゲを信ずる者の多くは「だってタニシゲは満塁に強いから」で済まそうとするが、 それが、野口やギャラードとの呼吸が合わなくてもいいという理由になるだろうか?

 ならないよ。

 バッターの代わりなんて幾らでもいるけど、キャッチャーの代わりはいないんだもの。 キャッチャーはキャッチャーの仕事にだけ専念してくれ。 打つ方なんて他の人に任せておけばいい。 中村さんや鈴木郁は、「バッティングを悩んでるヒマがあったら、リードのことを考えます」と言った。 タニシゲは、それが理解出来ないんだなあ。

 「満塁でヒットを打ったので、(リードの)失敗を取り返せました!」

 こんな 頭の悪いロジック が通用するのは、頭の悪いベイファンだけだ。


☆  ☆  ☆  ☆


 ところで、この書には、 落合親分の基本方針を探るにあたり以下の重要な記述が出てくる。

     彼(=江川)は、九年の現役生活で百三十五勝をあげてる。 これは、避けるべき勝負は避ける、という攻め方を徹底させていたからだと思う。 そして天才投手といわれたゆえんである

     この回(西武4点リードで迎えた6回)、先頭の真喜志康永選手が四球、大石、新井宏昌両選手がヒットを連ねて ノーアウト満塁となったところで、ブライアントを迎えることになる。

     西武のピッチャーが、この場面で、ブライアントと勝負に出たのは明らかにミステイクであると思う。

     江川君だったら、この場合どのように対処しただろうか、と私は考えてみる。
     ブライアントは、敬遠である。
 ああ!なんという事であろう!
 そう、落合親分は「超保守的采配」、 2死ランナー無しでラミレスを敬遠した、山田親分と同じ穴のムジナ だった(!)のである。

 シーズンが始まる前に、本書を手にしていてよかった。 これで、ある程度の覚悟を決めることが出来る。

 思えば先代・山田親分は、「オレはバントだとか敬遠は嫌いだ。つまらない野球はしないよ」 と言ってたくせに、ふたを開けてみたら超のつく保守的采配、 言ってることとやってる事が違うもんで ファンは「この人の言うことの、何を信じたらいいんだろう?」 と袋小路に入った。 しかし、落合親分のように「オレは無死満塁でブライアントなら、敬遠のサインを出す」 と、胸を張り、カッコつけずに堂々と最初から言ってくれれば、 かかる事態にも「うむ。親分はこういう方針なので仕方ない」と、覚悟が決められる。

 もちろん個人的には、何回で何点差だろうが、 「満塁で敬遠」なんてチキンでスットコドッコイでうんこプリプリな采配は、私は大嫌いである。 たとえその方が勝つ確率が高くとも、だ。(多くの野球ファンはそうだろう)

 だが、ファンと元締めは違う。落合親分は勝ち方よりも勝ちそのものに価値を見出す人間のようだ。 元締めがそういう方針なら、それでいい。 納得はしないが、理解はする。大事なのは首尾一貫することだ。

    ナオミ 「ばーかばーか、中日ファンばーか。2死ランナー無しでラミレス敬遠だって。バカじゃないの?」
    ダン吉 「バ、バカじゃないもん!作戦だもん!」
    ナオミ 「あんたんとこのヤマさんは、『俺は敬遠や送りバントは嫌いだ、豪快で面白い野球をする!』って言ってたじゃん? なのに、ぜんぜん豪快じゃないヨ。 中日ファンはこういうのを『豪快で面白い野球』って呼んでるの?プップクプップ・プー!」
    ダン吉 「そ、それは…」

 去年まではこうだったが、これからは堂々と
    ナオミ 「ばーかばーか、中日ファンばーか。2死ランナー無しでラミレス敬遠だって。バカじゃないの?」
    ダン吉 「これが今年の中日だ。落合竜だ。堂々たる作戦である!」
 と、私は胸を張るだろう。

 しかし、あれだ。
 この書を読んだ感じでは、落合親分の考える采配は、 センイチ時代・山田時代と同じ「保守系」といえるもので、 名古屋一家が大幅にカラーチェンジするということは無さそうだ。 なのでファンも、急激な「チェンジ」を期待していると肩透かしを食らうので、 あらかじめ頭の隅に入れておこう。 「落合竜は、基本的な方針は山田竜と同じだ」と。

     仮に、私が監督になったら、点をやらない野球を目指す。 守りで攻撃するチーム作りに取り組むだろう。
     ひとりで一点取れるようなバッターとは、勝負させない。 彼をフォアボールで歩かせ、 次のバッターでダブルプレーを狙わせる教育を徹底する。
 “見せる野球”をするのは選手の仕事、 監督の仕事は“勝つ野球”をすることだ。


☆  ☆  ☆  ☆


 ところで、本書中には、落合親分の現役仕置人時代の、 ある試合での当時の元締めの采配について、 痛烈に批判した箇所がある。
 ちょっと長くなるが、抜粋する。大事なことだ。

     勝負ごとでは、おごりは禁物である。 誤った采配を招くからである。
     私の中日時代に、こんなことがあった。
     平成五年九月五日に行われた対阪神戦である。
     八回裏まで中日は、阪神に五点差をつけていたのが、 九回表に一挙八点も奪われ、十対七の大逆転を許してしまったゲームである。
     勝利を確信してのミスが、ゲームの流れを変えた典型例である。

    【概略】この試合、先発の山本昌は8回を投げきり5点のリードで降板。 9回からマウンドには鹿島があがったが、この鹿島がメッタ打ち、 続いて出てきた二宮もメッタ打ち、2点を取られてなおも無死満塁、 ここでようやく郭源治が登板した。 この継投について元締めは、「9回まで来たんだから(山本昌に)投げさせるなら最後まで投げさせる、 代えるんなら郭源治に代えるべきだ」と指摘している。
    (文章はsato23によるまとめ)

     三点差で無死満塁としていた阪神は、火の玉となっている。 だれが出てきても、もうその勢いは止められない。 あっという間の大逆転劇が私の目の前で起こった。
     試合後、高木監督は、 阪神の大逆転劇が始まった九回に、 ショートが二失策したことをあげ て、「阪神戦には何故かエラーが出る。スキを見せたことでそうなる」 と新聞記者に語っていた。
     しかし、ショートのポロリが敗因と考えている選手は、ただの一人もいなかった。
     ゲーム後のロッカー内は、騒然としていた。
     イスが飛び、ガラスが割れ、あらゆるものが空中に舞った。 怒声・罵声・破壊音。さんざんな荒れ様であった。
     中日は、このゲームが命取りとなって、 優勝戦線から脱落したのはご承知の通り。
 名球会監督のプライドか、 「オレのミスだった」の一言がいえないがために、 選手にその責任を押し付けたがゆえに、 チームワークはバラバラになってしまった。

 元締め・落合には、このとき当時の監督が犯した“失敗”を忘れず、 元締めとして、仕置人のモチベーションを高め続けて欲しいと期待するものである。


- 新・必殺!それペナ稼業 -