『落合博満の超野球学』
-(1) バッティングの理屈-

2003.6.6刊/ベースボール・マガジン社/落合博満・著
超野球学
 野球技術書。入門書ではなく、技術書である。 対象は野球少年に限らず、 「こういう指導方法をする人がいるが、私ならそうは教えない」 など、選手だけでなく指導者に対しても含むところがあるようだ。
 一方では、技術的な話に関しては素人の私には難しすぎて (sato23は野球の実践に関しては戦闘力たったの5のゴミなので、 難しい話は分かりません)、 呪文書を見るようで 何だ何だか分からなかった。 元締めがテレビ朝日解説者時代、 難解な解説をしてはアナウンサーを困らせていた姿 が鮮やかに思い浮かんだ。
 名古屋一家の新人ドラ1・中川はこの書を手に入寮したというが、 野球をやってる人から観れば本書は分かりやすいのだろうか。 中川の今後の成績に、本書の真価が問われる。
 城下に巣喰う落合親分の“反対派”の人間は、新元締め就任に際し、 「コーチ経験のない人が監督というのは如何なものか」 という言い方をし、否定する。
 しかし、コーチ経験のない監督で優勝した監督は何人もいるし、 コーチとして優秀でも監督して失敗した例も星の数ほどある (そもそも、名古屋一家の先代・先々代がそうである) 。百歩譲って「監督をやるにはコーチ経験が必須」だとしても、 落合にコーチ経験は「ある」。

「タカノリよ、お前は三冠王を獲れる!」


 それは、解説者時代のキャンプ回りでの「臨時コーチ」の経験である。

  「なあんだ、そうではなくて、球団に所属して1年間教えるコーチだよ」

 という声が上がるだろうが、 実際、「球団所属コーチ」が選手に技術指導をするのは 春季・秋季キャンプのわずかな期間だけで、 シーズン中は何もしない のだから、 公認コーチも臨時コーチも 仕事量は一緒 である。 違いといえば給料をもらうかもらわないか、 結果について責任を負うか負わないかだけだ。

 それについても最近は、 「結果が出てないのに責任を取らない公認コーチ」 が堂々とデカい顔をして居座ってるのが現状で、 臨時も公認も「違いはない」と言っていい。


ササキコーチを「福留を育てた」と絶賛する人が、その同じ口で井上や渡辺の不振を批判する矛盾。


 そういう意味で、落合に「コーチ経験」はあるし、 その教えた選手の成績を見れば、 そのコーチング能力の優劣もある程度は判断出来るといえよう。
 落合の指導は、これまでいかなる成果を発揮しているのか。 本テキストでは、「コーチとしての落合」について検証して行こう。


Case 1. 中村紀洋 (大阪近鉄)

     2000年のシーズンオフに大阪近鉄の中村紀洋と対談する機会があった。 この時、中村から 「落合さんはライトへのホームランが多かったと思いますが、 どうやって右へ大きい打球を狙い打ったのですか」 という質問を受けた。 私の答えは 「ライトに狙い打ったことは一度もないよ」 である。

    (中略)

     この答えを聞いた中村は、一瞬驚いた表情をした。だが、 そこは日本を代表するスラッガーである。 なるほどという表情をしてセンター返しの重要性について認識してくれた。 そんな中村に私は言った。 「常にセンター返しを頭において打席に立てば、 打率3割3分、40本塁打、120打点はすぐにでも達成できるよ」
     すると、翌2001年の中村の打席は打率.320、46本塁打、132打点。前年に比べて打率が4分3厘、 本塁打が7本、打点が22点伸びた。

 まあ、こんな理屈一つで成績が上がるなら全員が3割バッターなわけで、 落合はこれ以外にも技術的な話、 トップの位置や振り出しについてもアドバイスなど行っているのだが、 結果として中村は成績を上げ、 「中村の成績がよくなったのはオレのアドバイスのおかげだ」 とばかりに胸を張るのである。

