『不敗人生』
43歳からの挑戦

1997.2.20刊/小学館/落合博満・鈴木洋史著
不敗人生
 本書は、スポーツライターの鈴木洋史氏による 落合へのロングインタビューをまとめたものであるが、 このインタビューが、実に奇妙なタイミングで行われている。 取材インタビューは、1回目が1996年10月31日、 2回目が11月1日、3回目が12月7日と、 三日間に分けて行われているのだが、 1回目と2回目のインタビューは連続した二日間なのに、 3回目のインタビューが一ヶ月以上も空いているのだ。
 実は、 この1ヶ月の間に読売がFA宣言した西武・清原獲得の意思を示し、 同時に「落合放出」を決定、 あの電撃の「落合・日ハム移籍事件」 があった、あの期間なのである。
 なので、本書は当初、 「読売での3年間を振り返る」 というコンセプトで企画されたのが、 一転「読売の汚さを暴露する」という大暴露本に コンセプトが180度変わってしまった 一冊なのだ。
 本書では、 今回の騒動において読売フロントが落合に対し取った態度、 落合追放に至る裏事情、 マスコミで報道されていること以外の「本当の話」など、 いわゆる“暴露話”が掲載されている。
 が、本サイトのコンセプトとして、 今ここで(このコンテンツで)元締めが読売を追い出された経緯や、 日ハムでの抱負などを書いても意味がないので、 それに関する内容は割愛する (それだけで本書の内容の2/3は割愛されてしまうが)

 ここでは、 名古屋一家の仕置人について、当時の落合親分はどう見ていたか にテーマを絞ろう。

 名古屋一家から 悪の読売藩 に移籍して3年。 落合親分は、オレンジ色の汚いユニフォームに身を包みながら、 “かつての仲間たち”をどう見ていたのだろうか?  気になるところだ。


(一) 今中慎二
     俺が若いときは「この一球を打ち損じたら、俺の負けだ」 と全神経を集中させないと打てないピッチャーがたくさんいたけど、 今はどうやっても対処できるピッチャーばかりだもの。 結果は別としてもね。 野球がつまらないというかな。 野球が変わったのかも知れないし、 選手の考え方も変わったのかもしれない。
      今のピッチャーの中で昔のピッチャーらしい考え方を持ってるのは、 今中(慎二・中日ドラゴンズ・25歳)ぐらいじゃないの。 最後はどうしてもこのボールで討ち取りたいと思い、 過去にそのボールで打たれても、そのボールで向かってくるのは。 今中は強気だと言われてるけど、 要するにピッチャーとしてのプライドを賭けて勝負に来ているんだよ。
 これは元締めの “現役仕置人としての立場” で見た今中に対する感想である。

 今中は、そのプライドが災いし、 仕置人としての晩年を後世に何を残すこともなく終了した。 “虎は死して皮を残す”というが、今中が残したものは、せいぜい 若手に春日井近辺のパチンコ屋の出る台・出ない台を教えた くらいである。
 負の部分として、今中でもないくせにプライドだけは今中並み、 今中ほどの実績もないくせに練習嫌いだけは今中並み、 という若い仕置人が増えたことは 決して名古屋一家のためになっていない。

今中ファミリー(試合前日)


 元締めは書の中で、 「たとえ4番バッターでも、 ベンチからバントのサインが出たら、従わなくてはならない」 と説いている。 「オレ自身もそうして来た」と。

 今中はそんな“for the team”的な考え方とは、 対極に位置する男だった。 一家の勝利よりも「自分が満足できるかどうか」にこだわり続けた。 その性格は、 「先発としてフルシーズン投げ、敬遠がゼロ」 という偉大な記録が証明している。

 ノーアウト満塁で3点リード、バッターはブライアント。
 元締めはこの場面で「俺ならブライアントを敬遠する」と言った。
 今後、“今中のような考え方の投手”が現れたときに、 ベンチからの敬遠のサインに首を振ったときに、 元締めは 「あれは、ピッチャーとしてのプライドを賭けて勝負に来ているんだよ」 と褒め称えるだろうか?


