『暁に向かって』 (1)
- あすなろの詩(うた) -

1991.9.15刊/ぎょうせい/宇野勝著
暁に向かって
 宇野さんは、いかにも旧家の坊ちゃんらしい風格を備え、 目鼻だちの整った紅顔の美少年でした。

-- 東京大学名誉教授 鶴田禎二氏(推薦文より)
 町を歩いていると、「宇野さんの講演に感動しました!」という人に出会ったという。
 以下は、そのときの講演の内容だそうだ。

    あすなろ


     檜(ひのき)によく似た あすなろの木は
     来る日も 来る日も
     考える
     明日こそ檜に 是非なろう
     あすなろ あすなろ

     遠い遠い 山奥で
     冷たい 冷たい雪の夜
     檜になった夢を見た
     あすなろ あすなろ
     あすなろう

     「あすなろ」とはそういう木だそうである。

    (中略)

     現在の自分を省みて 「より良い」「より高い」「より立派」 な者になろうとする清純な気持ちは、 人間を偉大な人に育てるのに、 もっともすぐれた力になるものと思う。 「あすなろ」の木は、所詮「あすなろ」に終わるであろう。 しかし、「あすなろ」の気持ちを持って勉強する人は、 無限により立派に、 より大きく進歩向上する可能性があるのである。
 含蓄の深い言葉である。
 たとえば、プロ野球選手になるには、 努力だけではどうにもならない。
 「努力は必ず報われる」「頑張れば夢はかなう」 と言ってみたところで、頑張って球速が150キロ出るわけではないし、 人の倍練習すればナゴヤドームの5階席に打球が飛んで行くわけではない。 そこには 「持って生まれたもの」 が確実に存在し、 あすなろはあすなろ、決して檜になることはないのである。

 山崎武司がいくら努力したって、赤星のような俊足にはならないし、 赤星がいくら練習しても、山崎のような長打力は身に付かないだろう。


 宇野は、こう言いたかったのではないだろうか-----。

 「落合監督が目標です、今中投手が目標です、という若い人がいるが、
 出来ないことを目標にするな。
 出来ることを、より伸ばすんだ。 ヒノキに“変わる”のではなく、あすなろはあすなろであることを自覚し、 その上で“最高のあすなろ”を目指すのだ」

 と。

出来もしないことを目標にするな、中川。


 成長とは、自分を“変える”ことではなく、“伸ばす”ことである。
 そしてその過程で、それが必然であるならば、自分が「変わる」こともあり得るだろう。

 「みにくいアヒルの子は実は白鳥の子だった」という童話があるが、 白鳥の子が白鳥になることは、成長の過程での必然だったに過ぎず、 決して「白鳥になりたいと思い、努力したから」白鳥になれたわけではない。
 アンデルセンは、 「白鳥になるのは、白鳥の子だけだ」ということを、童話を通じ、 リアリティーのない現代っ子たちに教育したのである。


☆  ☆  ☆  ☆


     人間は志を持っているかどうかで随分違う。 そして、志のある人は、物事への取り組み方が前向きである。 前向きに取り組む人生は実に楽しい。 もちろん、苦しいこともある。しかし、 その苦しさがやがて喜びとなっていく。 人生を前向きに生きている人は、必ずこの喜びを味わうことが出来る。 そして、その喜びを感じたとき、生きていることのこのうえない「幸福」を味わうことが出来るのである。 そしてこの時、
     「人生は金ではないのだ」
     ということを実感するのだ。
 「人生は金ではないのだ」。
 宇野はここで、選手を過度に甘やかした現在のプロ野球界に五寸釘をブッ刺している。 金は手段であって、目的ではない。 金のためにやる野球では、選手もファンも、幸福など味わえはしないのだ。
 いいことを言うなあ、さすが宇野!!

タニシゲかお前は!


☆  ☆  ☆  ☆


     私のこれまでの努力が、十分だったなどとはとても思っていない。 しかし、私は、昭和四十二年の町長就任以来、 常に物事に前向きに取り組んできた。 「青臭い」といわれるかも知れないが、 「あすなろ」の気持ちでやってきたつもりである。
 誰が「青臭い」などと言うものか!宇野よ!
 現役時代、いくつ三振を量産しようが、エラーを連発しようが、 自分の持ち味である“一発屋・宇野”を貫き通し、 落合のような全てに完璧な「檜」にはならないまでも、 豪快なフルスイングで立派な「あすなろ」となった宇野の勇姿は今も瞼に焼き…

 …ん?

 町長?

    【リピート】
     私のこれまでの努力が、十分だったなどとはとても思っていない。 しかし、私は、昭和四十二年の町長就任以来、常に物事に前向きに取り組んできた。 「青臭い」といわれるかも知れないが、「あすなろ」の気持ちでやってきたつもりである。
 ……えーと。
 昭和四十二年って、ずいぶん古い話だな、宇野よ…。


暁に向かって

暁に向かって

暁に向かって



 …誰だ、お前。


→ 怒涛の後編へ続く! 次回、『オレ流を探す旅』、ついに完結!!

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