年度 選手名 チーム 本塁 打点 打率
2000 中村紀 大阪近鉄 39 110 .277
落合の指導、入る。
2001 中村紀 大阪近鉄 46 132 .320
2002 中村紀 大阪近鉄 42 115 .294


 しかし中村紀はその後、 急降下をたどる成績の中で貧乏球団・近鉄から高い給料をふんだくり、 「野球を国技にするためにオリンピックで優勝するんや!」だとか 「子供たちのために球場を作るんや!」とか、本業よりも
メッツ騒動ですっかりダーティーになった己れのイメージ・アップに必死
だ。 そんなことより、やることがあるだろう、お前の場合。

 成績に見合わない給料泥棒っぷりは契約の問題だから致し方ないとしても、 打率.236、本塁打23本という数字に何の反省もなく、 何を期待されて5億という給料を貰っているのか考えもせず、 「ペナントよりオリンピックだ!」 などと言い出し、本人は球界のリーダー気取りで「愛国心あふれる自分」に酔いしれご満悦、 あんな成績でも自分が代表に選ばれることを信じて疑わない図々しさは、 落合の変なところを受け継いでしまったようだ。


大きいホームランと共に、態度もかなりデカくなったね!!



Case 2. 高沢秀昭 (ロッテ)

     私がロッテで主力打者になった頃、 打撃練習を終えると打撃コーチの広野功さんに呼び止められた。
     「おいオチ、こいつのスイングを見てやってくれないか」
     広野さんが指導していたのは、 高沢秀昭(現・千葉ロッテコーチ)だった。 私は高沢のスイングを見たあと、 「広野さんもバットを振ってみてくださいよ」 と言った。広野さんは戸惑った表情をしながらも、 バットを2〜3回振った。そこで私は、高沢にこう言った。 「今の広野さんのスイングを見たか。 この人は、現役時代にボールとバットがえらく離れているような、 不恰好な空振りをよくしていたんだ。 そのスイングがこれだ。 悪いところを見つけ、それをまねしなければ、 お前のスイングはよくなっていくよ」

    (中略)

     広野さんは手腕の高い指導者である。だが、 私は高沢に対して次のことを伝えたかった。
     「どんなにいい指導者が教えることだって、 パーフェクトではない。 時には悪い部分を観察することによって、 いいものを作り上げていくこともできるのだ」
     のちに高沢は首位打者に輝き、 引退後は後進の指導にあたっているが、私たちの頃のように、 野球を体で覚える時代は終わりを告げたと感じている。 現在は、体と 頭で 野球を覚えていく時代だろう。
 高沢といえばロッテで首位打者を取った好打者だが、 世間的にはタイトルよりも 「初代ファミスタで、フーズフーズの主力打者」 としての彼の方が有名だろう。 学生時代、私はもっぱら 中日かフーズフーズ ばかり使ってたので、 高沢は「sato23が選ぶ歴代ベスト9」と言ってもいいくらいだ (ファミスタで)

野球人気の低迷は、ファミスタの凋落と面白い野球漫画が出てこない事によるもので、スターがどうとか関係ありません。V9時代は長嶋・王人気ではなく、「読売の星」人気です。


年度 選手名 チーム 本塁 打点 打率
1983 高沢 ロッテ 6 27 .303
落合の指導、入る。
1984 高沢 ロッテ 11 47 .317
1985 高沢 ロッテ 12 56 .273


 一部マニアの間では大人気を誇った高沢。 その高沢をして、 「高沢の成績がよくなったのはオレのアドバイスのおかげだ」 と大見得を切る落合親分だった。

 その後、高沢はロッテで首位打者を獲るなど活躍したが、 88年にはあの伝説の「10.19ロッテvs近鉄ダブルヘッダー」で、 優勝目前の近鉄・阿波野から9回に同点ホームランを放ち、 「優勝決定試合の最終戦で、ファンの夢を砕いた極悪人」 として名を挙げ、ここでも 落合との因果な共通点 を見せた。 コラコラ、受け継ぐのはそこじゃないぞ。>高沢