(二) 野口茂樹と谷繁元信

     ちょうどいい場面だよな。俺の前に松井が凡退して、 あとは俺に打たれなきゃいいわけだから、 ぶつけにくることもあるな と想定して打席に入ったんだよ。 だから心持ち後ろに立ったんだ。 でも、 まさか本当に当たるとは 思ってなかった。 (1点差の終盤、2死二三塁で 中日・野口 から左手小指にピンポイントでデッドボール、 落合はプロ生活初めての骨折を経験し、 そのシーズンを棒に振る)

      ■ 鈴木洋史による補足
       「最近のセ・リーグのピッチャーは年寄りを大事にしないからな」と落合は笑った。 素人目にも、あの場面で野口は最初から狙っていたように見えた。 だが、落合は怒っていない。
       96年のシーズンでは、横浜ベイスターズの盛田幸希から頭や体に近いところに度々ボールを投げられたとき、 当たっていないからと危険球退場を命じない主審に詰め寄り、 続いてキャッチャーの谷繁にも抗議したこともあったが、 次の瞬間には笑顔を見せていた。「それもまた野球」だと思ってるからだ。

 この鈴木洋史というライターさんは、東京都生まれらしく、 東北人のヘビのようなしつこさをご存知ない。

 東北人は、受けた仕打ちは死ぬまで忘れない。 恐山、雪女、妖怪、幽霊などの怪談・民話の多くが 東北に端を発しているように、 死んでも成仏できないのは、東北人のもって生まれた性分だ。 東北の人間は、どんなちっぽけな恨みごとでも、 ずぅーっと覚えているんだぞ。

 東北人は、どんなに憤りを感じていても、 その場は作り笑いをして流す習性がある。 怒っていてもそれを表情に出したり、武力で反撃することはしない。 そのポリシーは “顔で笑って心で泣いて” である。恨み辛みは忘れるのではなく、生きるエネルギーにするのだ。 『おしん』 は見なかったのか、鈴木洋史よ。


いつまでも昔のことを恨むケツの穴の小さい雄山


 元締めはプライドの高い男だ。 ケツの青い若造どもが、球界の宝である自分に対して行った仕打ちを、忘れるわけがない。
 たとえばこれが村田兆二から受けたデッドボールなら 「勉強させていただきました!」 で済むが、 野口のような鼻たれ小僧に小指をへし折られて、 笑って許せるわけがないのだ。 (東北人は年長者と若輩者、先輩と後輩、地主と小作人など、 上下関係にはとても厳しい)

 この『不敗人生』基本コンセプトは、 「40を過ぎても3割バッターの俺」 「読売の裏切り」「日ハムでの野球人生」の三本柱で構成されている。 なのに、「野口から受けた死球」という横道にそれた(この書のコンセプトには関係ない)話をわざわざするあたりが、 元締めが今でも根にもってる証拠である。

 野口・タニシゲの両名は、元締めの潜在意識には 「若造の分際で、 オレ様にに危険球を投げた(投げさせた)ムカつく連中」 とインプットされているのだ。


 かつての西武の大エース・東尾修は、 引退後、死球の多かった現役時代についてインタビュアーに聞かれ、 「だってどうせ歩かせるんだもの。4球投げるより、1球投げる方がラクじゃん」 と言い放ったという超絶エピソードがある。
 ノーアウト満塁で3点リード、バッターはブライアント。 この場面での選択肢は、敬遠のほかに、もう一つあった。

     「ピッチャー交代、野口!」

     「キャッチャーはタニシゲ!」
 なんでキャッチャーも代えるかというと、後のイニングでの 相手側からの報復死球に備えてである。

大原社主(野口)、山岡(ブライアント)に茶碗をぶつける


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