参考資料
(1) 88.10.19 ロッテ-近鉄 →『リメンバー10.19』さん 高沢のホームランで近鉄撃沈
(2) 94.10.8 中日-読売 → 『無節操アワー』さん 落合のホームランで中日撃沈



Case 3. 多村仁 (横浜)

     まず、自分のフォームを固めていくには、正しいスイングを数多く繰り返すしか方法はない。

    (中略)

     自分のスイングで5分間とか10球程度のフリーバッティングをこなす事は、 おそらく高校生にも出来るだろう。 では、30分間や100球ではどうか。 1時間、1000球になったら出来るだろうか。 スイングというのは、たとえ100回でも1000回でも、 同じようにできなければ自分のものになったとはいえない。 これだけ振るためには、かなりの体力が必要だ。 自分のスイングを身に付けようとすれば、 バットを振ること以外の課題も見つかっていくことだろう。

     2001年の横浜秋季キャンプで、初めて臨時コーチを務めたとき、 私は当時の森祇晶監督の依頼で若手選手のスイングを見た。 その中で多村仁は、かつての助っ人ロバート・ローズに そっくりなフォームだった。 自分のチームにいる中心打者のスイングを採り入れてみるのはいい事だ。 ところが、1時間、2時間とスイングを続けていると、 次第に多村のスイングからはローズの影も形も消えてしまった。 これだけの時間スイングを続けるためには、 自分が楽に振れる形でなければならない。 これが、自分のイメージする理想のスイングと、 自分の体格や体力に適したスイングのギャップだ。
     自分のスイングを見つけた多村は、 その後は随分と楽にバットを振れるようになり、 質量ともに密度の濃い練習でも成果をあげられるようになってきた。 バッティングとは、このようにスイングを繰り返しながら考え、 悩んで作り上げていくものなのである。

 落合親分の打撃理論は、素人見に 「何となくそんな気がするが、何だか口八丁手八丁で騙されてる感じも微妙にする」 と思うことがままあるが、この理論に関しては納得がいく。
 人それぞれ体格・身体能力は違うのだから、 “理想のフォーム” も違うはずだ。 1000本も2000本も素振りして、結果、体が疲れてどうしようもなくなって、 そうなったときに「体が本能的に、自分にとって一番楽なスイングをさせる」 というのは正論である。
 武田や野口がキャンプで常識外れな投げ込み量をこなしたとき、 「肩を壊してしまうんでは…」と心配されたものだが、 そういう観点で見れば、そういう練習法も選択肢の一つと思えてくる。 投げ込むこと、振り込むことで、 体に負担をかけない“理想のフォーム”が見えてくるのだ。


年度 選手名 チーム 本塁 打点 打率
2001 多村 横浜 1 2 .163
落合の指導、入る。
2002 多村 横浜 5 16 .235
2003 多村 横浜 18 46 .293


 .163→.235。
 何とも 微妙な成果 である。
 まあ、元締めが「これで多村が自分のフォームを見つけた」って言ってるんだから、 きっとそうなのだろう。 落合が指導した中では唯一、 2年目、成績が下がらなかった選手 としても特筆モノと言える。

 全員が全員、調子を落としたわけではないのだ!!

 しかし、その後の無残なベイ打線の凋落ぶり を見ていると、 「多村以外の選手には何を教えたんだろう」 と思うのも自然の疑問である。


☆  ☆  ☆  ☆


 いや、落合親分のコーチ能力に疑問を投げかけているのではない。
 何しろ、横浜の選手は アホ ばかり。高度な「落合理論」を、多村以外は理解できなかったのだろう。 アホに落合理論は分からないのだ。

調子が下がってる選手をリーダーにしてもゲンが悪いだけだぞ。>ベイ


     「野球を体で覚える時代は終わりを告げたと感じている。 現在は、体と 頭で 野球を覚えていく時代だろう」
    -- 落合博満
 問題は、
 名古屋一家の連中がベイ選手より賢い、とする保証は何処にもない
 ことだ。


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